コーチ・経営者「伊藤守さん」年表
今回もワンキャリアさんで取材をしました。前編・後編 で2万字強です。ワンキャリアさんとの仕事は、「自分の仕事」について考える20代という明確な読者がいるので、本当に面白いです。
取材にあたっては伊藤さんの著作を読みながら、年表をつくっていました。年表をつくると、自分との重なりがどんどんと生まれるので、私は大好きです。一部をご紹介します。記事を読む助けになれば幸いです。
年表
1951年
・山形市生まれ
・「わたしは、幼稚園の入園試験のとき、それまで出会ったこともない、おしゃまなガキどもに圧倒され、不覚にも泣き出してしまい、試験に落ちました。親はといえば、わたしを訓練していなかったのが原因と、それっきりにしてしまい、わたしはそのまま幼稚園には行かなかったのです」(『こころの対話』より)
・中学生Oくんの家でのお弁当開きでの出来事、おばあちゃんとの二人のお弁当開き
1960年
・妹が生まれる(9歳違い)
・犬のドルとの関係
1963年ごろ
・「わたしがもっとも影響を受けたのは、小学校の4年〜5年にかけての担任の先生です。彼はよく自分のことを話してくれました」(『こころの対話』より)
1970年
・日本大学 商学部 経営学科 入学
1975年(24歳)
・日本大学 商学部 卒業後、商社に勤務
1976年(25歳)
・「わたしはどうも会社勤めが性に合わなくて、大学を出て一年後に、友人と会社をつくりました」(『こころの対話』より)
・数人の仲間が社員。お寿司事件。
1978年ごろ
・「コミュニケーションのトレーニングに参加。20歳そこそこの女の子、そして妹との出来事」(『こころの対話』より)
・「伊藤さん、あなたって、人の話を聞かないひとですね」
・「おにいちゃんて、いっしょにいても、いない人」
・「自分の中で、何かが大きく崩れ、自分でもどうしていいのかわからない状態が続きました。わたしにとってはじめての、ほんとうに「聞いた」体験。妹とのほんとうのコミュニケーションの始まりでした。それ以来、コミュニケーションが、わたしたちの生きる目的であること、コミュニケーションの可能性がまだまだ無限にあることをわたしは確信したのです」
1980年(29歳)
・株式会社iBDを設立し、コミュニケーション、心身の健康などに関する研修・教育事業および研究を始める。コミュニケーションをテーマとしたセミナーを開始。
・「仕事がら何人かの人にカウンセリングをします。もう少し自分を成長させようとか、自分の会社をもっとよくしていこうなどと思う人に対してのカウンセリングです」(『こころの対話』より)
・「コミュニケーションに関する自己啓発、心理臨床のトレーニングのセミナーを主催」(『格差社会スパイラル』より)
1984年(33歳)
(株)ディスカヴァー・トゥエンティワンを設立
1987年ごろ
・この頃にご結婚か
・「実感を創り出すために、断食をしたり、サイレンス(話さない)を試みたり、いくつかのからだをつかったエクササイズを行ったりしてきました」(『こころの対話』より)
・「確かに、心の平和は訪れました。ものの見方や考え方がフレックスになったように思います。もちろん、特別な体験もありました。しかし、少し経つとすぐにまた、同じ疑問が押し寄せて来るのを感じたのです」
・「私が探しているものは、どうもたったひとりで見つけられるようなものではないらしく、また、簡単に教えを乞うようなものでもない。求めている答えがどこかに用意されているわけではなく、それは、「いまここで」の関わりの中にあるらしい。それが、わたしがたどりついた結論でした」
1992年(41歳)
・息子さん、誕生(「こころの対話(3歳)」「もしもウサギに〜(10歳)」より)
1995年(44歳)
・(株)キャッチボール・トゥエンティワン・インターネット・コンサルティングを設立
・インターネットのプレゼンスプロバイダ事業を始めていた。
・『こころの対話』(講談社)
1996年(45歳)
・「coach」という言葉と出会う。
・「一枚のファックスで紹介され、「coach」で検索。代表者にEメールを書いた。1年近く週に3、4回の頻度で」(『コーチングマネジメント』より)
・「私にとって、もっともセンセーショナルだったのは、「コーチ」というネーミングです。私は「コーチ」、「コーチング」というネーミングそのものが、教育におけるイノベーションであったと思っています。「コーチ」という言葉によってもたらされる「明るくて活動的、シンプル、可能性、目的志向、自由度が高い」などといったイメージが、これまでの教育に対するイメージを一新したと思います」(伊藤守インタビューvol.1 「コーチングとの出会い」より)
・「1996年当時は、集合研修のほか、アクティブ・カウンセリングやプレゼンスカウンセリングというネーミングで、ほとんどOne on Oneコーチングに近いことを始めていました。ですから、すぐにコーチングの導入を決定し、実際に導入する過程はとてもスムースなものでした」
・「コーチ」を付け始める。最初のコーチは、デービッド・ゴールドスミス。
・「以前は私もタバコを吸っていましたが、今はもう吸わなくなりました。特に彼から注意のようなものがあったわけではありませんが、コーチングを学んだり、自分がコーチになろうと思った時から、新しいゲームプランが持てたように思います。それまでは今よりも難しいゲームプランで動いていたように思います」(『コーチングマネジメント』より)
1997年(46歳)
・(株)コーチ・トゥエンティワンを設立。
・日本初のコーチングプログラム
・アメリカのコーチ・ユニヴァーシティと提携し、コーチ・トレーニング・プログラムを開始する。
・8月 デービッド・ゴールドスミスを日本に招く
2001年(50歳)
・(株)コーチ・エィを設立。代表取締役社長に就任。
2002年(51歳)
・トロント在住のダグ・クラークをコーチに就ける。
・「もともとはボートのコーチで、オリンピックの強化選手や大学の選抜選手をトレーニングしていました。現在は、トロントの銀行や金融に関する企業のエグゼクティブを中心にコーチをしています」
・『コーチング・マネジメント』(ディスカバー)
・『もしもウサギにコーチがいたら』(大和書房)
2006年(55歳)
・新しいコーチ。ハーレーン・アンダーソン(3人目)
・ヒューストン在住、女性
2007年(56歳)
・(株)キャッチボール・トゥエンティワン・インターネットコンサルティング、(株)コーチ・トゥエンティワン、(株)コーチ・エィの代表取締役会長に就任。
・『格差社会スパイラル』(山田昌弘さんとの共著)
・取材者の佐藤譲は、2005年に大学入学、2009年に大学卒業。本に書かれている「今どきの若者」は、まさに自分のことだった。
2020年(69歳)
・現在は、コーチ・エィの取締役、ディスカヴァー・トゥエンティワンの代表取締役会長を務める。
・10月、ワンキャリアにて、佐藤譲から取材を受ける。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?