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第3回日本ホラー映画大賞【極私的】総括②または私は如何にして心配するのを止めて日本ホラー映画大賞を愛するようになったか

この度、第3回日本ホラー映画大賞応募作品として『絶縁』を監督しました、杉浦と申します。

今現在、この文章を記している時点で、コンペティションのすべての結果が発表されています。

僕の作品は【一次選考】を通過した末に、残念ながら【最終選考】の9本には至りませんでした。

悔しい!!!!!!!!!!!!!!!!
死ぬほど悔しいです。

しかし、生きていてこんなにも心から悔しいと実感できた経験もありませんでしたし、今ある実力で「ホラー映画」について真剣に探求・思考できたこと、そして何より、自分自身が信じられる、納得ができる「ホラー映画」を創作できたことは、かけがえのない経験値となりました。

まずは、このようにして「挑戦できる機会」を設けてくださった日本ホラー映画大賞運営の皆さまに感謝申し上げます。そして、その挑戦を共にしてくださった全てのキャスト・スタッフの皆さまにも、深く感謝申し上げます。

この記事では、僕が日本ホラー映画大賞に作品を応募しようと決意した経緯から、応募するにあたっての傾向と対策、そして最終選考結果を知り、上映会・授賞式で何を思ったかに至るまで、備忘録として執筆しております。

【極私的】な経験として、日本ホラー映画大賞に捧げた日々は、自分の青二才な人生にとって、あまりにも忘れがたい日々でした。

ちなみに、前回の記事はこちらです。


「僕も日本ホラー映画大賞に応募します」

遡ること約2年前。2023年1月21日、EJアニメシアター新宿の観客席で僕は泣いていました。

第2回日本ホラー映画大賞の授賞式において、友人の近藤亮太氏が監督作『ミッシング・チャイルド・ビデオテープ』で見事に大賞を受賞されました。近藤さんは「彼以上にJホラーに詳しいヤツはいないんじゃないか?」と思えるほどにホラー映画への造詣が深く、また独自のホラー観を正しくお持ちで、長年信頼してきたホラー映画先輩(?)でした。

そんな知己がある近藤さんの輝かしい姿を見て、ひとりの友人として思わず嬉し泣きしてしまったのです。まさに、ひとりのホラー映画作家の人生が、一夜にして変わった瞬間を目撃しました。

作品自体も傑作で、その新たな才能の発掘に心から祝福ができました。
と、同時に。
「俺だって自分なりの新しいホラー映画が作れるぞ!!!」
そんな熱が自分自身から沸々と湧いてきていることを感じていました。
「自分もこの戦いに挑戦したい、自分が信じているもので"ホラー映画"に挑みたい」
その衝動を抑えることができませんでした。
人生が変わる、人生を変えてみたい。しかも、自分が最も敬愛しているホラー映画というジャンルで。

ここで逃げてしまっては絶対に後悔すると思い立ち、僕は受賞後の近藤さんに宣言しました。
「僕も日本ホラー映画大賞に応募します」
かくして、僕の日本ホラー映画大賞への挑戦が始まりました。

傾向と対策①映画祭分析

プロット執筆段階では、まずは自分自身の好きなテーマでアイデアを書き進めました。当初は、一体の死体を巡る舞城王太郎『淵の王』や『深夜百太郎』収録の『横内さん』的な幽霊譚や、『牡丹灯籠』を現代風に再解釈した作品などを考えていたかと思います。
しかし、コンペティションで勝ち進むためには、一体どのような作品が求められているのかを研究する必要がありました。その研究結果と、自らが描きたい「ホラー映画」の作風を合致させることが望ましいと判断したのです。

そのため、主に2023年の2月頃から、まずは日本ホラー映画大賞というコンペティションそれ自体の徹底したリサーチに着手しました。どのような作品が最終選考において選ばれているのか、そして、なぜ大賞に選ばれた作品は"大賞"なのか、あくまでもメタ的な視点で"映画祭研究"をしたのです。
とは言え、日本ホラー映画大賞はまだ2回しか開催していない生まれたての映画祭でした。過去作から傾向と対策を探るには、あまりにもエビデンスが少ない状況です。
ただし、そんな中にも必ず"流れ"というものは存在しています。

第1回の大賞『みなに幸あれ』は、作品の性質を端的に言い表すとすると「変化球」の作品でした。かつて、誰もアプローチしてこなかった演出で、誰も語ろうとしてこなかった題材で、極めて戦略的に大賞を狙い打ちにしたホラー映画です(事実、下津優太監督は「どうしたら大賞を受賞できるか」に重きを置いて製作をされたそうです)。
その戦略は脚本と同時に映像面にまで徹底されており、また作品の尺自体も「選考の際に何度も見るだろうから」という理由で短編尺を判断していたというのです。
『みなに幸あれ』は他の作品と「被らないこと」が一番のバリューとなっていました。それはすなわち「あたらしさ」とも観客は受け取ることができます。

