相容れない人に気を遣っていると神経すり減るばかりで疲弊する、という話し
「相容れない」という言葉を聞いたことがあるだろうか。
これは「あいいれない」と読むが、他人と主張や意見が相反してしまい、お互いが歩み寄れない関係性のこと。
ようは、
「どうもこの人合わないな」
「なんだか苦手な人だなぁ」
というように、人間関係的にどうにもしっくりこないことを言う。
このような、どうにも合わない、なんだか苦手、というのは普段の生活において至るところに存在する。
例えば会社の上司、後輩、取引先の相手、など。
またはプライベートでの友人、知り合い、集まりの中の知人、ということもある。
「相容れない」人というのは他人だけではなく、親子関係でも起こり得る。
親や兄弟、パートナー、親戚、子ども、など、血縁といえども他人ではあるので、場合によって「相容れない」関係性は成立する。
今回は他人と「相容れない」という事象について述べていこう。
「相容れない」が及ぼす弊害
さて、人間というのは人から嫌われたり疎ましく思われるのを嫌う生き物である。
人から嫌われるの大好き!疎ましく思われるの幸せ!と感じる人はまずいないだろう。
人(動物)は心の奥底では人との繋がりを求めるので、他者に嫌われたり疎ましく思われることに、むしろ恐怖を感じるものである。
しかし、人間の心というのは厄介なもので、心の奥底で繋がりを求めるあまり、「相容れない」人たちともうまくやっていこうとする。
仕事であれプライベートであれ、「相容れない」人が重要なポジションにいればなおさらなんとかうまく関係性を保とうとする。
それは関係性がうまくいかないことによる弊害を考えてのことだろう。
だが、多くの人はなんとか関係性を保とうとするのに比例して、強い疲労感、疲弊感を感じることは少なくない。
私が専門とするパニック障害にも多いのだが、「相容れない」人との関係性においての疲労感、疲弊感からパニック発作が引き起こされることがある。
「相容れない」人と関係性を保とうとするのはある意味とても努力が必要なことだ。
本来であれば近づきたくもない、出来るだけ距離を置きたい人間に気を遣いうまく取り計らうことはとてつもない忍耐やガマンが必要である。
本来はしたくもないことであり、忍耐やガマンが必要になるのだから、パニック発作が引き起こされるというのも無理はない。
しかし、忍耐やガマンをしてばかりではパニック発作の他に身体にも何かしら異常が起こる可能性がある。
「相容れない」人間に嫌われても良い、疎まれても気にしないという心構えがあれば何が起きてもスルーできるが、現実にそれができる人は限られてくるだろう。
さて、ではいったい「相容れない」人に関して疲労感、疲弊感を感じず、忍耐もガマンもいらないようにしていくのに、最適な方法はあるのだろうか。
ここからは、「相容れない」人との関係性を壊さず、うまく立ち回る方法について2つのポイントを述べてみたいと思う。
「嫌い」をしっかりと自覚する
「相容れない」人に対して「嫌い」と思うことはあるが、「嫌い」としっかり自覚することができる人は意外と少ない。
これは無意識下にある「他人から嫌われたくない」ということが関係しており、どちらかというとライトな感覚の「嫌い」で納得しようとする。
ライトな感覚の「嫌い」で納得しようとするのは、
「本当は嫌な人ではないかもしれない」
「どこかで許しあえる日が来るかも」
という、あわよくばの期待があるからと言える。
だが、こちらがどう思おうが、感じようが、考えようが、向こうが一貫して「相容れない」人を貫くのであれば、その期待は粉々になる。
どこかのタイミングで「相容れない」という関係性が変わるかもしれない。
いろいろあったが唯一無二の親友になるかもしれない。
しかし、それは今すぐの話ではなく、様々なことがある中で本当の関係性が育まれたとき、そのようなハッピーエンドになるだろう。
だが、ほとんどの場合はそうならず、徒労に終わってしまうことがほとんどだ。
唯一、関係性に変化が訪れるとすれば、
相手のことを「嫌い」としっかり自覚する
ときだ。
一見反対のように聞こえるかもしれないが、「嫌い」「嫌だ」と心の奥底から自覚することで、相手のことが気にならなくなっていく。
「相容れない」人というのは違う見かたをすると、自分にとって気になってしまう人とも言える。
そもそも気にしていない、気にもならない人物であれば、そもそも「相容れない」人と自分のなかで認定はしないものだ。
どこかでなにかしら気になっているからこそ「相容れない」人という認定が自分のなかで下される。
そこで、あえてしっかり「嫌い」という自覚をすることにより心理的な立ち位置が同等となり、何をしても言ってもさほど気にならないという感覚が芽生えてくる。
「相容れない」人というのは心理的な立場が違うポジションであることが多い。
心理的な立ち位置が変わることで「嫌い」という感覚も薄らいでいき、結果的に本当の意味で良好な関係性になることもある。
良好な関係性を望む、望まないは別として、あなたがこれ以上疲労感、疲弊感に飲まれないためにも、しっかりと相手を「嫌い」と自覚するのをおすすめする。
嫌われる勇気を持つ
あえて「嫌われる」という行為はなかなかできるものではない。
先に述べたが、人間は「誰からも嫌われたくない」という心理的な欲求があるため、すすんで嫌われるのを望まない。
だが、心穏やかに平穏に、疲弊せず人間関係を続けていくのであれば、
「嫌われる勇気」
を持つこともとても大切だ。
ここからは極論となってしまうが、たとえあなたが誰に嫌われても太陽は昇って朝は必ずくる。
同じく、誰に嫌われても地球は壊れはしない。
あなたが誰かに嫌われても、あなたを好きな人もいる。
あなたが誰かに嫌われても、あなたに対して愛を注ぎ続ける人はいる。
誰かに嫌われるというのはひとつの現象であり、世界の中心に起きた出来事ではない。
このような心持ちでいるのは難しいかもしれないが、だが、これが現実だ。
誰かに嫌われても、今後あなたに懐いてくれる、優しくしてくれる、愛してくれる人は現れてくる。
だから、強く恐れずに「嫌われる勇気」を持ってみてほしい。
もしうまく「嫌われる勇気」を持つことができたら、あなたの中の世界観は一変するだろう。
ここまで長く述べたきたが、自分にとって「相容れない」人というのは必ず存在する。
あえて「相容れない」人に努力して近づく、良好な関係性を築く必要はないが、どうしてもそれが必要であれば、先ほど述べた2つのポイントを意識してみてほしい。
慣れが必要な部分もあり個人差はあるが、あなたのこれまでの世界観は間違いなく変わっていくだろう。