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満月の夜に始まる小さな恋の物語

僕は田舎町で細々と裁縫店を営んでいる。

 お客さんは日に何人も来ない。その理由を僕は知っている。それは僕の作り出す服に原因があるからだ。

 とてもじゃないが万人受けするとは言い難い、田舎町には不釣り合いで奇抜なデザインが原因だったからだ。

 きっと、これがもっと栄えた場所ならば僕の作り出すものに興味を惹かれる人もいるはず……。

 なんて、僕にはどうでもよかった。

 好きな場所で、好きなものを、好きなだけ作れるこの環境が僕はとても好きだったのだから。

 ある満月の夜だった。

 その娘は僕の目の前に突然現れたんだ。今思えばこれは月の女神様が、か細い運命の糸を紡ぎ結んでくれたんだと思う。

 では、僕と彼女の小さな物語を語らせてもらおう。



 夜空の星を消し、白銀の女王は満面の笑みで微笑んでいた。

 そんな静かな、でもとても明るい満月の夜だった。

 店の扉がゆっくりと開いた。ひんやりとした空気が店内に流れ込んでくる。

 黒いフードを頭から被った来訪者。無言のままにうつむいていた。

 「い、いらっしゃいませ。こんばんは」



 僕が声を掛けると、来訪者はためらいがちにフードをめくりあげた。

 息を飲んだ。一瞬だったけれど、時が確かに止まったんだ。次の瞬間には自分の鼓動が早くなるのが分かった。

 彼女は左目に星型のアザがあった。それを隠すように前髪をおろしていた。

 でも、僕はそれも含め、とても彼女が魅力的に映っていた。

 普段口数の少ない僕が、その娘には壊れた蓄音機の様に会話を投げかけていた。

 そのかいあってか、彼女は次第に重い口を開いてくれるようになった。

 彼女は言う。

 星型のアザのせいで容姿に自信がないと。

 彼女は言う。

 容姿に自信が無いせいで、性格も暗くなってしまったと。

 彼女は言う。

 そんな自分を、せめて外見だけでも変えたいと。明るい道を、素敵な服で、笑顔いっぱいに歩いてみたいと。

 だから、僕の店へ勇気を振り絞ってたずねたのだと。

 僕は、この娘のささやかな願いを叶えるためだけに、この場所で裁縫してきたのだと感じた。

 それから僕と彼女は時間を忘れ話し込んでいた。

 好きなもの、好きな歌、好きな色、彼女の好きなものを次々と聞き出していた。

 彼女を作り出した彼女の好きな様々なもの。僕はそこから彼女の本来のあるべき姿を想像した。

 僕が彼女の魅力を何倍も、いや、何千倍も引き出してやろうと思索し、逡巡した。

 幸い、僕の店には沢山の在庫があった。売れていないって自虐にも取れるけれど、これは彼女の為に、この日の為に僕が生み出し続けていたと思えたんだ。

 僕はありとあらゆる組み合わせをし、彼女の笑顔と魅力を引き出す服を選んだ。

 そして、それを彼女に着てほしいと頼んでいた。

 彼女は伏し目がちに僕の提案を拒んだ。

 自分には着こなせない、服の魅力に負けてしまう。黒を基調としたものが落ち着くと。

 僕は、絡まった毛糸を解くように、丁寧に服や色の説明をした。

 黒は闇夜に溶けると。太陽の下では光を集めすぎてしまうと。

 服の似合う似合わないは他人が決めるものではなく、着る本人が決めるのだと。装飾、鮮やかな色は人をより良く際立たせるための単なる飾りに過ぎないと。

 彼女はたじろいだ様子だった。だが、僕の熱意に根負けし、僕が見繕った服を抱えて奥の部屋へと姿を消した。

 暫くして、扉の蝶番の軋む音が聞こえた。顔だけ覗かせた彼女の頬は、紅く染まっていた。

 僕はそんな彼女の体を隠していた鈍い扉を開いた。

 「本当に。本当に。良く似合っているよ」

 思わず声に出していた。

 彼女は両頬に手をやり、信じられないといった風な表情だった。

 泣いているのか笑っているのかわからない表情で、でもとても嬉しそうだった。



 僕は、あの瞬間……。

 胸の奥底を、まるで心臓を柔らかく握られるような、今までに感じたことのない感情の芽生えを知った。

 次の瞬間には僕の口は、僕の意志とは関係なく彼女に語りかけていた。

「10月31日の夜。お祭りに……一緒に行ってくれません……か?」

 両頬にあった彼女の手は、口へと移動していた。びっくりした顔を隠すような格好になっていた。

 彼女は突然の僕からの誘いに戸惑った様子だったが、頭を一つ縦に振ってくれた。

 その様子を見た僕は、なんとも言えない気持ちになった。体中が軽くなったようで、今にも夜空を羽ばたけるんじゃないかと思えるような。

 冷たくも暖かな、静かで騒がしい満月の夜は、そうやって更けていった。