対して、第2回の大賞『ミッシング・チャイルド・ビデオテープ』は「王道Jホラー」としての品格を備えていました。
しかし、王道とは言え「幽霊そのものは表象しない」「人が消える瞬間をカットを割らずに映す」など、近藤監督がそれまで信じ続けてきた自身の作家性が「あたらしさ」に接近していたのだと考えられます。
審査員長の清水崇監督の言葉を借りれば「こわい空気が作れているかどうか」という判断軸において、『ミッシング・チャイルド・ビデオテープ』にはその「こわい空気」を感じさせる演出が明確に存在していました。
また、それが単なるJホラーのキメラとして機能していない点においても秀逸でした。「どれくらいホラーが好きかどうか」よりも「新しいJホラーを演出できる才能を発掘したい」というコンペティション側の欲求に応えていた所以だと感じます。

その他、恐らく日本ホラー映画大賞と名がつくコンテンツはすべて摂取したでしょうし、関係者の全発言(インタビュー、コメント、対談、YouTube動画など)も網羅し尽くしました。
こういった研究・調査みたいなアクションが全く苦ではない性格なので、黙々と日々の時間を割いていたかと思います。

傾向と対策②映画の芝居と常識の逆

それらを踏まえて、個人的な創作の目的として「他応募作品と被らないこと」「従来の恐怖表現におもねることなく、あたらしさを提示すること」「誘引力のある演出を徹底すること(特に、俳優の芝居の演出)」「常識の逆で考え続けること」を心掛けることにしました。
他にも細かい指標のようなものはたくさんありますが、主にプリプロダクション/撮影/ポストプロダクションの過程において、常に考え続けていた事柄はこの4つでした。

最初の2つに関しては、前述した『みなに幸あれ』や『ミッシング・チャイルド・ビデオテープ』の受賞結果を受けて、自分なりに発展させた考え方です。
残りの2つは、自分の現段階の実力として、他作品と差別化を計れるのではないかと考えた、言わば自己アピールポイントでした。

自分でもよく理解しているのですが、(それが映画であれ演劇であれ)俳優の芝居というものに過敏に反応しがちです。
観客が見て「別にそんなことよくない?」とスルーしているような部分が、自分にとってはどうしても引っ掛かり、戸惑ってしまうことがしばしばあります。
どんなに内容が素晴らしくても、芝居の部分で明らかな自意識過剰が垣間見られたり、演出する側がその芝居の抑制を放棄していたり、俳優が脚本や台詞の解釈を誤読している素ぶりを目の当たりにすると、作品そのものから乖離していく感覚に陥りがちです。

もちろん、一言に「芝居」と言っても多種多様な定義付けや解釈があります。俺の考える芝居というのは、と偉そうに語りたいわけではありません。

この違和感は、たとえるなら、サッカーの試合で平然と両手を使ってボールを手にしているプレイヤーを見た、という感覚に近いかもしれません。もしくは、野球の試合でバットを使わずに腕にボールを当てて打っているプレイヤーを見た、みたいな。つまり、サッカーにはサッカーのルールが、野球には野球のルールがあるわけです。

それは映画も演劇も同様で、「映像演技」と「舞台芝居」というものは、根本的にプロセスも表象方法も異なります。それは、球技という共通項はあれど、野球とサッカーのルールのように全く別のものです。にも関わらず、まるで観客の集中力を削ぐような、思考を停滞させてしまうような「異なるフィールドの異なるパフォーマンス」が提示されてしまうことに、個人的には敏感になってしまうのです。

ですから、映画を撮るという行為を通して、一先ずはしっかりと作品に適応した「芝居」の演出を目指そうと考えました。

被写体(という言葉も好みませんが)として記録される俳優の皆さんは、物語や映像以上に、観客の記憶に大きな作用をもたらします。人生の限りある時間を頂戴して作品に関係してくださるのであれば、彼らの「芝居」を疎かに扱うことはあってはなりません。

その俳優を魅力的に映したいという気持ちは当然ですが、そういった自意識よりも、作品内のコードに沿った芝居を引き出せるかどうか。そういった演出力を、自信を持って提示できるかどうか。「ホラー映画」に必要な「芝居」とは何なのだろうかという追求。そんなことも大切にしたいと考え続けていました。

