30歳になった日
ついこの間、当時流行っていたmixiの日記に
ハタチなんてなりたくない!これは、ピーターパン症候群だ!
なんて書いていた気がするのに、気付けば30歳になっていた。
昔感じていた30歳は、ひどく大人で、何でも知っているようなイメージがあった。
だけれど、いざ自分が30歳になってみて思う事は、ハタチになりたくない!と宣っていた頃と何一つ変わっていないのだ。
周りの環境は嫌という程変わり、婚姻していたはずが離婚をし、当時幼子だった子供達は小学生の高学年を迎えていた。
けれど自分自身は何一つ変わっていない。
日々の体力の無さや、アイメイクをする時の目のたるみは実感するが内面に関して言えば全く大人になりきれていない気がするのだ。
子供の時から好きな駄菓子は今も好きなままだし、
小さな時に培った妄想癖は、治るどころか悪化しているし
昔から好きなキャラクターは今も大好きなままなのだ。
なのにただ、毎日を必死に過ごしているだけで人は歳を取る。
どれだけ抗っても、どれだけ否定しても誰でも平等に。
昔から、私は誕生日が嫌いだった。何も特別な事もなく誕生日パーティーは毎年同じ誕生月生まれの姉との合同のもの。
バースデーケーキも甘いものが好きではない私は喜んで食べていた記憶もないし、プレゼントだって貰ってはいたけれど、不思議と誕生日当日に貰えた事もない。
どうして周りがそんなに誕生日に固執するのか分からなかった。
結婚していた時も誕生日だからと言って特別な事なんて何もなくて、プレゼント?ああ、好きなのを買ってこれば。の一言で終わり。
結局所持金が減るのが嫌で買わなかった事なんてザラにある。
だから、誕生日で浮き足立つ周りが苦手だった。誕生日で喜んでいるのなんて、きっと一握りなんだろうと思っていた。
そんな思いはきっとこの先も変わらないし、ずっとこのままなんだろうと思っていた。ほんの数年前まで。
けれど離婚する少し前に出会った彼が、そんな私の価値観をガラリと変えた。
初めて彼に誕生日を祝ってもらった時、人はだから、誕生日を有り難がって喜ぶのだと初めて知った。
前日の日付が変わる前から少しずつプレゼントを渡してもらい、当日も朝から張り切ったデートをし、美味しい晩ご飯に内緒で用意されていたバースデーケーキ。
お店の人が見守る中渡された本命のプレゼント、自宅に帰ってホクホクとしていた所に手渡された可愛らしい紙袋と大好きなキャラクターがプリントされた手紙。
それを受け取った時、自然と涙がこぼれた。
貰った物一つ一つが私の好みの物や色で溢れていて書かれていた手紙の内容は酷く暖かった。
誕生日がこんなに素敵で幸せに溢れていた物だと知ったのは28歳になった時だ。それから29歳、30歳と毎年彼は変わらず素敵な誕生日を演出してくれている。
毎年貰える手紙は、読む度に泣いてしまい彼の狙いにまんまとハマる。
それでも普段口にしている言葉よりも心にずしんと響くのだから、手紙の持つ力は侮れない。
だからきっと人は大事な言葉を手紙にしたためるのだろう、昔も今も。
こんなに素敵な誕生日になるのなら歳を取るのも悪くないなあ、と思ってしまう。
それはきっと、彼のお祝いしてくれる誕生日が毎年素敵さを更新してくれるから。
けれどあまりハードルを上げ過ぎるとよくないからこの辺にしておこう。
30歳なんて結局重ねた数字でしかないし、子供の時に思っていた大人にはなれていないけれど
それでも想像していた30歳よりはうんっと素敵な30歳で、ああ私は人に恵まれていたのだなあと実感出来た事にも感謝だ。
今年はどんな一年になるのだろう。
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