 数日が経っていた。

 僕の調子はいまいちだった。あれだけ好きだった裁縫も、まったく手がつかない。日に何度も溜息が漏れ、時折胸が締め付けられた。

 店の小窓から町ゆく人々をぼんやりと眺めていた時だった。

「だらしないねぇなんだそのざまは」

 背後から突然に話し掛けられ、僕は針を指に刺してしまった。

 「なんだ、クロエじゃないか。驚かさないでおくれよ……いてて」

 僕に話しかけてきたのは、近所の野良猫、黒猫クロエだった。

 クロエとは、僕がこの田舎町にやってきた時からの付き合いだった。

 不思議そうな顔をして僕の顔を覗き込むクロエは、暫くして一言呟いた。

「こりゃ大病だな。町外れの魔女のとこに診てもらいに行った方がいいぞ」

 僕の目は白黒した。不摂生な生活の自覚はあったが、大病を患うようなものではないと思っていたからだ。

 クロエは動揺を隠さない僕の慌てた素振りを横目で見ると、ケタケタと笑っていた。僕は少しだけ顔を曇らせた。

 「ま、とにかく行こう。魔女のとこ。美味しいミートパイ食べさせてくれるかなぁ」

 僕は気分屋なクロエに促されるままに、町外れの魔女さんの所へ足を運ぶことになった。



「あら、裁縫師。珍しいわね表に出てくるなんて。ああ、頼んでおいた私の服が仕上がったのかしら?」

 町外れの魔女さん。外見からの年齢は全くわからないが、随分と若々しい印象だ。が、そこに触れるのは禁忌とされていた。


 クロエはその昔、白猫だったという。からかい半分に魔女さんに年齢の事を言って、逆鱗に触れ、魔法で黒猫にされてしまったとか。 

 いい加減なクロエから聞いた話だから眉唾ではあるけれど。

「こんにちは。服の注文の件はまだなんだ……。それよりも……」

 僕は魔女さんに今の自分の体の異変を洗いざらい話した。

 なぜか僕の話を聞いている最中に、魔女さんは口角を上げ不気味ににやにやとしていた。僕の頭の上にはいくつかの疑問符が浮かんでいた。

  「と言うわけで、満月の夜から変なんです。で、クロエに話したら大病だっていうから……。心配になって魔女さんの所にきたのですが」

 魔女さんはクロエにキツイ視線を送った。

 クロエは目を泳がせ、部屋の隅にある壺の中へ、その身をひっそりと仕舞い込んでしまった。

 魔女さんは再び僕へ目を戻すと、僕の胸に杖を突きつけてこう言った。

「目を閉じて、その娘を思い出してごらん」

 言われるままに僕はゆっくりと瞼を閉じた。そしてあの夜のあの娘を、頭の中に呼び出した。

 前触れなく胸が締め付けられた。堪らない感情がこみ上げてくる。

 すぐに瞼を押し開くと、目の前の魔女さんの瞳を凝視した。

 こ憎たらしい者でも見るような魔女さんの表情。そんな顔を見ていた僕は不安に思った。

 「大病なのは間違いないか。クロエ、怒らないから壺からでてきなさい。嘘じゃなかったようだからね」

 クロエは壺からひょっこりと顔を出し、魔女さんの言葉には従わずに様子を伺っていた。

 そんなクロエの様子を、魔女さんは笑っていた。そして僕にこう告げた。

「大病も大病だね。人が掛かる中でも一番厄介なやつさ。その名はね……恋よ」

 魔女さんとクロエは歪んだ笑顔で顔を見合わせた後に、僕を見つめた。

「僕が……これが……恋……」


 立ちすくむ僕に、魔女さんは再び杖を突きつけた。

「まじないをかけてやるよ裁縫師。私の我儘なオーダーの服のお礼だと思っておきな」

 魔女さんはそう言って、華奢なその腕を振りかざすと、力の限り僕の背中を叩いた。

「さ、彼女が勇気をだして裁縫師の店の扉を開いたように、次はあんたの番だ。お祭りを精一杯楽しんできな」

 帰り道、クロエは終始ごきげんだった。僕が叩かれたのをずっとからかっていた。

「わははは。魔女魔女いわれてるけど、あれは魔法じゃないな。いやぁ笑わせてもらったわ」

 僕はなんとも言えない表情で帰路についたのだった。

 □

 約束の日まであと僅かとなっていた。僕はある考えの元に、ひたすら作業に没頭していた。

 朝から晩まで。そして晩から朝まで。一日の感覚も分からなくなるほど、何着も何枚も服を作り続けていた。

 気が付けば、棚に溜め込んだ山ほどあった生地が底をついていた。

 作業場を見渡すと、数十着の服が机や棚を占領していた。

 事をやりきった満足感。それからまだ見ぬこの服に袖を通す人の笑顔を考えると、心が満たされていった。

 僕は大きなトランクに服を詰め込み終えると、そのまま眠りに落ちてしまった。

 「きろ……おい……おきろよ……」

 そんな声で僕ははっと目を覚ます。声の主はクロエだった。

 小さな手で、僕の頬を何度も叩いていた。