「常識の逆」という言葉は、『リング』などの脚本家・高橋洋氏による文言です。誰もがアッと驚くような斬新なアイデアなんて、一握りの天才以外は思い浮かびません。特に、毎年のように新しいアイデアを備えた新作が生まれてくるホラー映画というジャンルにおいては、自らが新しいと発見したアイデアも、とっくに使用されていることがしばしばです。

日本ホラー映画大賞というコンペティションにおいて「他の誰も思いつかないようなアイデアで勝負したい」と考えていらっしゃる方も少なくないかと思われますが、上記のような理由から、大抵は時間の無駄に終わると考えています。また、どんなにアイデアが優れていても、前述したような芝居の側面や総体的な演出力が乏しければ、その「あたらしさ」は急速に輝きを失いかねません。

アイデアそのものを吟味し続けるよりも、普段から様々な事柄に視点を向け、その際に自分が感じた思考や感情に重きを置くことこそが必要なはずです。その視点が、自ずと作品や作家の「眼差し」として機能することになるからです。

そこで自分も、普段感じていたり考えていたりすること、その真逆の視点でその事柄を再解釈してみようと考えました。

そうすることで、「世間一般」では「こうあるべき」と定義されているものから、反対の価値観というものが発見できます。もしかすると、その価値観は公序良俗に反しているかもしれないし、悪趣味かもしれないし、偏見を抱かれるものかもしれません。しかし、それでこそ「ホラー映画」なのだという強固な意志を崩す必要は絶対にありません。そうでなければ、「ホラー映画」の存在意義に異論を唱えることと同義になるでしょう。

そんな「常識の逆」から「あたらしさ」は生まれてくるはずであると考え、初期プロットから大幅に方向転換して、脚本の執筆に励みました。

傾向と対策③加害者視点の恐怖

作品の応募に際して「アピールポイント」を記入する欄があるのですが、その欄に僕は以下のような文章を記しました。

ホラー映画について考える時、それは自分自身の世界に対する眼差しについて考えることと同義であると考えております。

私は今回、いじめの「加害者」とされる人物を主人公として描くことにより、その当事者性について、ホラー映画の視野から表現することを目指しました。
いじめの加害者とされる人物、それ自体が恐ろしいのではなく、その加害者に寄り添う選択をせずに断罪を求めてしまう空気こそが、私は恐ろしいと感じています。
そういった"加害者"の心理的な恐れを表現することによって、現代のホラー作品としてのオリジナリティや面白さを描けるはずであると考えています。

また、本作を長編にする場合は、加害者を取り巻く背景について、その内面をより一層追求する形で、ストーリーを展開していくことを想定しています。
ニューロティックな恐怖表現のみに留まることなく、フィジカルな恐怖演出、特に、痛みや苦痛の類の表現を徹底して、見せ場として配置することも必要であると考えています。

喉の奥に刺さったままで取れない、魚の骨のようなホラー映画を目指します。

こんな具合で、実は拙作は「いじめ」と「加害者」を題材にした作品となります(なるべく具体的にアピールポイントを書いた方がよい、というのは近藤監督からの有難いアドバイスでした)。

僕は、「いじめ」の被害者とされる人物が加害者とされる人物に復讐してカタルシスを与える作品や、被害者が地獄絵図の如く悲惨な目に遭う作品、加害者が魔女裁判の如く断罪されるだけの作品よりも、被害者/加害者の当事者性について、ホラー映画の視野から表現することに興味がありました。

また、これまでの応募作品の傾向から、このような題材、作風が他作品とも差別化を図れる内容なのではないだろうかという推測もあり、自ずと作品の独自性に繋がるものだと考えていました。自分が最も興味のある題材が、他とも被らなそうであるということ。心から作りたい作品と、コンペティションの条件にも沿った作品。そこで勝負がしたいと決意しました。

レファレンスの掛け算

今回、脚本を執筆するにあたって指標となった/影響を受けたレファレンス作品は以下の通りです。

『葛城事件』
『鬼畜』
『許された子どもたち』
『トイレの花子さん(95年版)』
『七つまでは神のうち』
『生首情痴事件』
『私、オルガ・ヘプナロヴァー』
『TAR/ター』
『悪魔のような女』
『隠された記憶』
『アクト・オブ・キリング』
『ポゼッション』
『サスペリア(2018年版)』
『ファウンド』
『聖なる鹿殺し』
『親切なクムジャさん』
『Pearl パール』

他にもありますが、たとえばこんな諸作品から影響を受けています。
こうして傑作を列挙したところで、良くも悪くも拙作の価値に何ら変容は及ぼされませんが、事実として、こういった作品をたくさん見返していました(たくさん見返さない方がよい場合もあるのですが、僕の場合は見返すことで自分の表現が研磨される感覚があったので実行しました)。

