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『劇場版 シルバニアファミリー フレアからのおくりもの』 モノは買うな!作れ!そして家族も作れ!という超過激クリエイト主義の怪作

『劇場版 シルバニアファミリー フレアからのおくりもの』(2023年/小中和哉)

【あらすじ】
ミッドサマーみたいな村で娘がお母さんへのプレゼントを熟考する

激DIY創作推奨映画かつ反資本主義映画。でありながら、ほとんど宗教的とも揶揄できるファミリー大賛美映画でもある。クライマックスなんか統一教会かよと感じた(褒めています)。結婚最高、夫婦最高、家庭最高、親最高、子は親を崇めよ、そんな思想で埋め尽くされたシルバニア村は必ず「二人身」以上のコミュニティとして機能していて、夫婦、家族、それ以外の独り身がいる場所はねえよと言わんばかりの独身村八分状態で、ピン芸人が生活を許されない。シルバニア村に住民票を移したいという気持ちと、おらこんな村絶対イヤだという気持ちが対立。

そんな独立した個人の象徴として、シベリアンハスキーのブルースさんが登場する。
シルバニア村の村人たちは、当然のように全員が種族ごとに「同じ顔」をしていて、個々を判別する材料は服装と声しかない。
シルバニアファミリーそれ自体がそういうコンセプトなのはもちろん承知しているけれど、こと劇映画にパッケージングされた途端に、その違和感は不気味さを帯びて発揮される。
個性があるようでいて、全員が同じ思想を共有し、同じ顔で生活している。ここは全体主義国家かよと震えていると、久々に外側の世界から帰省したブルースさんは、迎えられる他のシベリアンハスキーの家族の誰とも「違う顔」をしている。具体的には色と模様が異なっている。腹違いの子供なんですか……?と思って観ていると、くねくねの木と呼ばれる捻じ曲がった木を前にして、彼が台詞で説明する。
「ぼくは他の誰とも違う、特別な個性を持ちたいんだ」俺はひねくれ者と呼ばれても、この安心安全な世界の外側を見てみたかったんだ、と、高らかな個人主義を宣言してみせるのだ。
『サマーウォーズ』の侘助よろしく、彼はシルバニア村というコミュニティの外側でしか生きられない(排除こそされていないし「この村はステキだなあ」と何度も言うけれど、それが皮肉に響くくらいには外部の人間として描かれるし、外側の良さも理解している彼は一度も実家に帰らない・帰れない)。
コミュニティの外部から主人公を導く存在としてフラッと出現して、主人公の目的が達成されるとフラッと再び外側へと帰還する。
ブルースさんがこの世界の"外側"への憧れとして登場しているにも関わらず、主人公のフレアちゃんはひたすらに"内側"のコミュニティへと猛進してしまう。なんて残酷な話だろう。
村や家族よりも大事なものが外の世界には広がっているんだ、確かにこの村は素晴らしいけれど、外の世界は君にとってももっと広い、そして俺は外側の世界でしか生きられないんだ。そう主人公に言い聞かせるブルースさんに対して、主人公は「へえ、ステキだわ!」と反応するくせに「シルバニア村も家族も最高!」と、最終的にコミュニティの一部として認められ、更なる"内側"への深淵に潜ることを選択するのだ(文字通り、洞窟をくぐって、狭く、暗く、"家庭"や"愛"の象徴の目前で乱痴気騒ぎをして、コミュニティとしての一体感・連帯感を獲得する)。
その様子を妨害するわけでも肯定するわけでもなく、あくまで傍観し続けるブルースさんの眼差しには複雑な想いを感じる。こうして、ブルースさんの外側への導きは失敗に終わり、主人公はより内側=安心安全な愛と優しさに満ちた世界へと閉じこもることとなる。これはそういう風刺的な皮肉の映画なのだろうか?

たとえば「家族という名の呪縛」を描いたホラー映画に『ヘレディタリー』とか『葛城事件』とかがあるけれど、そういった作品群の正反対に位置する性善説的なファミリー肯定映画として、本作は完成されている。これは当たり前な倫理観の物語であって、欺瞞も感じないし、優れた教育映画だとも感じる(この映画を観た子供たちは必死に親の誕生日プレゼントを自作しようと頑張っちゃうと思う)。
それでも、内側の閉鎖されたコミュニティに対して何ら疑問に感じない、感じないどころか最終的に一体化してしまう主人公の姿を見て、これをホラー映画と呼ばずして何と呼ぶのか?
私がブルースのように捻くれているだけだろうか。ならば、捻くれ者で結構としか言いようがないけれど。

