読書まとめ『意味がない無意味』(千葉雅也著)
淡い桃色の装幀に金色で書かれたタイトル。ひかえめだけど存在感がある。書店でなんとなく目に留まった、千葉雅也氏の『意味がない無意味』を読み終えたので、感じたことを書き留めます。
読み終えたとは言いつつも、わたしは哲学や社会学にそれほど明るくなく、きちんと理解できたといえる部分は全体の1割にも満たない気がします。
しかしながら、理解はできなくても、千葉氏が使う言葉のユニークさ、音のつながりの心地よさのおかげか、途中であきらめることはなく、不思議と読み進めることができました。
千葉氏が日々の生活の中で感じられてきたであろうことを、哲学的視点で、千葉氏のオリジナリティあふれる言葉で解説されているエッセイです(わたしはエッセイだと認識したのですが、ちがっていたら申し訳ないです)。
今回は、理解できた1割の中から特に印象的だった一節を紹介し、わたしが感じたことを述べたいと思います。個人的かつ雑多な感想になってしまいますが、お読みいただけますと幸いです。
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意味も解釈も答えもなくていい。言語化できなくてもいい。時として「きちんと」していない場合もあっていい。生煮えでもいい。そんなメッセージを感じました。
ビジネスでは意味のないものは認められないし、何かしらの意見(自分なりの解釈)が求められます。自分の考えを述べることは大切ではあるけれど、「すべての事物に意味がある。人間のすべての行為には意味がある」ということを、あたりまえだと思わなくていいのかもしれません。
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「努力すれば、不可能なことはない」と信じ、努力を重ねてきた人もいるでしょう。それはとても尊いことだと思います。しかし、自分の意思で決めたと思ったことでも、偶然、その意思を抱くような環境に自分がいただけかもしれない。
たとえば、「努力したおかげでこのポジションを勝ち取った。自分の力で成し遂げたことだ」と思っていても、努力を続けられる環境にいられたことは偶然のできごと。努力できるような健康的な体でいられるのも偶然。努力するという行為を知っていることさえも、偶然といえます。
人生の中で、ほんとうに自分の力だけで成し遂げたことなんて、ほとんどなくって、すべての事象は偶然の産物なのかもしれません。
自分の力を過信してはいけないし、自分は最前の判断ができるなど思い込んではいけないなと思いました。
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「無関心的などうでもよさ」には優しさがないけれど、「相手とのいい関係性を保つための、どうでもよさ」は、少し優しさを感じます。
完全に信じるわけでもなく、かといって、疑うわけでもない。「どうでもいい」という姿勢が、自分にとっても相手にとっても必要な時があるのかもしれません。
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以上、『意味がない無意味』の感想でした。うまく言語化しきれなかったところもあり、雑多で稚拙な感想になってしまい、申し訳ないです。
本書をお読みになった方で、「こういう考え方もあるんじゃないかな」「わたしはこう思った!」などのご意見があれば、コメントやメッセージをいただけますと大変励みになります。
また、「本書を読む前にこの本を読むと、もっと楽しく読めるよ」といった、おすすめの書籍があればぜひ教えてください!
お読みいただきありがとうございました。
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