これらはほとんど「加害者」というものを独自のベクトルで表象している作品群で、そこには「あたらしさ」や「常識の逆」が備わっていると個人的には感じています。

こうして他の映画を参考にすることは、恐らく他の作家の方々も辿る思考かと思われますが、あまりにもそこに固着してしまうと、自身のクリエイティビティやオリジナリティから遠く離れてしまうことにもなりかねません。

そこで、考え方のひとつとして大事なのは、掛け算の思考です。

たとえば、これも受け売りですが、近藤監督が『ミッシング・チャイルド・ビデオテープ』を着想するに至った起点にはこんな掛け算がありました。

『ラブレス』×『透明人間』

もうこれだけで、なるほど、という面白さがあります。『ラブレス』は子どもの行方不明とその家族の物語、『透明人間』はもちろん、現代的アップデートが施されたブラムハウス版、その二つを掛け合わせたとしたら、自分には何が撮れるだろうか?という考え方です。
実際、完成した『ミッシング・チャイルド・ビデオテープ』は、ちゃんとその掛け算の答えのような映画になっていました。

これは反省点として敢えて記しますが、僕は今回、そういったレファレンスの数が膨大にあり、その掛け算もシンプルなものではなかったかもしれません。たとえば、まるでハネケが撮った『聖なる鹿殺し』のような雰囲気で、そこにこんな要素やあんな要素も掛け合わせて、で、こうすればオリジナリティが出て……と、今思えば欲張りな思考がはたらいていたと指摘できます。

言うなれば、どんな時もシンプル・イズ・ベスト。それが最も大切なことです。でも、シンプルにすることは果てしなく難しいことでもあります。指針となる作品があることは大事なことですが、それが多すぎても、自分自身が混乱、錯綜することに繋がりかねません。シンプルと思える適量、そこから必要なエッセンスだけを拝借、発展させることができれば、自ずと作家のオリジナリティへと変貌するはずです。

ただ、こういったレファレンスは作品読解の際にはひとつのヒントとなるため、作品の付記としての機能はあるかと思います。
現状、拙作が閲覧できる状況ではまだありませんが、制作の備忘録として記載しました。

清水崇監督と遭遇!

2023年9月15日。その日も僕は脚本を執筆していました。
近所のサイゼリヤで本作の脚本を執筆していると、ドリンクバーになんだか見たことがある人影が……。

清水崇監督だ!!!

ものすごく驚きました。清水崇監督が審査員長を務める日本ホラー映画大賞に向けた脚本執筆中のファミレスで、目の前に清水崇がいる?! こんな偶然があるなんて。

絶対にご挨拶した方がいい!と直感で思いました。しかし、きっとご多忙だろうし、お食事中にお声掛けするのも迷惑だろうし、というか全部ひっくるめて迷惑だろうし……と、後から理性が追いついて消極的になりました。

ミーハーかよ、と自分で自分にツッコミしていると、まさに清水監督がサイゼリアから退店!
その姿を見て、もはや脊髄反射的に僕は席から立ち、あとを追っていました。
そして、思わずお声がけをしてしまいました。

「すみません、大変失礼を承知で伺いますが、し、清水崇監督でいらっしゃいますか……?」
「はい、清水です」
「お、お会いできて大変嬉しいです……実は私、今まさにサイゼリアで日本ホラー映画大賞に向けてホラー映画の脚本を執筆していたところで……」
「えーそうなんですか! すごい偶然ですね」
「すごい偶然です(オウム返し)」
「これまでも応募されていたんですか?」
「いえ、今回初めて挑戦します」
「そっかあー。それは楽しみですね」
「ありがとうございます! さ、差し支えなければ名刺交換させてください!」
「いいですよ!」
「ありがとうございます!(名刺を取り出しながら)いやもう、ご迷惑かと思われますが、本当はサインなんていただけたらなぁ、とも思うのですが、ペンもなければ紙もありませんもので……」
「あーいいですよ、しますよ。この後ってお時間ありますか?」
「え? 私ですか? ハイいくらでも!」
「そうしたら、僕の事務所にいらっしゃっていただけたら、そこでサイン差し上げますよ!」
「ええ?! 事務所ですか?! 今から?! いいんですか??!!」
「もちろん! ここからすぐ近くにあるので良ければ!」

めっちゃいい人じゃん……………

こんなに腰が低くて気さくな監督とお会いしたのは初めてだったかもしれません。

こうして、思わずお声掛けしてしまった清水監督は、大変ご親切に接してくださり、その足で事務所にまで僕を招き入れてくださりました。

「『ミンナのウタ』って、観られましたか?」
「もちろん観ました!」
「パンフレットって買われましたか?」
「売り切れてました!」
「あ、じゃあ差し上げます!」

と、『ミンナのウタ』のパンフレットと色紙、さらに僕が御守りのように持ち歩いていた清水崇監督の著書『寿恩』にもサインをいただきました。

ご親切に清水監督自ら色紙をご用意してくださり……感謝
普段はサインを頂戴するようなお願いはしないのですが、この日ばかりは……!

