19年末のポルトレ
今年は様々な地へ旅した。徳島、アイスランド、沖縄、熊野、伊勢、フランス、アメリカ。移動して、その土地で生活をした。遠隔で、東京の人々と仕事をした。毎日を大事に生きてきた。
いい顔になったな、と好きな人たちに言われるようになった。自分でもそう思う。パートナーの弥恵が、時折り、私の絵を描いてくれる。私の顔は目が大きくて、丸顔で鼻が低く、眉毛が強くて、愛嬌がある。
スタジオジブリにいた頃、宮崎駿さんと鈴木敏夫さんが、神妙な趣きで「ジョーの顔は何かに似ている」と話し合っていた。描いて見せてくれたのは、杉浦茂という漫画家の絵柄だった。先日、鈴木さんに会ったときに、「昔の顔に戻ってきたよ」と褒められた。鈴木さんは私の二十歳すぎの頃から、10年間、私を知っている。
身体を大事にできるようになった。きっかけは、13年からパートナーができたことで、また、19年に入って人形劇の勉強を始めたことが大きい。私の身体はパートナーにとっても大事だし、演者としての私の身体は、人形劇を見る子どもや大人たちにとっても大事だから。私の身体は、私だけのものではない。そうした感覚が芽生えたことで、朝起きたら白湯を飲み、朝昼晩と食べすぎず、外から帰ってきたら手を洗ってうがいをして、風呂上がりには身体を伸ばす運動をするようになった。不思議だし必然なもので、自分の身体が個のものだけでなくなると、自然や人間についても身体の底から考えたり感じたりするようになった。
パソコンやスマホは頻度を下げた。私の10年前を知る人たちは驚くだろう。紙とペンで生きている。もちろん、仕事のために、パソコンもスマホも必要だが、振り回されることは減った。ついついYou Tubeを見てしまう癖は相変わらずだが、自分が本当に観たいもの・聴きたいものだけを見るようになった。
フリーランスになったこの2年間で、3つの会社と長く付き合った。ひとつはゲームのベンチャー企業で、会社の立ち上げと経営に参加し、作家さんのエージェントとして動き、編集・プロデュース・総務・人事も行った。昔、実写映画のプロデューサーをやっていたときに気付かされたことで、私は30人以下の集団のひとりひとりについて考えるのがとても好きで、それをもとに対策を打つことが得意だ。出版、アニメーション映画、実写映画、と携わってきて、ゲームは初めての領域で、これまでの経験を活かすことができた。
ひとつの会社では、ゲームのシナリオの編集を行った。ひとつの会社では、日本の作品を海外へ展開する仕事をした。期間が短い仕事としては、鈴木敏夫さんへのインタビュー記事を書く、というものもあった。10年ぶりの取材で、準備も本番も、とても幸福だった。
仕事で関わった人にしばしば言われるのが「ジョーさんと働くと、自分がまともになる」ということだった。東京で働くことは、良くも悪くも、人や時間や情報によって、様々な影響を受ける。私もテレビ局で働いているときは、特にそうだった。私が忙しいとき、パートナーは様々な場所へ連れ出してくれた。はじめの頃は、イヤイヤついていった私だが、次第に、旅先での自分を好きになった。東京の人々とリモートワークをする上で、私が旅先の島のような存在になっていたら、嬉しい。
自分にとって大切な絵や本や映画や舞台と、この10年でいくつも出会った。今年は海外の美術館へいくつも通った。有難がるタイプの美術展と違って、フランスのオルセー美術館やルーブル美術館、アメリカのボストン美術館やMoMAでは、絵たちへ差別が無かった。それが心地よくて、何度も会いたくなる絵に、会いやすかった。自分にとっての絵の見方のようなものが生まれたので、それを言葉にして人に話してみるが、ナンノコッチャ分からない、という感じなので、文章にするのはやめておく。
今年の春分は沖縄の伊平屋島にいた。伊平屋島・伊是名島を一緒に旅した数人の男女とあの光景のことを思うと、やさしい気持ちが溢れてくる。夏至の日は、伊勢に住む友人夫妻とともに、パリにいた。旦那さんのJun Lenonのライブに参加し、その後、セーヌ川沿いに音楽の日を回った。自分の意思で、ひとつひとつ実現していく強さを思った。秋分の日は、奈良の東大寺へいき、川内有緒さんのイベントに参加した。矢萩多聞さんという方と知り合い、アメリカへ行く前に、金沢の図書館で開催された彼の全仕事が見られる展示を見に行った。形にして残ることへの実感を得た。そして、週末の冬至の日を迎えるにあたり、伊勢・鳥羽へ行き、京都に戻って、この文章を書いている。
ポルトレとは、ポートレイトのことで肖像。17世紀のフランスのサロンでは、自分や他者の外面や内面を文章で書き合った。それにならって、私も2019年末の自画像を文章で書いてみようと思った。
冒頭の写真は今年の年明けに過ごしたアイスランドにて。「今年はスゴイ年になりそうだな」と、オーロラを見ながら思った。確かに、そんな年だった。