トイレ掃除で思い出すフィンランド
少し前から、友だちとマガジンを始めた。マガジンと言っても、決まりごとはリレー形式で投稿していくこと、投稿の終わりに相手にお題を与えること、ぐらいしかない。note頑張りたいけどサボりがちなお互いの尻を叩き合うのが目的で、補助線のためにマガジンの形を取ってみた。(追記:と、ここまで書いて寝かせ(逃げ)てから早2週間...まじごめん.....)
彼女から回ってきたお題は
「トイレ掃除と、その間に考えたこと」
唐突だけど、インタビューをするときのなにが緊張するって、自分の質問で自分の質が即座にバレることじゃないですか。あるいはわたしがそういう驕った目で人を見定めようとしてるだけかもしれないけれど、質問って、だからするときはいつも緊張する。お題も同じで、思いつきのお題だからこそ人柄が透けて見えるような気がする。
記事の最後にこのお題を見たときに、彼女らしくて笑ってしまった。
久しぶりに会うってだけで花を買ってきてくれたり、おばあちゃんの庭でとれた柚子を山ほどお裾分けしてくれたりする友だちは、さりげない行いで人の心をほぐす達人で、小さな営みのなかに大事なものを見ようとする方法を心得ている。私はいつも、それがすごいなあなんて思いながら、なんでもない日に作ってもらったプリンを食べる。彼女のことだから、私がトイレ掃除からご無沙汰していたこともお見通しだったに違いない。
正岡子規は晩年、食べ物と便についてをひたすら記録した本を出版しているらしい。「仰臥漫録」。食べて出して、食べて出して、それ以上でも以下でもないんだよな、と少しほっとする。「今日もなにも生み出せなかった」と辛くなって眠りにつくけれど、まだそのサイクルを止めてはいない。なにもできなかった日でも、食べて出すことは続けてきた。大丈夫、十分生きてる。
「便座の前に座りすぎだ」と怒られたことがある。
それも、フィンランドで。
17歳と2ヶ月から18歳と1週間ちょっとまでの1年弱を、わたしはフィンランドで過ごした。上の言葉は、留学から2ヶ月ほど経った頃に、ホストマザーが業を煮やして放った言葉だった。便座の裏がよごれていたらしい。
ホストシスターと共同で使っていたトイレだった。「どうしてわたしのせいだと言えるの?」と聞いたら、「あなたが来るまでそんなことはなかった」と言われた。わたしにとっては言われて初めて気づいたことで「あ、これから直します」というくらいのものだったけど、その表情を見る限り、いつ改善されるかと堪えて堪えて、満を辞して言った言葉のようだった。
なんとも言えない居心地の悪さ選手権で言ったら結構いい線いくと思う。留学したい理由として幾度となく使った「お客さんでなく、知らない国で家族の一員になってみる」ことの居心地の悪さを知った瞬間だった。
考えてみれば、感情的に怒りをぶつけられるという体験は、家族以外の大人からされたことはあまりない。もしかすると、それをしてもらいに、留学をするのかもしれない。それをしてくれる他人を探すために、見知った顔が1人もいない、3000kmも離れた異国に飛ぶんだろうか。
ホームステイはこういう、無自覚な間に相手に蓄積させた苛々の凝固でできていたんじゃないかと思うような期間だった。
寝る前に少し本を読んでから眠りたいと思ったら、実はおやすみを言った後は文字通りおやすみしないといけない家族ルールだったとか、ひとりになりたくて部屋で日記を書いていたら、団欒の時間を過ごす気がないと思われたりとか。
いろんな護身術を身に付けた。夕食の時間は、質問に答えているだけでは十分じゃないと分かってから、その日学校であったことを話せるようにリアルタイムで頭の中にリスト化していった。送り迎えの車の中では、自分からいっぱい質問をする。ママの仕事のこと、両立してとっている修士号のこと、パパが行っている出張先の国のこと、習いたいフィンランド料理のこと。わたしがオープンで口達者になって、ホストママは嬉しそうだった。誰かに知ってもらうために感じたり、考えたりするわけではないから、ちょっと苦しかった。最初は喜ばれていた食器洗いは、いつの間にか私だけの仕事になって、やらないと怒られるようになった。
まだまだクラスメイトのフィンランド語が分からない。家に帰るのは憂鬱で、当然日本の家族にも会いたくて、学校から帰る1kmの間に脇道に逸れて森で必死に自分の時間を作ったりした。北欧の針葉樹は背が高くて、伐採された空間で切り株に座って上を見上げると、木に囲まれた丸い空がぽっかり見える。
記憶は美化されるはずだけど、6年経っても思い出すのは圧倒的にほろ苦い記憶ばかり。庭のブランコでひとり大泣きしていた頃の自分が、トイレ掃除のたんびに蘇る。
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次のお題は、「ベランダで携帯持たずに15分過ごしてみて見えたもの」! 楽しみ〜〜〜
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