その後も、お忙しい中にも関わらず、僕なんかと約1時間もホラー映画トークをしてくださりました。早く帰れよ!と怒られかねないですが、僕は清水監督との会話が、時間を忘れるほどに楽しかったです。大変失礼かもしれませんが、無邪気にホラー映画について談笑してくだった清水監督は、まるで少年のように若々しかったです。

「ぶっちゃけ、どうしたらホラー映画大賞とれますかね」
「すごい質問(笑)いいねえ」
「こんな機会ないですから……」

そこで何を話したのかは秘密!!
その内容こそ書けよ!と思われるかもしれませんが、それは拙作をご覧いただけたら、なんとなくは……伝わるといいですが……。
でも、とにかく「なるほど」と膝を打つような恐怖演出論を、真剣にお話してくださりました。

帰り際、清水監督と「必ず授賞式の会場でお会いしましょう」とお約束させていただきました。
僕はその日から改めて、日本ホラー映画大賞に賭ける強い想いを増幅させ、一日たりとも大賞について考えなかった日はありません。
そして、あの日の会話を忘れたこともありません。

追加キャスト募集

クランクイン直前、どうしても自分が書いた脚本に納得できない部分がありました。それは、この物語をかき乱すような存在、生きているのか死んでいるのか不明瞭な、ふわふわとした宙吊りの存在、そういった視点が肉付けとして必要なのではないかという考えでした。

試しにちょっと脚本に書き足してみると、あら、いいじゃないかと。新たに視点が補完されることで、作品が備える「ままならさ」を補強するキャラクターが出来たと認識していました。

その頃、たとえば『ファニーゲーム』や『アングスト』のような、(物理的にも物語的にも)外部から他者が加害性を発揮して介入してくる、という展開に興味が出てきていました。でも蓋を開けてみたら、それは『聖なる鹿殺し』のような真相でした、というツイストを配置したいなと。
「加害」と「呪い」に関する表象ができないものかと考えていました。

ところが、脚本の改訂は百歩譲って良しとしても、登場人物を追加することは難しい状況にありました。俳優部の皆さんは既に配役が決まっており、今更キャストを応募してオーディションを行う時間すらありませんでした。
望みは薄い、あきらめるしかないかと思いつつ、でも直感として妥協しない方がいいのではとも感じていました。やがて、他のスタッフから「良いキャラクターだからあきらめない方がいい」とも背中を押され、急遽追加キャストの募集をしました。

Xとシネマプランナーズで募集を開始すると、Xのポストは6.6万インプレッションを記録し、こちらの想定以上の数の方が応募してくださりました。
本当に有り難かったですし、今後のアナウンスメントとしてXやSNSの活用も積極的に取り入れようと考えるきっかけになりました。

結果として、作品の強度を高めるような俳優部の方と奇跡的に出逢うことも出来ました。しかも、お世辞抜きに、上記で想定していたイメージ通りのルックとポテンシャルをお持ちの方で、こちらの創作意欲を大きく刺激してくださりました。感無量です。

また、この場を借りて恐縮ですが、この度残念ながら出演に至らなかった方々も、再びご縁がございましたらご一緒させていただきたい次第です。ご応募してくださりまして、誠にありがとうございました。

撮影開始/終了

さて、色々とすっ飛ばしますが、拙作は無事にクランクイン/クランクアップを迎えることができました。

なぜすっ飛ばすのかと言えば、個人的には撮影に関する「絶賛撮影中!」「撮影サイコー!」「めちゃくちゃ大変でした!」みたいな当事者たちのノリがあまり好みではなく、そういったメイキング的な要素は、必要とあらば必要なタイミングで提示するつもりだからです(現状、拙作が公で閲覧可能な状況にまだないことも、もちろん関係しています)。

また、作り手の「楽しかった」「辛かった」は、観客の評価とは無関係です。今回はコンペティション応募用の作品でもありましたから、(仮に入選したとしたら)なるべく真っ新な状態で鑑賞していただきたいと考えていました。
本来であれば俳優部の皆さまも「これから撮影です!」みたいな発信をすることがあっても全く問題ないのですが、企画書の段階から、そういったSNSでの発信は一切ご遠慮くださいと説明させていただきました。

