お隣さんまで掃除をしたら嫌われた、かも知れない|京都
大阪で育って、京都に飛び込み早10年。
そんな私は、
“よそさん”を良いことに、
数々の掟破りをやらかしてきました。
商売人のまち大阪と雅のまち京都。
隣り合うまちでも、その人柄や風習は全く違います。
京都への憧れとイケズへの恐怖。
大阪人の私が、京都で出会った“しきたり”をご紹介します。
一尺の気遣い
京都を代表する風習のひとつが
「門掃き」。
まぁどこでもある家の前の掃除です。
私の職場も交代で、毎朝門前を掃き清めます。
ただ、この門掃きにはしきたりが。
掃くのは、
自分とこの両隣の境界1尺(30㎝)まで。
それが京都の小さな親切。
自分とこだけやると自分勝手に思われ、
30㎝を超えたら大きなお世話。
「あんたんとこ、汚いなぁ」
と、嫌味に取られる恐れがあります。
ズバッとモノを言わない京都ならではの距離感。
非言語コミュニケーションです。
私は当初このしきたりに、
ちょっと面食らいました。
大阪の下町ど真ん中。
私の地元じゃ、向こう三軒両隣。
何ならそれ以上に「遠征」して掃除をしてくれるおばちゃんはザラにいます。
ーいつもすんません
「かまへん、かまへん、仕事頑張りやー」
他意も悪意もありません。
逆にお隣さんの1尺だけやと、
「なんやあの人、冷たいなぁ」
って言われて総スカンです。
グイッと距離を縮める大阪と
やんわり距離を取る京都
そういえば…
結婚して大阪に行った
生粋の京都人の後輩が、
「近所の人がウチの前まで掃除しにきて怖い」
と怯えていました。
そんなもんです、大阪は。
お節介のてんこ盛り。
トコトン見送る
京都の方々はお客様を、
姿が見えなくなるまで、ずーっとお見送りします。
見送られる方は、
最寄りの角で一度振り返ってお辞儀して、
さっさと曲がるのがしきたりです。
京都で働き出した頃、
上司と一緒にお客様を出口でお見送りしていました。
ところがその上司は、お客様が豆粒ほどの大きさになっても動かない。
もうさすがにええやろ…と
私は回れ右してオフィスに戻ろうとしたところ、ピシッと袖を掴まれました。
まだ早い。
今では、オフィスの廊下で、玄関で、
しっかりとお見送りをしています。
お客様が振り返えられたらお辞儀を返してさようなら。
これが京都のおもてなし
ちなみにサービス業や飲食店ではありません。
京都では当たり前の光景です。
京都の歴史ある企業に伺えば、
大体そうしてお見送りを受けますが、
ずっと視線を感じる…
いつも曲がり角を探して焦ります。
ただ最近は、リモート会議も増えてきて、
余韻のかけらもない終わり方に、いつもなんだかしっくりきません。
こうした習慣もだんだん減っていくのかも知れませんね。
髪の毛一本分の遅刻
先方とのお打ち合わせ。
うちの職場の京都人は、約束の時間ギリギリを攻めがちです。
ヤキモキするのは私だけ。
何だか悠々としています。
それもそのはず京都では、“髪の毛一本分”遅れていくのがしきたり。
こちらを迎える準備に忙しいであろう先方を思いやり、準備ができてホッと一息ついた頃を見計らって伺うのです。
商売人の気質からか、
イラチ(せっかち)で時間に厳しい大阪人には考えられません。
約束の時間に1秒でも遅れようもんなら、怒られます。
10分前の到着が基本のき。
さすがに仕事なので遅刻はしませんが、
そこまで相手を思いやる、京都の方々に感服です。
ただ、これらのしきたりは、京都の人には当たり前。
誰も教えてくれません。
“まねぶ”しかないのです。
時にイケズと言われる所以です。
教えることすら、京都の人には“余計なお世話”なのかも知れませんね。
暗黙のルールですから。
一方で、京都のイケズの定番とされる
箒を逆さまに置いたり、
ぶぶ漬け出てきたり、
お茶をなみなみと注がれたことはありません。
イケズをしても気づかない。
大阪人最強説もありますが・・・
千年にわたって都だった京都には、
帝に公家にお寺さん。
武士に町衆、職人まで、全国から人々が集まる特殊なコミュニティ。
その上、たびたび戦乱や災害にも見舞われて、あまり他人に踏み込まない、独特の距離感が生まれてきたのかも知れません。
人と人との距離がどんどん離れていく現代、
人を思いやる気持ちも薄まっている気がします。
良い距離感で常に相手を思いやる。
今、京都に学ぶことは多いのではないかと思います。
3代100年住んだら“京都人”。
そこまで私、生きてへん…
でも、大阪人の京都修行は続きます。