見たいか、見たくないか。
私は「見たい派」だ。
見られるもんなら見たいし、見せてくれるってんなら見てあげようと思っている。見せたくないって気持ちも、勿論大切にする事だって出来る。
私は「器用派」でもあるのだ。
この「●●派」っていう表現、実を言うと20代までは嫌いだった。「●●的」も含めて、何か曖昧な雰囲気を感じていたし、曖昧なのにどこか確定的で圧迫感もあり、うまく受け止められなかった。
「新アリナミン派」。忘れもしない。これを耳にした時、私の拘りがちっぽけな物だと痛感させられた。そう、あの超有名