『メリー・ポピンズ』 スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャスな映画と、カウンター・カルチャーとしてのメリー・ポピンズ
『メリー・ポピンズ』(1964年/ロバート・スティーヴンソン)
【あらすじ】
空からメリー・ポピンズが降りて来る
星10。いつ何度観ても圧倒的に素晴らしすぎる、愛すべき大切な一本。
とにかく「映画が喜んでいる」という楽しさでみなぎっている。ほとんどドラッグ的な幸福感の連べ打ち。ジュリー・アンドリュースは生きて歌って踊る「幸福」そのもの。ウルトラナイスガイの我らがディック・ヴァン・ダイクは、彼が楽しそうに思い切り踊っているだけで、涙が出るような感動が湧き上がる。本作が名作たる所以は、漏れなく画面に映っているすべての事柄が最高という点もあるけれど、実は物語の深部に込められた想いにこそ、僕らの感情を揺さぶる力がある。
『メリー・ポピンズ』は極めて重層的な作品になっている。この映画の主人公はメリー・ポピンズではない。本編内でメリー・ポピンズは、全く成長しない、言わばスーパーヒーロー/超人/天使として君臨する。彼女が救いに降りた人物とは、果たして子供たちだったのだろうか。否、誰よりも成長すべき登場人物がいたはずだ。それは、彼らの厳格で頑固な父親・バンクス氏のことだ。
現実は誠に辛く厳しい。想像すらできない絶望がそこら中で息を潜めている。しかしメリー・ポピンズは子供たちに対して、そんな「現実の厳しさ」を教えるのではなく、「厳しい現実を生き抜くための武器」を与えていく。
例えば、面倒くさい片付けは「ゲームのように楽しくやる」、落ち込んだ時は「意味もない言葉を喋ってみる」、貧しく苦しんでいる人を見かけたら「慈悲とお金を恵んであげる」など。メリー・ポピンズは言う。「苦いお薬も、ひとさじのお砂糖さえあれば飲めるようになるわよ」ここでの「苦いお薬」とは「現実」のことを、「ひとさじのお砂糖」とは「笑顔やユーモア」を指している。
バートと共に屋上に登った子供たちは「世界を上からの視点と広い視野で見ること」を学ぶ。そしてバートはこうも教える。「お父さんは寂しくて孤独な人なんだ。お父さんは檻に入っている。銀行という形をした檻だよ」バンクス=銀行という洒落は、ここで意味が付帯される。
その後のディズニー映画がそうであったように、実は物語がターゲットにしているのは子どもではない。その子供を連れて来た親だ。すなわち、メリー・ポピンズやバートは、子供ではなく、親に向けて間接的に「厳しい現実を生き抜く術」を伝授している。なぜなら、親たちは「厳しい現実」というものを既に知っているからだ。メリー・ポピンズは、親が子供たちに対してどのように教育をするべきか、そして子供を持つ親たちはどのように生きるべきなのかを説き続ける。
『メリー・ポピンズ』の真の主人公は父親であるバンクス氏だ。彼は出世こそが男の生きる道だと自らに定め、その固定観念の中で不器用にもがき苦しむことになる。それはまるで「これまでも、これからも、父親とはそうであって然るべき」という自縛の中で、本来最も大切にするべきだったものを見失っているかのようである。
彼に「大切にするべきだったもの」を気付かせたのは、メリー・ポピンズやバートであり、子供たちの優しい心によるものだった。『メリー・ポピンズ』の真の物語は、バンクス氏の苦悩と、その状況からの脱却にある。鮮やかな色調の果てに到来する、あの夜道を歩く惨めな男の後ろ姿たるや。あまりにも、あまりにも切なく、泣けてしまう名ショットだ。それでも歩き続け、社会や時代や固定観念の象徴たる社長や重役の前に立った彼は、子供たちから教わった「魔法の言葉」をつぶやいて成長する。仕事や出世よりも、家族を愛して、一緒に笑って楽しく生きることを、俺は選ぶ!バンクス氏はここで初めて敵対者と逃げずに「闘い」、「勝利」した彼は笑顔で家へと帰宅する。最初は子供たちと共に上げられなかった凧を、今度は家族4人揃って、一緒に……。
本作の公開年である1964年とは、アメリカにビートルズがやって来たヤァ!ヤァ!ヤァ!の年として重要だ。ビートルズのアメリカデビュー以降、アメリカはカウンターカルチャーの時代へと突入した。
それまでの古臭い固定観念はすべて撤廃し、ラブ&ピースのために若者たちが「闘い」を始めた。それこが、ベトナム戦争への反対運動だ。
バンクス氏の「闘争心」は、まるで歴史を予言するように、現実の若者たちへと伝播していっている。
いつか自分も子を持つ親になったら、絶対に家族でこの映画を観たい。メリー・ポピンズが空から降りてこないように、当たり前に子供を愛してあげたいものです。
余談だけれども、いつ観てもペンギンちゃんたちが超絶に可愛い。映画史上最高のペンギン。『メリー・ポピンズ』を観るたびに、脊髄反射的にペンギンに逢いたくなって水族館に行きたくなる。 みんなも水族館へ行く前に『メリー・ポピンズ』を観よう!(暴論)