ポケモン剣盾に無数に散りばめられるめちゃめちゃ繊細な配慮

ポケモン剣盾がエモすぎる。
発売日の夜からかじりつくようにやってるけれど全然飽きない。毎日、職場に向かう頭の中では戦闘中のBGMがぐるぐるリピートしてる。キャンプ中に満面の笑みでこちらへ近寄ってくるゲンガーが愛しすぎる。まだストーリー全然進んでないけれど、にわか中のにわかなんだけれど、これだけは言わせてください。

剣盾はいいぞ…!!!

さて、この剣盾だがやっぱり全世界向けのコンシューマーゲームとだけあって、あちこちに「大人の配慮」が散りばめられてんな〜と感じたので、今日はそれをまとめてみます。

1.悪役の不在

まず、ロケット団みたいな「悪の象徴」が「エール団」というめっちゃマイルドな存在になってる。彼らは「自分の推しを応援したい気持ちが強すぎて周りに迷惑をかけてしまう」という、言わば現実世界やついったらんどなどそこら辺に溢れている存在だ。

言ってること、やってることもすんごくマイルド。甘甘の甘。その上、すぐさま反省してくれる。なんていうか、けっこういい奴じゃん、お前ら。

2.ブラックジョークが少ない

NPCの発言もけっこう前向きだったりする。覚えている限りでも「仕事して帰って大好きなポケモンバトル見て、俺って幸せ!」とか、「できないことよりできるようになったことを数えればいいよね!」みたいなどこぞの啓発本に影響されてそうな発言とか、ポジティブなものが多い。

(そんな中で「お?ブラックジョークか?」と思ったのはホテルのロビーにいるおじさん。日がな一日テレビモニターの前に座り、話しかけると「チャンピオンリーグの一部始終が見たくて仕事を辞めた」的なことを言っている。のにもかかわらず、おじさんの目線の先にあるテレビモニターは電源が入ってない。定年後にやることがなくなってしまった仕事人間のおじさんを暗に示唆してるとしたら怖すぎる…。)

3.ライバルもいい奴

そして最大の衝撃は「ライバルがいい奴すぎる」ことだった。まず最初のポケモンチョイスで先に選ばせてくれて、自分はあえて私が選んだポケモンに弱い属性の子を選んでる。知識厨で当然のごとく相性とかも熟知してるはずなのに…
その上、どんなにボコスカに叩きのめしても「俺たち、良きライバルとしてお互い頑張ろうな!」のスタンスを絶対に崩さない。
さらにさらに、嫌味っぽく見下してくるちょっと嫌なキャラ(←彼も背景があって本当はいい奴)がいるんだけれども、そいつに負けて自分の家族をバカにされてはちゃめちゃに落ち込むが、周りに八つ当たりはしない。んで素直に自分の弱さを認めて、強くなろうといろいろ試行錯誤する。

え、主人公すぎない…?
むしろお前が主人公だよ、今作は。

とまぁ、基本いい奴しかいない優しい世界だ。

「優しい世界」すぎる

ここで初代〜金銀くらいまでプレイしたぜ!っていう中年たちは少し違和感を感じませんか?ポケモンってこんなに夢と希望に溢れたゲームだっけ?わりとブラックな空気感とか裏設定とかが隠し味じゃなかったっけ?

なぜここまで夢と希望のアドベンチャー感が強まったのか。その原因を独断と偏見で考察してみた。

理由①プレイヤーがいい大人

初代のファン層がすっかりいい大人になって、なんなら子どもと一緒にプレイすることも考えられるので、ファミリー層への配慮という点があると思われる。あと、大人たちは現実世界で嫌な奴と戦っているので、ゲームの世界でまでそんな奴と絡みたくないのではないか。現実世界で疲弊した心を、ゲーム内のとっても親切な人たちに癒してもらう効果があるのでは、と思う。

理由②キャラデザがリアルすぎる

昔はドット絵で表情や仕草はほぼ皆無だった。だからこそ、ニヒルなブラックジョークもさらっと流してクスッと笑える空気感があった。ところが最新ゲームのキャラクターはみんなヌルヌル動いて表情もすごく豊かだ。リアルな人に近すぎる。そんなキャラクターがブラックジョークを言うと、やっぱりなんだかリアルなものに感じられてしまうのではないだろうか。

理由③失敗が許されない

今やポケモンといえば世界的なゲーム、アニメになっている。これだけ注目度が高いと、何かあったときに一瞬で燃え広がって会社ごと吹き飛ぶリスクも十分に考えられる。そう思うと一部層を狙ったブラックジョークなんか入れる余地は1ミリもない。これ本当に、人権や性問題、動物愛護観点とか制作側は尋常じゃないレベルの配慮を行なっているのだと、普段からそんなに気にしていない一般人の私でも少し感じるとレベルだ。いろんな識者がいろんな角度からチェックしてるんじゃないかなと思う。

これだけ世間からの期待と厳しい目を向けられながら、誰も傷つかずに楽しめるゲームになっているのはもはや奇跡だ。制作背景を考えるとストーリー5周ぐらいして、噛み締めて味わいたいなと思う。

その反面、創作の世界だからこそ許される表現とかは守られていってほしいなぁと思うのも事実だ。

見る側の「こういう表現は許せない」というデッドラインと、作る側の「これはフィクションで、こういうことが伝えたいから」という意思表示とを共通言語化するコミュニケーターがいると、お互いにもっと自由度が高くあれるのではないかな、と思います。

最後に一言だけ。
剣盾はいいぞ…!!

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