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【英コロナ禍】差別の連鎖。気づけてよかった。
"What the f**k are you still doing here, we don't want you in this country!":「まだこの国にいるのか、お前なんてこの国にいらないんだよ!」
"Can I be very rude? Could you possibly disappear ?":「失礼してもいいかな、消えてくれない?」
まず、汚い表現を載せてしまいお詫び申し上げます。
しかしこの二つのセリフ、私がイギリスでコロナが広まり始め、食料調達の為に買い物に出掛けたときに、道端で知らない地元の人々に実際に言われた言葉なんです。
一字一句覚えています。衝撃的でしたから。
中々な言われようですよね。うん。怖かったですね。とっても。正直、最初の方のセリフ言われたときは「あ、殺されるかも」とまで思いました。
それはもう鬼のような形相のおっさんに顔面睨まれながら怒鳴られたわけですから。
アメリカの某大統領がチャイニーズウイルスなんて公の場で言ってしまったことに後押しされたのか知りませんが、東洋人一括りで「中国人=コロナをイギリスに持ち込んだ迷惑な輩」という認識が地元の方々に強くあったように思います。
中国の方々に大変失礼だし、私のような一東洋人もこれには苦しめられました。コロナが世界的に流行した責任はこの国に、この人種にあるって、誰もが怒りの矛先を向けられる犯人捜しに夢中になっているようでした。
そう、そんでもって私の主観的に分析すると、結果的に私たち東アジア人がそのスケープゴートになったわけです。
誰も100%確証をもってコロナがどこでどう始まったかなんてわかるはずないのに。
ニュースで連日発生源について武漢、武漢流れていたので、通りを歩けばすれ違いざまに「Wuhan(武漢)」と呟かれ、
カフェでコーヒーを飲めば近くのテーブルの若者たちが大声で「コウモリ食うやつって頭おかしくね~!?」といきなりコロナの話(なのか?)を大声でし始める。
外に出れば、確実に何か嫌なことが起こる。
そんな風に思い始めたのは、ほんといつ頃だったかな。信頼できる友人がそばにいてくれたので耐えられましたが、一人で出歩くことは極力避けていました。
まさか留学先で自分が家にこもることになろうとは。
キャンパス内でも、東洋人に対するハラスメント等がしばしば報告されるようになり、その中には警察沙汰になりかねないものもありました。
自分がこういった嫌悪の標的となると、やっぱり考えてしまいますよね。
「なんで私が」、って。
かなりのストレスですよ、そりゃ。
私だって私にとっては莫大なお金を払ってこの場所に来ていて、人生において大きな挑戦のつもりでこの国に来たのに、肝心の大学はストライキとロックダウンが相まって始まって三カ月程度で閉鎖。
その後のオンライン講義のシステムが整うまで、かなりの時間を要しました。もちろん失われた期間分の多額の授業料は返ってこない。
自分が期待していたもの、思い描いていたものと、あまりに違う。
その違いは自分の努力不足だとかの内的要因ではなくて、自分には手出しできない外的要因。
もちろんこれらは自分だけに起こっていることではない、みんなつらくて、みんな我慢している。自分なんかより、もっと苦しんでいる人がいる。人の命に関わる問題なんだ。文句なんて言ってられない。
ずっとそう自分に言い聞かせて折り合いをつけようとしていました。
こんなメンタルの中、生きていくために買い物に出れば冒頭のようなことを言われるんです。結構追い詰められました。
そして気づけばこんな風に思っていたんです。
「なんで私がこんなこと言われなきゃいけないの。私は中国人じゃない!」
・・・・・え、私今、中国人への差別を肯定した?
自分は日本人だから、差別される対象ではない、って思った?
そう自分で気づいたとき、とてつもない自己嫌悪感に襲われました。
自分が差別の対象となることから逃れるために、中国の方々への差別を無意識のうちに肯定していたのですから。
日本で暮らしてきて、自分が差別の対象になるような経験なんてしませんでした。
大学の派遣留学で行ったカナダでも、現地人に少しからかわれることくらいはありましたが、ここまでヘイトのこもった言動や態度を向けられ、実際に自分の身の危険を感じたことはありませんでした。
自分が差別の対象から抜け出そうとする余り、あまりにも自然に他者への差別を肯定した自分の感情の推移にゾッとしました。差別すること自体が問題で、その対象が誰であろうがそれを認めてはいけないとわかっていたはずなのに。
追い詰められて感情が思考を先導すると、無意識の内にとても恐ろしい考えや非道徳的な観念に至ってしまうことを、身をもって体感しました。
気づけてよかった。本当に気づけて良かった。
これに気づけていなければ、私は表面では差別を批判しても、実際に自分がその対象になると保身のために他人を差し出す偽善者としてこれから生きていくことになっていたかもしれない。
もちろん、この経験一つで私は偽善者ではない!と主張するつもりは毛頭ありません。人生において何が起こるかわからないし、世界ではもっと大きなスケールで命に関わるような差別が日常的に起きています。
あるいは人種差別に関わらずもっと身近なところで、例えば学校でのいじめや、会社での人間関係にだって類似した事柄なのではないでしょうか。
この経験から学んだことは、本当に今後の人生を生きていく上でためになったと自負しています。
たとえ大元の差別を食い止めることにまで力が及ばなくても、
一個人として、差別の連鎖を作り出してはいけない。
これからも、ずっとこれを心にとめて生きていこうと胸に決めました。
お読み頂きありがとうございました。