見出し画像

「人は、いつからでもどこからでも良くなれる」という事実

私の好きな言葉に、


「人は、いつからでもどこからでも良くなれる」


というものがある。

誰から聞いた言葉なのかはうろ覚えだが、最初にこの言葉を知ったとき、とても強く惹かれた。

というのも、人間は何歳になっても、どのような状態にいようと、

「人は、いつからでもどこからでも良くなれる」


というのをパニック障害専門心理カウンセラーとして間近で見てきたからだ。

人間というのは不思議なもので、例えば「パニック障害は治らない」と諦めていれば治らないし、「パニック障害は治るものだ」と粘り強く歩き続ければ治っていく。

「治らない」というのはある意味思い込みであり、自分がそう決心していれば心身はそれに反応し、その状態を叶えようとする。

逆に「治る」という思い込みをし、決心することで不思議なことに改善にたどりつく人はとても多い。

これは「引き寄せの法則」的なものになるが、この要因はとてつもなく大きい。

ようは、パニック障害も他の心の病においても、自分自身がどのような思い込みをし決心したかにより答えは変わってくる。

同じような言葉として、

「願えば叶う」


というものがある。

たしかに望んでいることや欲望などは「願う」ことからすべてが始まる。

ただ、「願えば叶う」というのはあまりにも抽象的であり、説明不足感はどうしても否めない。

本来、正しくは、

「願い適切に行動し続ければ叶う」


という文言になるだろう。

ここで言う「願う」というのは、理想とするもの、追い求めたいものがあるということ。

そして「適切に」というのは正確な、正しい、間違いのない、というような意味だ。

そして「行動し続ける」というのはその名が表す通り、動くというアクションを継続していくことになる。

多くの人は「願い」「適切に」までは思考し、定め、道標を指し示すことはできる。

だが、その先にある「行動し続ける」というところで足が止まってしまう。

1回、2回ほどの「行動」であればやる気やモチベーションで乗り越えられる。

しかし、それが「し続ける」という歩みを止めないという設定となると、とたんに続かなくなってしまう。

これは先行きが見えない、思考し定めたところは問題なく合っているのか?間違いなく目指すべきゴールに行けるのか?

徐々に様々な疑問が膨らみ、疑心暗鬼となってしまい、このまま進んでいても意味が無いのでは・・・・と歩みが止まっていってしまう。

これは多くの人が陥ってしまう落とし穴である。

湧き上がってくる疑問や疑心暗鬼をいかようにコントロールするのか?これは自分が定めた道を信じ、思考を信じ、最終的に自分を信じることができないと、目指すべきゴールにたどり着くのは難しいと言えるだろう。

さて、長年パニック障害、心の病の専門家をしていると、その状態から回復をしていく人、なかなか回復しきれない人と分かれていく。

なぜ回復していく人、なかなか回復しきれない人とに分かれるのか?

この部分を大きく2つに分けると、先ほど話した「行動し続ける」ことができるか?否か?というところが可視化されてくる。

心の病から回復していく人はそれを願い、適切に判断し、思考し、定め、気分や気持ちをコントロールしながら行動をし続ける。

逆に、心の病から回復しきれない人は回復を願い、適切に判断し、思考し、定めるまでは行けるが、気分や気持ちに左右されるところもあり、どうしても行動が止まってしまう。


「人は、いつからでもどこからでも良くなれる」


この言葉に嘘偽りは一切ない。

しかし、それは最終的に必要不可欠な「行動し続ける」というアクションが伴って、初めて現実味を帯びてくる。

「人は、いつからでもどこからでも良くなれる」というのは本当の話だが、この言葉を活かせるか?活かせないか?は最終的なアクションにかかっていると言えるだろう。

「行動し続ける」というのは、なにもフルマラソンをダッシュで完走しろということではない。

もちろん休んでもいいし、休息をしてもいい。

時間がかかっても歩みが止まらない限り、目標とするゴールには必ず近づいていく。

あなたが望む「良くなる」という状態にたどり着くには時間を要するかもしれない。

ときには気分や気持ちが追い付かず、悶々と苦しい日々を過ごすことがあるかもしれない。

たとえ一歩でも、半歩でも、進むことができてさえいれば、いつかゴールにはたどり着ける。


あなたが自分を信じ、気持ちや気分をうまくコントロールし、ゴールにたどり着くことを、私は願っている。





いいなと思ったら応援しよう!