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他人は、あなたの望むようには反応しない

家庭にしろ、仕事場にしろ、私たちは人と関わり合って生きている。
「できるコトなら、穏やかなお互いにいい感情を持って接したい」と願う。

その一方で、
相手が自分の思うように動いてくれない
相手が自分に対して、強い言い方をする

などのように、自分がぞんざいに扱われたと感じると、相手が自分に対して嫌っているのかもしれないと感じ取ったり、相手に対して「こう気持ちなんじゃないか」と憶測してその反応に気を揉んでしまう。

しかし、そうした時というのはほとんどの場合、本人の価値観や考え方が反映されて、相手の言動を判断している。

先日読んだ、読売新聞の人生相談では、相談者の女性が職場の上司に何を報告しても「わかっている」「知っている」という反応で、報告するのが嫌になる。来客者にも同じような言葉を使っているので、クレームにならないか心配。どうやったらその言葉をかえることができるか?というもので、

哲学者の小川仁さんの回答のおおよそは、
・そういう反応をする人もいる
・客観的にはとても「わかっている」とはいえない自分だけの私的言語
・こういう人を変えるのは至難の業
・クレームが心配なら、外部から意見してもらう

というもので、たしかに!と思う。

この相談者の女性の方の、気に病むところは、
「自分の報告に対して、きちんと受け止めてくれない」という心の不満なのではないだろうか。

書いてある内容をみると、そもそも報告することを社長が必要としているのかどうかが肝心で、忙しくなにかを考えているときに対して大事でもない“報告”をされたところで、「わかっている」「しっている」としか言えないだろう。

とすこしばかり社長側の気持ちにもなってしまう。

これってよくありがちな、専業主婦の奥さんが、その日あった子供のことやママ友との会話を、忙しい旦那さんが夕食を食べている時に一方的に話している風景そのものだ。

一方的に、話しかけてきて、聞きたくもない話を聞かなければならない方もしんどい気持ちになる。

そしてそれを、反応しないからと責めれれても・・・。

人間関係は、和気藹々、いつも親密で、ということはないもので、それを望もうとするのは、ある種の依存にもつながる。

相手が、自分の思うように反応してくれない
相手が、自分を受け入れてくれない

それは、相手に期待をしすぎです。
それは、相手に依存しているのと同じです。

あなたに思いがあるのと同じように、
相手にも相手の気持ちがある。

だからこそ、人間関係は少しばかりドライなくらいで
ちょうどいい



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