「海外経験あり」が鼻につく
はじめてのnoteで、このタイトルはどうかと思いましたが、私のプロフィール欄に「海外経験あり」と記載したので、せっかくだから。
「海外経験あり」と聞いたり読んだりした際に、何か引っかかると感じている人が一定数いるんじゃないかと思います。
なぜ一定数いると私が思っているかって、実際にそういう方に出会っているから。具体的に言われたことは割愛しますが。
「なぜ、私は引っかかりを感じるんだろう」と考えたことはありますか?
過去に、海外経験のある方によって嫌な思いをさせられたから。
留学を諦めた過去があるから。
日本が好きで、日本以外の国は嫌いだから。
謎のマウントを取ってくるから。
(↑これは海外経験あり同士でも発生する笑)
千差万別、理由はあると思います。
思いますが、「海外経験あり」と称する側の人にも、主張するだけの理由があると想像を働かせてくれると嬉しい、と私は思っています。
以下は私の考えと想い。こういったことをだらだら書きたくて、noteをはじめました。
日本だと高校2年生の時期、16〜17歳のときに、私は1年間日本から離れて、留学生活をしました。
よく言われることはこれ。
「たった1年で海外経験ありとか言ってるの?」
喜怒哀楽なにも感じなくなるほど聞いたので、お腹いっぱいです。
最近は大人の1年≠未成年の1年とだけ答えています。
義務教育を終えてまだ1年、不安を感じながらも親の庇護下から離れました。
言葉は通じない。文化は違う。日本人以外と触れ合うのははじめて。
そんななか、現地のご家庭にホームステイして、現地の高校に通いました。
カルチャーショックの一言では表したくない。本当に色々な経験をしました。
細かい経験談は、またnoteで改めて書きたいと思っています。
自分が高校生のときの記憶って、強く残ります。今後の人格形成にも関わります。大人になってからも「青春時代」を懐かしみます。大人になってからの1年とは、濃度が違います。
大学生での1年と高校生での1年でも、大きく違うと思っています。
友達ができました、喧嘩もしました、学校では文化祭や体育祭もやりました、恋もしました。普通の高校生活を、1年間海外で過ごしました。
その結果、帰国してすぐに感じたことは、ただただ違和感。
留学前は当たり前だった価値観のいくつかが、帰国後は当たり前じゃなくなるんです。
ほぼ同一民族しかいない街中だったり、ジェンダー感の押し付けだったり、年功序列だったり、もう何でもかんでも。
帰国直後は、とにかくまわりに噛み付いていました。だって、自分でもどうしたらいいかわからない違和感だらけで、17歳の私は大混乱していたから。今思うと恥ずかしいですね。
留学に行く際は、覚悟があるので大丈夫なんです。違う国に行くのだから、その国を受け入れていかないと、なんて心も事前準備をします。でも帰国の際は、そんなこと思いません。生まれ育った国に帰るだけですから。
いざ帰ってみてはじめて、自分が変わったことに気付きます。親元から、日本から離れて、多国籍な環境に揉まれて、多種多様な考え方や文化に触れたことで、17歳の女子高校生は脳みそに多大な影響を受けました。
幼い子供ほどスポンジなみに吸収しすぎず、大人ほど頑なにもなりすぎず、情報の取捨選択や客観視も少しはできる年齢だったから、かもしれませんね。
結果「どこかズレた日本人」になりました。今はグローバル化がもっともっと進みましたし、みんな違ってみんないい。なんて言われます。
でもやっぱり「どこかズレた日本人」だと思われます。日本人という枠にハマれていないらしいです。
「海外経験あり」と自称するのは、保険です。先手をうっているんです。極端を言えば、面倒くさいんです。
すべてのバックボーンをいちいち話していられないし、知って欲しいわけでもない。まわりくどい「個性的だね」なんて侮蔑を、海外にいたので〜なんて言って、さくっと終わらせたいんです。
こちらはこちらで、面倒事も嫌な気持ちも、経験してるんだよってことは、気づいてほしいと願います。
書いてるうちに、愚痴のようになってきたので、ここらへんで終わります。
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