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『ハッピー・デス・デイ』 ファイナル・ガールならぬ性悪ファースト・ガールが、自らの死を通してファイナル・ガールへと成長するという大発明
『ハッピー・デス・デイ』(2017年/クリストファー・ランドン)
【あらすじ】
ビッチちゃんが誕生日に何度も殺される
ティーンスラッシャー以上でも以下でもない、と書くと批判のようだけれど、ティーン向けにこのような映画が存在していることはあまりにも大切だと思う。
ホラーとコメディは表裏一体な関係性にあり、コメディ要素を推し進めて脚本化したことによって、最終的にホラー映画の教育的側面が色濃く出てくるのは大変興味深い現象。
ビッチちゃんにタイムリープをさせる、というワンアイデアと思わせておいて、リープ毎に負傷度が上がっていくなど、新鮮な設定があるのも素晴らしい(『シュタインズゲート』のオカリンもそんなだっけ?)。
所謂スラッシャー映画の犠牲者がバカでマヌケなのは、そこで明確に感情移入が出来てしまうと「死」を楽しめなくなる、というのはスクリプトドクター・三宅隆太氏の説で、本作の主人公も限りなく「サイテー」「なんだコイツ」「コイツが何回死んでもどーでもいいわ」と序盤にちゃんと思わせる演出なのが超いい。
繰り返される死を通して、次第にこれは彼女の通過儀礼なのだ、殻を破るための試練なのだ、ということが理解できてくると、この主人公が愛おしくてたまらなくなってくる。応援したくなる。もう死なないでくれと思えてくる。
『ファイナルガールズ 惨劇のシナリオ』は、スラッシャー映画の犠牲者のひとり(しかもお色気担当)でしかなかったキャラクターを深掘りすることによって最終的に泣かされる傑作だったけれど、その変奏といっていい(『ファイナルガールズ』もコメディ要素を推し進めたホラーだった)。
人は変われないかもしれないけれど、変わろうとすることは出来る、「今日」は残りの人生の1日目だ。
この主人公はかなり発明に近い新しさがあったけれど、続編で発明の発明の域に達していたのもさらにスゴイ。
フーダニットとしては完全に失敗している(サプライズがサプライズとして機能していないくらい犯人がすぐ分かる)のが惜しい。
でもどうなんだろう、ティーンにとっては「え??マジ?!?!?」みたいな展開なのかな。バカにしすぎかしら……?
劇中で『恋はデジャ・ブ』のタイトルを出しちゃう辺り、大抵の映画でやられると一気に冷めるのだけれど、ティーンに対する「こんな面白い映画を参考にしたよ、見てなかったら見てみてね」という目配せ的親切心でしかなく、そういった誠意も可愛らしい。
ユニバーサルのロゴが何回も出るギャグの時点でオモシロ〜(^◇^)となってしまった。
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