『生きる』たったそれだけのことが難しい
失業してから半年。
失業認定日の手続きも手馴れてきた。
社会に雇用されてきた日々に 今、救われている。
そんな6月は心にくる出来事がたくさんあった。
今回はその1つの出来事を
残しておきたいと思って書き始めました。
人生を振り返った時
私自身、心が壊れかけていたな。
と思う出来事は、いくつかある。
それでも、それは
自分で乗り越えるしかどうにもならないものだ。
と思っていた。
今、心がしんどい。と思う誰かが
こんな私のちっぽけな記事を見つけて
読んでしまった時に
心が痛まないように伝えたいのだけど、
決して貴方が弱いと言いたいわけではない。
ということだけは
声を大にして伝えておきたい。
自分で乗り越えられる段階は
まだ初期症状で、その後がいくらでもあるんだってことを
この6月に思い知ったという話。
そして、
当たり前にある日常が
決して、当たり前ではないんだ。
ということを再確認した話。
初めて、身内以外の葬儀に参列した。
お母様と知り合いで、その息子さんの葬儀だった。
喪主であるお母様のご挨拶の中で
彼が22歳で、精神疾患者だったということを知った。
息子さんの心の病と、もう3年以上
ご家族で闘われてきたとのこと。
この1年は「死にたい」と良くこぼしていたそうで…
その話を聞いて、胸が詰まった。
もし、自分の娘が、力なく
「死にたい」と私に伝えてきたら
私はどんな言葉を渡すんだろうって…
考えても答えの出ないことをぐるぐる考えていた。
ただ、生きててほしい。
それだけでいいから。
そんなお母様の言葉に息子さんは
ただ生きる。たったそれだけのことが
苦しくて 辛くて 難しい。
と答えたそう。
精神疾患って、こんなにも残酷に
心から蝕んでいって
思考を変えてしまう怖いものなんだと
初めて知った。
葬儀場に飾られていた写真の中の息子さんは
たくさんの人に囲われて笑顔で写っていた。
スポーツと音楽が好きな人で、
人とのつながりを大切にされてきた方なんだなって思った。
直接、息子さんに会ったことは無いけど
彼が生きていたことを私は一生覚えていたいと思った。
お母様の口からぽつぽつと聞こえてくるお話に
涙はずっと、止まらなかった。
自分の命の終わりを自分で決めた息子を
私は全肯定しています。
…愛だな…
きっと後悔もあるだろうし
受け止めきれない想いもあるのに
そんな言葉を自分に言い聞かせるように
泣きながら話されている姿に言葉もなかった。
朝、起きて
「おはよう」と言って起こす。
バタバタと準備を促してハグをしながら
「いってらっしゃい」と見送る。
疲れた声で
「ただいま~」と帰ってくる。
待ってました!と大きな声で
「いただきます」
満足そうに
「ごちそうさま」
寝る準備ができて
「おやすみ」ってハグをする。
そんな平凡な日常が
当たり前じゃなく奇跡だということ。
生きていてくれて感謝。
生きていて感謝。