極論、映画作りは「思い出作り」といってもいいと思っています。特にインディーズ映画においては。「俺たちは思い出作りをしてるんじゃない、芸術をしているんだ!」と語気を荒げる方もいるかもしれませんが、僕は生身の人間よりも芸術を崇高してしまうことは、ちょっと危うい思想だとも感じています。

ただ、「思い出作り」を免罪符にして、作り手だけが楽しんでしまってはならないはずです。単なる「思い出作り」のために作品に励むのではなく、「この世界に自分たちが信じる表現を残しておきたい」という意志を遂行した末に、「それが思い出となった」のであれば、美しいことだと感じます。

今回の作品では、まずは自分たちが楽しければそれでいいや、という楽天性よりも、日本ホラー映画大賞というひとつの目標に向けて妥協せずに挑戦しよう、という感情を優先しました。そして、そういった志しに共鳴してくださる俳優部やスタッフに恵まれたことに、感無量の想いです。
もちろん、それが結果的に「思い出となった」のであれば、監督としては嬉しいことではあります。実際、撮影後に「撮影が楽しかった」「また出たい」と伝えてくださる俳優部の方もいらっしゃいました。
でも、本質的にそういったお話を、観客の皆さんに提示するつもりはありません。

撮影過程の話題に際しては、「こんな楽しいこと/辛いことがあった」というエピソードトークよりも、「こういった問題が発生した際にどのように解決したか」「このショットはどのようにして撮影/演出を施したか」など、演出術的な面を取り上げる方が、資料価値もあると考えています。

まだ公開していない映画の撮影過程や撮影秘話を出せるほど、僕は成熟していませんので、それはまたいつかの機会に。

一次選考通過

怒涛のポストプロダクションを経て、作品が無事に完パケ。最後の最後まで全シーン、全ショットについて吟味して、応募締切最終日の9月30日に提出完了。当たり前ですが、「間に合って良かった……」と息が漏れました。

ここからが長かった。「一次選考通過者には10月中旬までにメールを差し上げます」との旨が運営からアナウンスされて、そのたった3週間ほどが、真綿で首を締め付けられるように長く感じられました。毎日、数時間おきに、メールの受信ボックスを更新する日々が続きました。また今日もメールは来なかった、じゃあ明日は来るかもしれない、根拠のない浮遊感が常にありました。

とは言え、流石に一次選考は通過するだろうという自信も常にありました。ここで落ちてしまうような作品を撮ったつもりはない。そうやって、まずは一次通過は当たり前、だから考える必要はない、考えても何も変わらないと、自分で自分に言い聞かせ続けていました。それくらい、毎日心からドキドキしっ放し。

10月18日、「一次選考通過」のメールが届きました。
良かった……また安堵の吐息が漏れました。取り急ぎ、スタッフとキャストの皆さんにご報告。

そして続く最終選考結果に関しては「11月上旬を予定」とアナウンスが。
その時に悟りました。ああ、またあの長い長い3週間を過ごすことになるのか。解放されたと思ったが、当然ながら、ここからが本番だったのだと。
精神が不安定だったわけではありませんが、それはそれは毎日メールボックスを覗いては、思わず嘔吐しそうなほど待ち侘びていましたよ。
ゴドーを待ちながら。ゴドーは必ずやって来ると信じて。

メールの全受信を繰り返す

11月6日午後。僕は中華料理屋で昼食を食べていました。
その前日の夜も、その日の朝も、ひたすらメールボックスを覗いては、まだメールは来ないか……と、常に緊張していました。監督たるもの、こんなことでずっと緊張していていいのだろうかと自問しつつ、これまでの1年半の努力の結果が関係しているため、どうしても緊張はしていました。

ちょうどランチセットのチャーハンを食べ終わった頃だったでしょうか。
ふと、日本ホラー映画大賞・公式Xのポストに目が止まりました。

…………え???????

いやちょっと待て。待て待て待て。

僕はすぐさまメールボックスを開き、メールの全受信を行いました。

新しいメッセージは……ない。
念のため迷惑メールボックスもすぐに覗いてみる。
よく分からん謎のメールばかりだ。そもそも、10月18日にメールは正確に届いているのだから、急に迷惑メールに分類されることも考えにくい。

…………え、ってことは………?

いやいや、いーやいや、待て待てマテ。もう一回確認してみよう。

もう一度メールの全受信を行う。
……メールの機能が故障している可能性がある、うん、きっとそう。
とりあえず、もう一度メールの全受信を行う。

……………あれれ……………?

