『ラスト・ナイト・イン・ソーホー』 アニャさんを正統に評価しないクラブなんか潰れてしまえばいい
『ラスト・ナイト・イン・ソーホー』(2021年/エドガー・ライト)
【あらすじ】
ロンドンに来たらアニャさんの悪夢を追体験する
上京残酷物語スゥインギングロンドン編。大好きエドガー・ライトが満を辞してホラーを撮ったというだけでも充分嬉しくて、ヒッチコック『フレンジー』やローグ『赤い影』、ポランスキー『反撥』にパウエル『血を吸うカメラ』、果ては黒沢清『回路』的幽霊描写まで、好き勝手に傑作を取り入れながら楽しそうに映画を撮っていることが伝わる。ちゃんと"作家"の映画なのも、彼のファンとしては嬉しい。
大変興味深いのは、本作が同年公開のジェームズ・ワンによる超絶大傑作『マリグナント』とほとんど同じジャンルの映画であるということ。
つまりは、イタリアホラーの"ジャーロ"への敬意とマナーを示す、そして、失われたジャンルを現代に再現するという試みが遂行されるフィルムなのだ。これは同時代的な現象として面白い。
個人的には『マリグナント』の完成度の方が圧勝なのだけれど、両者とも揃って「ぼくたちはダリオ・アルジェントとブライアン・デ・パルマが大大大好きです!」という愛と爽やかさに満ちている。エドガー・ライトもジェームズ・ワンも、心から信頼に値する作家だ!
夢突入前にぐぐーんとベッドシーツがでかくなるとこ、ナイフに反射する見開いた目と絶叫する大家のおばちゃんのカットバック、CGではないアナログで頑張ったエリーとサンディのダンスシーン、DQNたちがバカ騒ぎする中でヘッドフォンがもたらす静寂、オープニングで『ティファニーで朝食を』の真似する変な訛りのエリー、ロンドンで乗ったタクシー運転手に感じる男性性への不安描写、黒沢清的なフィロソフィカルゾンビな男たち、白いコートが照明によって赤いレインコートに見えるシーン(追いかけっこも含めて『赤い影』オマージュ)など、楽しいシーンがたくさんある。クライマックスは音楽も相まってホント良い。ああいった展開や幻想映像に弱い。そして切ない。
シーンごとに交通整理が成されていない箇所もあるし、女子寮のファッキンいじわる女友達や、無条件に優しいマジカル黒人青年など、単に"配置"されただけのキャラクターが多いのは勿体ない。うおおお出てくれましたかテレンス・スタンプ!の使い方も、全然ミスリードになっていなくて勿体ない。
Me Too以降のフェミ要素を取り入れた作品との評もあったけれど、どうかな、自分はそういう意味では新しい映画とは思わなかった。シスターフッドかと思うとそれも否定され続けるし。主人公の中身もほとんど"俺たち"で、現代よりも昔が好きで、それはご都合主義でしかなくて、あれでは大学一年生の少女を描けてるとは到底感じられない。オタクが考えたオタク女子、の域からは脱せていない。
そういった点で本作はステレオタイプに行き着きそうなのだけれど、映像の設計や演出は大変良かったし(特にマリオ・バーヴァっぽい照明)、ラストの展開は"ジャーロ"で犠牲になった女性たちへのレクイエムでもあって素晴らしかった。
新しいことやってるのは『マリグナント』。むしろ『ソーホー』はアンチルサンチマンというか、大人な作劇であり着地だなぁと感じた。
結局のところ、この映画の魅力はサンディでありながら、この映画を錯綜させたのもサンディだったりする。そうであるならば、エドガー・ライトは、シスターフッド、あるいはニアイコール・シスターフッドを撮る必要なんて無かったし、やっぱりブロマンスの手癖を自ら否定出来ていない辺り、覚悟が足りない。
どんでん返し以降の結末も、フィクションで何でも救えると思うなよ、なんならフィクションでお前ら救われたと思うなよ、というナラティブへの抵抗をやってのけていて、これはこれで僕は好きだけれど、でも結局エドガー・ライトは「フィクションは素晴らしくて崇高なものだ」という信仰から離脱できていないわけで。離脱できていないのに、信じ切っていないことを同時代的な新しいクリシェとしてやろうとしているのが、逆に無神経なんじゃないか?とすら感じてしまう。
アニャさんもトーマシン・マッケンジーも魅力的だけれど、それは彼女たちの存在自体が元々魅力的なだけであって、決して彼女たちは美しく「撮られてはいない」。監督の演出によって引き出された美というよりも、被写体それ自身のチャーム以上のものを信頼できていない気がした。
セットに灯されるマリオ・バーヴァな照明は素晴らしかったのに、彼女たちに当てられる照明は全然よくない。
芝居の抑制だって、全然演出が成されていなくて、彼女たちに自主的に任せている部分のほとんどがダサい芝居になってしまっていた。が、それは彼女たちではなく、OKしている監督のせいに他ならない。
初期作でのコンビ、サイモン・ペッグやニック・フロストはそれこそアドリブの天才でもあり、親友同士の仲の良さからグルーヴも掴めるだろうけれど、それと同じことをまだ若い新人女優のお二人に求めちゃダメだと思う。
エドガー・ライトによる演出が全然感じられず、ただ抑制されていない女優たちが、「意外性」のためにおっかなびっくりする「装置」として「配置」されている……。やっぱりエドガー・ライトは男の映画しか撮れないのだろうか……。
とは言え、苦言や欠点が多いことと、作品の好き嫌いや良し悪しは関係ないと考えている。あそこは良かったねー、そこは勿体ないだろー、いやー楽しかったー。僕にとってはそういうタイプの映画。これ書いてる時の顔も、笑顔ですから。
実際のロックダウン時のロンドンで撮られた、無人のロンドンの街並みを映したエンドクレジットが粋。
歴代ボンドガールが二人も出ていて、その二人とも撮影後の翌年に亡くなってしまったのは非常に哀しい。『女王陛下の007』のダイアナ・リグと『ゴールドフィンガー』のマーガレット・ノーラン。ありがとうございました……。
特にダイアナ・リグのラストショットは、そう思うと切なくて胸が締め付けられる……。いいショットだったな……。