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祖母のお手製おはぎ


私には超かっこいいおばあちゃんが居る。


母方の祖母で、若い頃からかなり苦労をしてきたらしく
おばあちゃんは小学生に上がる頃の年齢がちょうど終戦間近だったので、警報を聞いて避難したことがあるのだと貴重な話を聞かせてくれた。


そんなおばあちゃんは、よく言う「良いとこのお嬢さん」だったので品性がところどころに感じられる。

私の母からおばちゃんのエピソードをよく聞くが、
おばあちゃんは良き母で良き妻で良き祖母である。



私が小学生の頃のおばあちゃんは、おばあちゃんなのに見た目がまったくおばあちゃんに見えなかった。

ピンと背筋が伸びていて、
親戚で集まり初詣に行った際には、おばあちゃんの歩くスピードが1番早い。

私たち若い衆は、おばあちゃんを追いかけるような形で参拝をするのが恒例である。



おばあちゃんが作るご飯は「良いとこのお嬢さん」よろしく上品な味付けで、見た目も美しく余ったおかずのアレンジもお手のもの。

そんな料理上手なおばあちゃんが、ときどき作ってくれる、程よい甘さのあんこに包まれた、餅米の塩味が絶妙なお手製のおばぎが皆んなの大好物だった。



当時住んでいた家からおばあちゃん家がかなり近かったので、幼い頃から中学校に上がるまではおばあちゃん家へお泊まりに行ったり、夜ごはんをご馳走してもらったり、おばあちゃんとの関わりが多かった。

だけど私や親戚が大人ヘ成長すると、おばあちゃん家に集まることが少なくなった。

おじいちゃんの命日やたまにある法事、お盆休みにお正月…という節目におばあちゃん家に行き「久しぶりー!」と声のかけ合いが当たり前となる。


どんなに久々におばあちゃん家に行っても、いつものようにご飯を振る舞ってくれる。

味付けは抜群、絶品ばかり。

そんな中お皿に盛られた、かなりの厚切りかまぼこや、サラダに紛れる厚切りされたきゅうりなどを最近見かける。



それにこの間、おばあちゃんが家までお手製のおはぎを届けにきてくれた。

タッパーに入っていたおはぎは最高に美味しかった。


でもかなり大き目のサイズで、あずきが餅米にちゃんとまとわりついていなかった。

「久々に作ったからあずきが上手く炊けなかった」と言っていた。



今まで、あんな厚く切られたかまぼこをお皿に出されたことはないし、サラダのきゅうりも薄くスライスされていた。

おはぎも食べやすいサイズだったし、
あずきも餅米にぽってりとまとわりついてた。



指先や視力にも、"おばあちゃん"が浸透してきてるんだ…。


最近になってようやく私は、おばあちゃんに"おばあちゃん"を感じている。



いつまでも私が子守をしてもらっていたおばあちゃんでははないのだと。

腰は曲がっていなくても、米寿目前なのにキビキビと動いてる姿を見ていたとしても。

おばあちゃんは、人間みんなが通る長ーい道を

私たちよりもずっと先を、歩いているのだと。


切なく、なんとも表現できない何かが、ぐっと心を締めつけてくる。



冷たい人だと思われるかもしれないが、我が祖母の老化をしっかり受け止める。後悔はしたくない。

関わる機会を増やし、小さなことでいいので祖母孝行をしたいなと思っている。



今年の秋はおばあちゃんの故郷へ行き、

秋祭りを一緒に見に行こうねと計画を立てています。



時間は有限だ。



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