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『アイ・アム・レジェンド』について話すことよりも『コンスタンティン2』がどうなるか予想しようよ!と話を逸らしがち

『アイ・アム・レジェンド』(2007年/フランシス・ローレンス)

【あらすじ】
地球最後の男がワンちゃんと散歩する。

我らが大傑作『コンスタンティン』を監督したフランシス・ローレンスの待望の次回作がコレである。当時、劇場で父親と観た時はあまりのトホホ感にお互いが沈黙した。父親は「お前もう世界救わなくていいわ」と、地球救いがち男ことウィル・スミスへの苦言を漏らしていた。そんなことを思い出しながらも、ともかく、あんなカッケー映画を撮った人が、なんで次作でこんな底抜け超大作を撮ってしまうハメになったのか。

そもそもフランシス・ローレンス自身が単なる中二病監督なのは否定しないけれど、単なる中二病監督であることの何が悪いのか。最高じゃないか。だから中二であることは漏れなくこの監督の個性なので良しとして、成功した中二作品が『コンスタンティン』(煙草、スーツ、余命、タトゥー、悪魔祓い、天使と悪魔)で、失敗した中二作品が『アイ・アム・レジェンド』(終末世界、ポストアポカリプス、ウイルス、吸血鬼、ゾンビ、光と闇、サバイバル)というだけだ。

『コンスタンティン』は中二特有の戯画化された魅力的なキャラクターが矢継ぎ早に登場するのが楽しかったし、マンガ的な王道展開もスムーズに進行していく。
対して、本作は前半の世界にひとりぼっち描写は素晴らしいものの(街でゴルフしたりとかレンタルショップ借り放題とかマネキンとの会話とか)、その後ダーク・シーカーの登場から盛り上がることなく単調にアクションが処理されていく。

進んでいるようで進んでいない、説明の機能でしかない現在と回想のぼんやりとした映像が観客を窒息させる。かろうじて息抜きとなり癒しとなっていたシェパードのサムは本当に名演技だけれど、途中退場の末に息継ぎは不可能となる(サムのラストシークエンスは犬を飼ったことがある人なら全員号泣だと思います)。

この、中二に絶対に手渡してはならなかった、何の面白味も無い、原作者リチャード・マシスンへの敬意も絶無な非・荒唐無稽凡庸シナリオを書いたのはマーク・プロトセヴィッチとアキヴァ・ゴールズマンという二人だ。
仮にプロトセヴィッチを戦犯A、ゴールズマンを戦犯Bと呼称する。戦犯Aは『ポセイドン・アドベンチャー』のリメイク『ポセイドン』で既に犯罪を犯しているし、戦犯Bは『ビューティフル・マインド』で評価されていたりジョエル・シュマッカー版バットマンのシナリオ担当だったりして個人的には嫌いじゃないのだけれど、でも本当はボンクラなくせに若干「頭がいいように」見せたがる癖があるのは否めない。『バットマン&ロビン/Mr.フリーズの逆襲』を書いた脚本家が『ダ・ヴィンチ・コード』を書いているのだ。お前本当はオタクだろ!中二のくせに、中二を隠すなよ!

といった具合で、偉大なる中二監督の新星・フランシス・ローレンスのキャリアは、作品は撮れているので決してオワコンしたわけではないけれど、なんだか実に勿体ないのである。
職人監督に徹するよりも、より作家性バキバキな中二映画を観てみたかった。ザック・スナイダーで言うところの『エンジェル・ウォーズ』みたいなさ。

『アイ・アム・レジェンド』は、そんな希望に満ちた監督二作品目になり得た可能性を感じさせながら、最悪につまらない「I AM LEGEND」解釈をラストで披露し、中二の達成に失敗してみせる。トホホ。

ところで、ディレクターズ・カット版のラスト(特攻エンドじゃなくてダーク・シーカーの蝶のタトゥーを見て生かしてあげる方)は、原作のニュアンスを汲み取りつつ好みでした。

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