『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』 アスカ搭乗時に映画館で「嘘でしょ……」とつぶやいた女の子は元気にしているだろうか
『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』(2009年/庵野秀明、摩砂雪、鶴巻和哉)
【あらすじ】
俺たちの知ってるエヴァじゃない?!
誤解を恐れずに書いてしまうけれど、それまでの旧エヴァの惣流・アスカ・ラングレーという人は、かなり"病みがち"なキャラクターだった。ツンデレでありながらメンヘラ。自信過剰でありながら自己嫌悪に陥る。外面と内面のアンビバレントに引き裂かれながら嘆き苦しむアスカの姿を見ているのは、エヴァファンとは言えど辛く悲しいものがあった。
それに比べて、式波アスカは本当に明るくて健康的な子と化している。レイに自分の立場を譲ったり、人のために何かを出来る人物になっていて、彼女なりに自立へと向かっている姿が本当に良い。極め付けは、彼女が『破』において(そして以降の新劇場版においても)病むことは一切ない。清々しい。これもアスカだ。
そんなアスカとレイの板挟み『マクロス』状態になるシンジ。この人だけは相変わらず病む。
しかし、プロ病み専としての限界を突破してしまったシンジは、クライマックスで旧エヴァを文字通りに「破壊」する熱血主人公へと変貌を遂げる。
公開当時初日の劇場、観客全員で「マジでか⁈」と発声しながらスクリーンに釘付けになったことは、未だに鮮明な記憶として残っている。
ビックリしすぎてポップコーンをブチ撒いたオジサンもいた。旧エヴァからのアスカの改編展開を目にして、大泣きしている女の子もいた。みんな元気にしているかな、なんてことを本作を観るたびに思い出す。
本作は旧エヴァを破壊することにベクトルが向かっていて、つまりサプライズ的な改編に確かに驚くのだけれど、ゆえにエヴァっぽさという感覚も稀薄されてしまっていると思う。
エヴァがポスト・エヴァ以降のアニメーションにもたらした功罪を、エヴァそのものがなぞっている奇妙な構造によって、これはエヴァであってエヴァではない、という引き裂かれた余韻が残る。
エヴァ、というか庵野がソレをやる必要ってある?という。それを吉と見るか凶と見るかで評価も分かれるだろう。
それでも、やっぱり頭の上にびっくりマークが浮かび続ける展開だったし、ちゃっかり燃えたし、病み要素がデトックスされたエヴァとして見れば、十二分に楽しい映画だ。
でも、鬱屈した自分にとってのエヴァとは、病みすぎ、黒すぎ、ドロドロすぎの居心地の悪いアニメーションであったことを忘れないぞ。
鷺巣詩郎のサントラは神掛かってたな。特に予告でも使用されていた"The Final Decision We All Must Take"がマリの「裏コード、ザ・ビースト!」で鳴り響いた時なんて、鳥肌総立ちした。
伊吹マヤさん推しでもあるので『太陽を盗んだ男』流しながらの街の目覚め、出勤シーンはとても好き。