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東京に移る友人って、なに?

私でも友達はいる。と、突然の切り出しに違和感があるのは、友達がいないなんて語ったこともないからでしょうか。

コトバを使う仕事柄、繋がりのある人をカテゴリー分けしています、心の中で。

下層は一括りの「知人」「知っている人」。中間層は「知り合い」。友情を感じる層は「友人」「友達」。その中でも最上位が「腐れ縁」。この「腐れ縁」に属する友人が、本人の希望もあり、仕事のため単身東京に移ることとなりました。年齢は私と同じ。妻子もいるので、生活の基盤もしっかりある。いやー、思い切ったことをするなと思うのです。

場所に縛られないノマドという働き方もあります。でも、それはまだまだ個人ベースの話。家族というコミュニティを背負っている人に当てはまるとは言い難い。仮に彼の家族でいえば、奥様のコミュニティーもあり、子どものコミュニティーもある。それらをネットを通じた接点のみで成立できるのか。そもそも、リアルな繋がりが重視される地方のコミュニティで地に足をつけない姿勢が認めてもらえるのかなどなど、物理的に、情緒的に、解決していかなければならないハードルがいくつもあるのではないかと思うのです。

それゆえの単身ではあるのだけれども、慣れ親しんだものを一旦捨て、退路を断って、そこに飛び込んでいく。人生は、確かに一度きり。悔いを残さない行動に移る、この勢いというのか、気概というのか。挑戦する姿勢にリスペクトしてしまいました。

行動を自由に決めることができるフリーランス。その一人である自分は、これからどのように仕事をしていけばいいのか? 悩んでいます。実際、地元から離れたクライアントの仕事もやっていますが、地域は限定されています。世の中は広く、深い。この広さと深さの中では、私のことを必要とする人や企業は、もっと、もっと、たくさんいるはずです。そういう人たちと繋がり、力になれたら。

友人は、本当にありがたい存在です。自分の中に、外に、置き去りにしていたモノゴトを、最適なタイミングで気づかせてくれます。彼の行動を見守りつつ、彼にアジャストしていける「腐れ縁」の友人として、自分も行動してければと思います。


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