#325 人生は逆算思考しないの?
こんばんは フミオです。
お盆の前の土日、ちょっと長いおやすみですね。私も、昨年までのお盆と明らかに違います。今までは、お盆の最中も仕事と勤務のことを考えていました。
しかし、今年は、お盆に仕事していますが「気持ちはお盆モード」です。何年かぶりに、「お盆」を感じています。違いがわかないけれども、仕事のこの先や数字のようなものを追わなくていいからでしょか?
しかし、仕事をリタイヤして60歳から75歳まで、収入を得る3本柱の1は目途が立っていないので、のんきにしてはいられいのに「お盆」気分もないですよね。
かなり長く自分のことを書いてしました。本日のnoteは、「お盆の帰省で気づく親の介護問題」についてです。
■お盆の最中の相談
お盆の時期は、世の中はお盆モードで働いている人も少ないので介護の仕事もちょっとお盆気分です。としばらくは感じていました。
しばらく前、10年も前は、6月から9月まで、熱中症や脱水で自宅で倒れた高齢者の申し込みやお盆の帰省中に親の変化に気づき相談がありました。
現在は、その頃に比べても、施設も増え、家族の事前対応などもありそんなことも少なくなってきた印象もあります。
しかし、高齢する日本!85歳以上の要介護認定率は57%の状況です。
元気高齢者が増えても、独居、老々世帯、遠距離家族はこれからも進むので
これからが再びお盆中、その後の家族相談が増えるのでは?と思います。
■人生100年時代に、老い支度は進んでいるのか?
個人的な感想です。エンディングノートとか、終活、おひとりさまと言葉はネットの世界ではよく見聞きします。しかし、終末期のイメージができないためか?
(わたしの理解が足りない)ことも含め、人生100年(歳)に向けて考えている人が多い印象を勝手に思っています。また、実際、行動する高齢者やその家族もないからかもしれませんね。
どんな終末期を希望しますか?と問われると概ね皆さん「ピンピンコロリ」と言われるように思います。
ピンピンコロリとは、「病気にかからず、元気に長生きして、ある日突然なくなること」です。
元気なある日突然なくなることは、交通事故や災害的なことでの死亡か、入浴中の死(ヒートショック)とかになりますか?私の知るところでは概ねピンピンコロリはないです。
むしろ突然死に至るのは、高血圧・糖尿病・脂質異常症・喫煙・肥満からの心疾患や脳卒中のようにジワジワ悪くなり、その延長でコロリとなる死に方の印象です。
いろいろなものに向き合いながらの終末です。だから、考えていくことが大事だと思います。
■こんな考え方をしてみました。
要介護度の認定率は、85歳以上の人口全体の57%と出ています。健康寿命から10年前後を加えたのが平均寿命になるので、95歳ぐらいまで生きるというようなイメージになりますか?
・95歳で亡くなる
・要介護状態が85歳から
・75歳~85歳が年金ぐらし
・65歳~75歳までが、労働と年金とSNSでの収入、老後のLIFE
キャリアの時期
こんな感じです。このイメージを高齢期のトラブルに重ねていくと
➀自立して生活が営める 65歳から75歳まで
②家事などの日常生活行為が難しくなる 75歳から85歳
③入院して、医療処置を受ける 要介護状態85歳~
④退院後の生活をリセットする 要介護状態85歳~
生活拠点の変更や終末期に関することを考える
⑤95歳亡くなる
しかし、③では、私自身の意向は、その時聞かれても分からない。聴いてもくれないかもしれません。だから、決めておく必要がある。理由は、簡単、身近な家族と一緒に暮らしてないので、意向を相談したり、暮らしの中でこどもたちが推察できないから・・・。
■間違った判断は、苦痛な医療と苦痛な身体状況の継続
医療の判断は、親の意向がある場合とない場合とでは、家族の気持ちは複雑な思いになると思う。
親の判断があり、医療を中止する場合は、家族と親の距離感や生きてきた思い出に子どもがどのように折り合いをつけるか?ではないだろうか。
親の判断がない、医療の判断をこどもたちに委ねる場合は、先ほどの折り合いに、さらに、こどもが「親を殺した」という気持ちになるかもしれない。
しかし、考えて欲しいことは、もう一つ「苦痛」があるかもしれないということ、親は身体を無理に生かされるという苦痛に耐えているかもしれない。と考えることもできるのではないか?
■お盆にふるさとの親に会う機会
今年も暑い夏です。久しぶりに会う親を歳を重ねていきます。85歳になる前の75歳から、もしかしたらその前から親の身体変化や生活の変化を気づける少ない機会と思います。
・健康な時から人生観や死生観をもとに「自分は何を大切にしているのか」「どのような人生を歩みたいか」について、ご先祖の話からしてみるのも必要だと思います。
・そして、万が一の時に備えて、どのような医療やケアを望んでいるかについて、親の気持ちを中心に家族と話しておくことへ徐々に移っていく。
・さらに、85歳になった頃には、「以前、こんなこと言ってたことあったけど・・・」と尋ねてみる
※当然、家族の気持ちも一緒に変化しています。話し合い続けてみてはいかがしょうか?
■今日のnote
お盆という季節と親の老いを感じたり、家族が集まる時期です。夫婦2人の私の家も帰省したこどもとそんな話ができたらなと思います。
これも、大人の社会人になる一つの通過点のような気持ちと、何が起きるかわからない社会なので話しておきたいとおもう最近です。
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