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おひさしぶりのnoteですね

2年ぶりの日記になります。
なんかとんでもねーとこで止まってるな。


今更こんなこと書いても、誰も見てないこともわかってるし、切迫早産を抱えた妊婦さんの目に留まったら、もしかしたら不安を煽ったりもするかも知れない。

けど、こないだなんと私、2人目を産みまして、2人目も子宮頸管無力症だったのね。
ほんで、ちょっと新生児夜勤にも慣れてきて急に書きたくなったから、忘備録もかねて…


◇ ◇ ◇ ◇ ◇



思えばあの時は〝切迫早産〟をネットで検索しまくってて必死でしたね。
読み返してみると、辛かった出来事がブワーッッッッッと甦る甦る。

当たり前だよ。気が気じゃなかったよ。未熟児網膜症、聴力障害、発達障害、脳性麻痺etc…たくさんのリスクを抱えたままで産みたくなかった。身体が堪えきれなくて我が子に本当に申し訳なかった。

今産まれてしまったとして、障害を負った子を抱えながら生活できるのだろうか。稼がなくては支えようがない。稼いでいても全部を支えられない。ちゃんと子どもと向き合えるのか。

とにかく未来が不安だらけで、夜になっては病室のベッドの上で枕をびしょびしょにした日が今は懐かしい。


結果を言うと、2019dec、26w、896g、帝王切開で長女が爆誕した。

夫の誕生日とおんなじ日。

前の日に名前決めたら、よっしゃワイもう出るでと言うが如く、子宮口4cm→7cmに開き、お腹に留めようがなかった。

先生「もうどうしようもなく開いちゃってるから、今日頑張って産みましょう。大丈夫だから。パパの誕生日と同じ日に産まれたかったんだよ、きっと。」

看護師「ママのせいじゃなくてね、早く出てきたかったのよその子は。大丈夫。ここの病院は長いこと付き合ってサポートしてくれるから。」

先生と看護師さんの〝大丈夫〟にどれだけ救われたかわかんない。


もう初産で早産、帝王切開とかマジ最悪。
正産期で生まれてくる子は山のようにいるのに、何故私と娘がその隙間にハマってしまったのか。

とかもうマジさげぽよどころかグロッキーになる私。

それを見て爆笑する夫。

はぁ!?オメーは種付けするだけで腹も切らねーでいーよなぁ!?子どもの将来心配じゃねーの!?

あの時はホント夫を重機で埋めたかったし、伴侶がこんな感じでこれからの不安どころか深海2億mまで沈められた気分だった。地球突き抜けちゃう。

でも後で分かったのだが、夫は夫なりに今後の事を私より覚悟してのことだった。
産んでからが大変なのに、産む前から絶望する妻を見て一周まわって爆笑してしまったとのことだった。(それにしたってデリカシー無さすぎる)


そんなやり取りを当日にしたもんだから、手術室に入ってからの記憶はもう恐怖でしかない。

注射、点滴でさえ怖くて怖くて大嫌いな私は、終始助手の先生の手を握っていた。

今考えると非常に迷惑な話である。オペのスタッフ人数は決められているし、人員基準だってあるはずなのに、あろうことか助手とはいえドクターの手を握って離さなかったのだ。なんてコスパの低い患者だろうか。

でもあの手がなかったら、絶対に精神が壊れて乗り越えれなかったと断言できる(いやそれでも迷惑極まりないな。あの時は誠に申し訳ありませんでした)


1000gにも満たないちいさくちいさく生まれた長女の蚊の鳴くような第一声は死ぬまで忘れない。

〝ほわぁ〟

あー、生きてる。生きてた。
ちゃんと生命がお腹に入ってたんだ。

助産師さんが大事に大事に抱えて見せてくれて、目から出る水が止まらなかった。


もう、子どものこれからの成長とか、未来の生活の不安とか、いっぺんに吹き飛んだ。

とりあえず生きて出てきてくれて良かった。

頑張ってくれてありがとう。
娘も、先生も、助産師さんも、看護師さんも、みんなありがとう。

長い長い夜が明けて、ようやく手術台の上でホッとできたのでした。


帝王切開と子宮収縮の尋常じゃない痛みで動けなかった私は、2日後にNICUでやっと生まれた娘にちゃんと会うことができた。

コットの中の娘は本当にちいさくて、前腕が私の親指と同じ太さだったけど、足をバタバタさせて元気そうで少し安心した。


だけど、それも束の間。

今度は動脈開存症で、緊急手術(しかもクリスマスに)、鼠径ヘルニアで手術と、気が気でない日々が続いたのでした。

両方の手術は無事成功して、新生児科の先生には本当に頭が上がらないし病院には足を向けて寝れん。


産んだのは私だけど、沢山の人が寄り添って、真摯に対応して、娘を生かす方向に全力で動いて関わってくれたのを間近でみていて、

ああ、この子の命は私たち親だけのものではなく、この子だけのものではないなと漠然と思いました。

いつか、娘が成長して、色々な苦楽を経験して、生きたくなくなることに遭遇してしまったら、貴女の命は貴女のものだけではないから好きにしてはいけない事を懇懇と説明しなければとまで思ったほど沢山の人に生かして貰った。

そして、大事に大事に育てなければと、気が引き締まる思いにもなったことを覚えています。



そんな娘もあと3週間ぐらいで3歳です。

3歳よ。3歳。
当時の私は驚き桃の木20世紀よ(death語よ)

896gが、今は93cmの15kgになっちゃって、抱っこすると親の腰いわす重さになっちゃったわよ。

アンパンマンを見てよく笑い、
ひらがなをしっかり覚えて、
数を30まで数えられて、
名前と歳が言える、
緊急車両が大好き、
絵本大好き、
歌うのが大好き、
走るの大好き、
公園大好き、
泳ぐの大好き、
食べるの大好き、
近隣の住民に挨拶もするようになって、
igolのサンダル好きすぎて秋冬でも履きたがる、
都合が悪くなったら嘘泣きする、
都合が悪くなったら親に抱きついて「だーいすき!」って言って誤魔化す、
やりたくない事や気に入らないことには全力で拒否する(魔のイヤイヤ期)

そんな子になりました。

来年の3月に発達検査あるけど、そこクリアしたら暫く病院も行かなくて済むかもだ。でも引っかかるんだろうなー。自閉症に引っかかりそうな気がしないでもない。
友達つくるのがホント苦手で心配はしてる。保育園の先生にはよくコミュニケーション取れてるんだけど。

私と夫は、たとえどんなことが起きようと、分かろうと、この子の世界一の応援団長であることに変わりないのだ。


いやー、今があるから言えることだよって思われるかもしれないけどさ、

今の医学の発展すごい。
この一言に尽きる。

896gで産まれた子がこんな風に育ってくれるなんて思わなかった。
なんか普通に生きててすごい。

抱っこして重みを感じるたびに思う。
いつまでも娘がもういいって言うまで抱っこしたいから、筋トレ頑張んなきゃなって思える未来を2年前の私は想像も出来なかった、ホントに。



あんなこんなで、色んな人に救われて、娘は非常に運が良かったと思ってる。

願わくば、世の切迫早産のママさんとその子どもたちが、よい医療機関とよい縁を結べますようにとこっそり此処で祈っている、くたくたのうどんなのでした。

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