希望に満ちた明日をくれ
僕が「教育」されてきたのは世界に従順である生き方であり、世界を変える術など、大人は教えてくれなかった。大人は僕らに、世界のあり方の正しさを教えるだけで、「正しく」生きていれば報われるのだと説いた。
誰かと同じように会社づとめをし、上司に毎日怒られながら、それでもこの会社にしがみつく理由はなんだろうと考えていたことがあった。結局その理由は見つからなかったし、おそらくはそんなものないのだろうと思った。会社員というのは、口では「社会を変える」などと言っていても、所詮はこの世界の「正しさ」に従っているだけなのだと思った。そして、その「正しさ」を振りかざし、そこで生き残った人間がまた下の人間に「正しさ」を強いていく。そうして「正しい」世界は再生産され、強化されていく。僕はその「正しさ」をうまく理解できなかった。少なくとも僕は、会社に、この世界に表向きは従順であったし、心まで従順であろうとすら意識していた。しかし、それもそろそろ難しくなった。多くの人にとって世界が正しいものだとしても、少なくとも僕にとっては、この世界は服従するに値しないものだと思った。僕は、いまの環境では自分の精神が腐っていくことを感じているし、精神を病んだのもその発端なのだろうと思う。こんな状態になってまで、こんな苦しみを抱えてまで、僕は会社員になりたいわけではなかった。正しさを追求した先に待っていたものは、こんな未来だったのかと考えた。
僕はこんなことを考えてしまう人間だから、結局は会社員という人種を僻んでいるだけなのかもしれない。というか、たぶんそうなのだろう。僕はこれまで優等生であろうと生きてきたから、そうなれなかった事実を受け入れられないというのもある。だが、苦しんだ先に得られるものが結局お金だけだという事実に、僕は耐えられなかった。お金などいらないと言いたいわけではない。ただ、「正しさ」を追い求めた先にあると説かれていた幸せとは、金銭という具体的で計測可能な実体でしかないと実感したとき、自分のこれまで信じてきた生き方はなんて空っぽなのかと思ってしまった。それだけなのだ。
これから、では何をすべきなのか。この世界が僕のために与えられたものではないとしたら、僕は僕で「正しい」世界を創造するしかないのか。そうであれば、どうやって?僕はいま、途方に暮れている。自分がお金以外の何を望んでいるのか、そもそも望んでいるものなどあるのか、現状はさっぱりわからない。
それでも、日々は続く。明日を希望とともに迎えること。尾崎もそんなことを歌っていた気がするが、僕にとって、いま明確に足りないのは希望だと思う。明日が希望に満ち溢れているような、そんな世界が僕にも訪れることを願って、とりあえず今日も眠りにつくことにする。
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