俺は突然夢遊病になってしまって、自らメールを削除してしまっている? その記憶がない? ああ、でもゴミ箱にも何もない。
いや、向こうがアドレスを間違えてしまった可能性だってあるよね? 人間だもの。うん、あるよね。
………ってかそもそも、今この現実が夢なんじゃないか? 俺はまだ夢から覚めてないだけなんじゃ……?

マジで、ギャグでもなんでもなく、生まれて初めて頬をつねった。
痛い。

再びメールの全受信をする。
また、メールの全受信をする。
そしてまた、メールの全受信をする。
全受信、全受信、全受信、全受信、全受信、全受信、全受信、全受信、全受信、全受信全受信全受信全受信全受信全受信全受信全受信全受信全受信全受信全受信全受信全受信全受信全受信全受信全受信全受信全受信全受信全受信全受信全受信全受信全受信全受信全受信全受信全受信全受信全受信全受信全受信全受信全受信全受信全受信全受信全受信全受信全受信全受信…………。

メールは来ていませんでした。

僕は、同じように『ワンダリング・メモリア』というホラー映画を応募していた、友人の金内健樹さんに連絡しました。

金内健樹さんとのLINEでの悲痛なやり取り(※本人使用許可済み)

ようやく、目の前が真っ暗になりました。
そう感じるまで、ひたすらにメールの全受信を繰り返していたのですから。
しかし、これがメールサーバーの問題なのではないということは、もっと早くから気づいていました。

ただ、その事実を認めたくなかっただけでした。

目の前が真っ暗になりつつ、ランチセットのデザートとして、僕の目前には杏仁豆腐がありました。
絶望の瞬間に、ぷるぷると光り輝いている杏仁豆腐。
この絶望になんら影響を受けず、ただぷるぷると光り輝いている杏仁豆腐。

もう理由は分かりません。理由も理屈も分かりませんけれど、
僕はその杏仁豆腐を見た瞬間、ぼろぼろと涙が止まらなくなってしまいました。

近所の中華料理屋さん、迷惑かけてごめんなさい。

そして、みんな、ごめん。

気持ちを切り替えろ!

ということで、僕の作品は【一次選考】を通過した末、【最終選考】の9本の枠には、残念ながら残ることができませんでした。

もしかしたら、人生でいちばん泣いたかもしれません。大袈裟ではなく、こんな熱心に涙が流れ続けるかと。若干、そんなに泣ける自分に引きました。

同時に、これはひとつの負け惜しみに過ぎませんが、こんなに泣けるほど悔しいんだ、こんなに悔しいと感じられるほどに、本気で映画を作ってたんだ。本気で日本ホラー映画大賞を目指していたんだ。そんなことも改めて実感することができました。

♪涙の数だけ強くなれるよ、といわれても、うるせえ!という気持ちで跳ねのけてしまいそうですが、この涙には意味があったと今は考えられています。

涙腺が枯渇するまで泣き尽くし、やっと冷静になりました。
その時、これは自分でも不思議な感覚ですが、「ああ、やっとこの戦いが終わったんだ」と、肩の重荷がおりたような安堵感があったのです。
大変失礼を承知で書きますが、まるで1年間M-1のために頑張り続けた芸人の方が感じる「ああ、やっと今年のM-1が終わった」という安堵感、そういった感情に似ていたかもしれません。
とにかく、1年半、長かった。でも、自分なりによくやった。一先ず、そう思いたい。

僕がメソメソしていても作品や関係者には無意味なので、割とすぐに気持ちを切り替えました。
日本ホラー映画大賞はダメだった。
でも、今ここに確かに作品は存在している
今は、今ある作品をできるだけ多くの方に広げられる形を模索しよう。
ひとりでも、届くべき人のために作品を届けよう。

日本ホラー映画大賞は、まるで第二の青春でした。
こんなにも素晴らしい夢を見させてくださり、ありがとうございました。

反省するべきこと

最終選考に残らなかったという事実は、自分の今の実力不足の結果に他なりません。スタッフも俳優部の皆さんも、僕にとってはどこに出しても恥ずかしくないくらい素晴らしい仕事をしてくださりました。重ねて、感謝しかありません。より一層、自身の演出力に磨きをかけて、まだまだ精進していかなくてはならないと感じています。

僕の最大の反省点は、「考えすぎたこと」だと今は思っています。
これは、この記事の特に前半部において、ここまで熟考したら傾向と対策はできているはず、という過大な自信があったかと認識しています。
もちろん、そこは監督なのですから、自分の作品に自信がないよりはあった方がいいとは思います。
しかし、肩に力が入りすぎていたことは否めません。