シルバニアファミリーというオモチャの映画にも関わらず、紙幣を支払って物品を買うという行為が初っ端に否定され、とにかく、買うな!作れ!創造するんだ!と65分提示しまくるのがヤバい。
DIY推奨映画という枠を超越するレベルで、全村人がDIYの達人・天才しかいなくてすごすぎる。
赤ん坊がトンカチを手にしている画で仰天していたら、そいつがピタゴラスイッチ的な巨大装置を自作していて(しかも何かの目的のためとかじゃなくて趣味っぽい)、その装置の最後もトンカチで爆竹を爆裂させる謎の発明すぎてめまいがした。
いとも容易く木の枝から麦わら帽子を自作してしまう器用さ。出来るもんは出来るとその工程を大胆なジャンプカットで省略していくヤバさ。

主人公の友達が、謎の稽古場みたいな自室で、謎の実験器具が揃っていて、主人公考案の謎のオリジナル巨大ラッパを数時間で自作してしまうのがヤバい。
ラッパ吹いた震動で稽古場みたいな部屋の鏡がブチ割れて、次に窓がブチ割れて、最終的に街が破壊されるところで爆笑した。
破壊兵器を作って街をブチ壊して、「ごめんなさい……」「まあ、いいよ……!」みたいな村ヤバい。警察とか司法が無い。全員逮捕だろ。

風に飛ばされた麦わら帽子があり得ないレベルで飛びまくるので、神視点な謎の意志が働いている?!と勘繰ってしまう。
主人公とシマリスくんが持ったレジャーシートが空中に舞い、麦わら帽子チェイスが空中を舞台にするところの活劇がヤバい。その際に一望される景色の中に「あ!緑の丘の大きな家がある!」と、シルバニアファミリーで遊んだことがある人が持っていたであろう家がたくさん並んでいるのがエモい。そしてそれがクライマックスの伏線として機能しているのもさり気なさすぎてヤバい。風車における落下するウサギ→救出するブルース→絡みつくロープのスピード感とアクション繋ぎがヤバい。

その時の麦わら帽子をクライマックスでシマリスのお母さんが被っているさり気ない省略のドラマチックさがヤバい。何の説明もないのに、その画を見ただけで観客が勝手にドラマを感じちゃうのがヤバい。

クライマックス手前で突然両親が婚前話をし始めて、主人公が「もうこれしかない!」と猪突猛進するキッカケでしかない唐突さがヤバい。婚前話を聞いている弟と赤ん坊の表情が「つまんねー」って感じなのもヤバい。

クライマックスで突然ジャズセッションになるのヤバい。赤ん坊の声優がののちゃんなのを一気に回収するのも製作委員会っぽくて超ヤバい。

誰が運んだか全く分からないオルガンが突然出現するの明確にホラー。

その年で最も素敵な木を選ぶ、みたいな謎の奇祭の審査員として選ばれた主人公が印刷されているチラシが、どう見ても「この子を知りませんか」なミッシングポスターで不穏すぎてヤバい。

主人公が村の行事で職権濫用、公私混同したのに全村人が「サイコーだー!」って拍手喝采、乱痴気騒ぎするのが『ミッドサマー』的にヤバい。

PUFFYと奥田民生の13年ぶりのタッグが主題歌なのヤバい。

主人公の弟が「お母さんの人形を作るんだ」とか言い出して、人形が人形を作る話?!と驚嘆していたが、そういう『ブレードランナー』みたいな話ではなかった(あの瞬間は本当にゾッとした)。

なんの意味もなく役にも立たない、マジで何のために登場したのか一切わからない主人公のお姉ちゃんが僅かなカットと台詞量で登場して、その声優が松岡茉優って、詐欺すぎるよ!!

主人公のお母さんの声優が蒼井優とエンドロールで知って超びっくりした。母すぎる。いや、蒼井優はもう母なのか……。

エンドロール後のラストショットが絵ではなくて「実際のシルバニアファミリーのオモチャ」で終わっていたら、星5にしていたかもしれない。でもそれも、オモチャなんか買うな!自分で絵を描け!クリエイティビティ最高!という小中和哉のメッセージなのかもしれない……って小中和哉監督、こんな仕事もされるんですね。もはやリスペクトです……。

友人に誘われて二人で観たけれど、客層は当然ファミリー、お子さんたちばかりで、途中で赤ちゃんが泣いたり、子供たちがお母さんと話したり、ギャハハ!と爆笑していたり、そういう空間の良さを感じるためにも、『プリキュア』然り、映画館でちゃんと観ないとなぁ、とは感じました。

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SUGI
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