次第に僕は、「日本ホラー映画大賞」それ自体が目的となり、その目的達成のことばかりを考え続けてしまっていました。来る日も来る日も。
時間もお金も掛けて、なんとか「立派」な作品を作りたい。
でも本来は、そういった対策を吟味するよりも、自分が信じるホラー映画さえ撮ることができれば、それが「傑作」になるはずです。

誰かに認められたい、褒めてもらいたい、勝ちたい。
そういった衝動自体を否定するつもりはありませんが、最も大切なことは、
「観た人を怖がらせたい」「観た人を面白がらせたい」
そんなシンプルな気持ちで十分だったのかもしれません。

自分のヴィジョンを表象することは達成したと自負する気持ちがありつつ、そんなに難しく考える必要なんてなかった、という学びもありました。

たかがホラー映画、されどホラー映画。

実はこの記事は、主に僕と同じ境遇にある監督たち、さらにスタッフ、俳優部の皆さん、そして、これから日本ホラー映画大賞に向けて映画を作ろうと考えていらっしゃる方々に向けて書きました。

もちろん、読んでくださる全ての皆さんに分け隔てなく開かれてはいますが、どちらかといえば、入選された皆さんを讃えたかったのが①で、落選された皆さんに言葉を投げかけたかったのが②、という気持ちがありました。もちろん、自分自身に対しても。

なぜなら、皆さん、本当に悔しかったじゃないですか。
屈辱でしたよね。でも、なんて素晴らしい経験をさせてもらったのだろうと、今の僕は思っています。ここから、ですよ。
傷を舐め合いたいわけではありません。
きっと、いや絶対に、選ばれなかった作品たちにも面白い映画があるはずです。そして、絶対に皆さんが作ったその映画には、価値があります。
そのことだけは、絶対に忘れてはならないんですよ、僕たちは。
落胆や屈辱の想いよりも、その悔しさを活力にして、今後も映画と関係していっていただきたいです。
余計なお世話かもしれませんが、皆さんひとりひとりの気持ち次第で、日本のホラー映画の未来は大きく変わっていくのです。

惜しくも選ばれなかった皆さんの作品も、お世辞抜きに全作見たいと思っています。そう思っているのは、僕だけじゃないはずです。

授賞式での一幕

2024年11月16日。15日の上映会と同じく池袋グランドシネマサンシャインのシアター6にて、第3回日本ホラー映画大賞授賞式が催されました。前日に引き続き満席、この祭りの最終夜にふさわしい熱狂が会場を包んでいました。

審査員による講評が始まると、「最終選考で最後まで推していた作品」として、 清水崇監督が拙作『絶縁』について言及してくださりました。

真っ先に名前を挙げていただいて有り難かったです。
推されていたのにあと一歩で残れなかった悔しさと、それでも尊敬する監督に認めていただけたという、ほんの少し救われた気持ちがありました。

なにより、その言葉のおかげで、俳優部の皆さんも同じような気持ちになったと仰ってくださり、それが自分事のように嬉しかったです。

その後、悲痛なLINEのやり取りをした金内健樹さんの作品『ワンダリング・メモリア』の名前も挙がりました! 嬉しい偶然です。

授賞式が終わった後、僕は清水監督と交わした約束「必ず授賞式の会場でお会いしましょう」を決行するため、図々しくも清水監督に会いに向かいました。

授賞式に出席していた出演者の方のことも「推してくれていたし、清水監督に最後に挨拶しよう!」と連れ出して、いざ。

……って帰ってる?!

なんと審査員はいち早くご帰宅。昨晩の上映会では『ミッシング・チャイルド・ビデオテープ』のチラシ配りを近藤監督と清水監督でされていたので、てっきり今日もしていらっしゃるかと……。とほほ。

でも、それでいいのです。
また清水監督と「必ず授賞式の会場でお会いしましょう」という約束を、僕は勝手にしました。

おわりに

徒然なるままに書いていたら、15,000字に到達していました。前回の記事①は14,000字ですから、人様の作品よりも自分語りが多くなるのは、若干気恥ずかしいですね……ともあれ、文字数は愛ではありませんけれど、日本ホラー映画大賞への愛を記録として表明しておきたかったのです。

最後まで長文乱文をお読みいただき、誠にありがとうございました。

これからも、日本ホラー映画大賞をあたたかく見守りください。

そして、拙作『絶縁』は鋭意公開準備中です。
あの清水崇監督が最後まで推し続けた!これ重要!覚えて帰ってください!
媒体がどうなるのか、時期もどうなるのか、まだ諸々確定しておりませんが、あらゆる手段を用いて、皆さまの目にお届けできるように最大限に努めます。
どうか、お見知り置きくださいませ。

これからも、ホラー映画を撮っていくつもりです。
何卒、よろしくお願い致します。

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SUGI
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