 「あぁ……ごめんクロエ。起こしてくれてありがとう」

 クロエは僕の挨拶を無視し、顔を横にまわす。その先には彼女が立っていた。

 約束の日が来ていた。外は薄暗くもう夕方が近いことがわかった。僕は慌てて彼女に包みを渡した。

「こ、これに着替えて!新調したんだ、君にぴったりの服を」

「え?でもそんな困るわ!?だって私、お金をそんな持ち合わせていないし……」

 困惑の表情をみせる彼女の背中を無理矢理押し、着替えを促した。

「えっ?あの、ちょっと……」

 半ば強引に彼女を奥の部屋へ押し込むと、着替えが終わるのを待つ。

 その間に僕も化粧台の前に立った。彼女に合うような素敵な化粧の為に。

 クロエはそんな僕を不思議そうな目でじっと見ていた。

「おまえ、なんか変わったなぁ」

「そうかい?そうか。僕は変わったのかなぁ」

 そんな会話をしながら、僕等は彼女の登場を待った。

 扉が開く。



 彼女は少し無理のある笑顔だった。複雑な心境なのは理解できた。

 けれど彼女が踏み出した小さな一歩を、僕は心の底から喜んだ。何よりも、とても美しかったから。

 僕は彼女をリードし、祭りの会場である町の広場へと誘った。



 賑やかな広場では皆が炎の櫓を囲み、祭りを楽しんでいた。大きな街のそれと比べれば見劣りもするし、とても華やかとは言えない質素なものだったがそれでも町の人々はそんな祭りを楽しんでいた。

 僕は彼女をエスコートしながら会場中央へと進もうとしていた。

 もちろん、二人で楽しく踊りたかったからだし、これは僕もそれなりに勇気を振り絞っての行動だった。

 しかし彼女の足取りは重かった。そしてついには立ち止まってしまった。

 彼女は俯いていた。まるでその顔を隠すように。

 僕もついつられて無言になってしまった。クロエはそんな僕等を悩ましげに見上げている。

 その時だった。いつの間にか僕等は町の若い娘達に囲まれていた。

 一人の娘は彼女に話しかけた。

「ね、あなたこの町の娘?とっても素敵な衣装ね!綺麗よ」



 違う娘も話しかけてくる。

「うんうん!なんだか楽しくて可愛らしくて都会の人っぽいわね。私もそんな服を着てみたいわ!それに、あなたのお化粧も!星型の化粧、とっても可愛らしい!!」



 黙って横でそんな会話を聞いていた僕は笑みがこぼれていた。一方の彼女は困惑した表情のまま、返答する。

「あ、服は裁縫師さんが作ってくれて……顔のアザは……」

 言葉につかえた彼女は苦い表情で顔を手で覆ってしまった。

 僕がどうすることも出来ずに狼狽えてしまったその時だった。僕の肩に飛び乗ったクロエが饒舌に話しだした。

「あー。オホン。照れ屋な娘さんが話せないので僕が説明しようじゃないか。いいかい?娘さんの星のアザは魔女によると『星痕』って言って特別なもんなんだよ」

 町の娘達はクロエの話に聞き入っていた。僕や彼女も同じようにクロエの嘘か本当かわからない話に耳を傾けた。

「特別なアザだから、他の人間とは違う道を歩む時もあるな。だけれど、その違う道の先には普通の道を歩んだ者とは違う景色が待ってるんだよ。わくわくしないかいそんな道」

 彼女は何かに気付かされたような表情をしていた。そして、クロエをひと撫ですると、笑顔で答えた。

「そう、これは私の特別なアザなの!前は大っ嫌いだったけれど、今はこの服のおかげで大好きよ!」


 その一言で、僕は胸がくるしくなった。なぜだか目頭が熱くなる。初めての感情だった。

 彼女を取り囲む町の娘達もつられるように満面の笑みを零した。

「私達もそんな素敵な服を着て『特別な夜』を過ごしたいわね!」

 町娘達のそんな声を聞いた僕は、ここぞとばかりに持ってきていたトランクを開けた。

 トランクには僕が無心で作った沢山の服が詰め込まれている。

「なら、この服を着てごらん。みんなも共にこの素敵で特別な夜を過ごそう!!」

「わ、わたしはみんなの顔に化粧をするわ!可愛らしくね!」

 僕等はあっという間に沢山の人達に囲まれた。遠くで訝しげに見ていた大人や、老いた人達もいつしか巻き込み、仮装を楽しんでいくようになっていた。



 仮装した人々は、笛や太鼓で祭りを盛り上げる。炎を囲み踊りを踊った。

 彼女は忙しそうにメイクを施しながらも、随分と楽しそうだ。その横顔はきらめく夜空みたいだ。一段と星が輝いて見える。

 あっと言う間に服が底をつき、彼女が施す化粧も終わった。僕等は顔を見合わせて大きな声で笑いあった。

 こんなにも心が踊る日は今までなかった。きっと彼女もそうだったろう。

 僕等は手を取り合って、広場の中心へと駆け出した。

 町の人たちが僕等を踊りの輪の中心へと誘ってくれる。

 彼女は僕と踊りながら、顔をぐちゃぐちゃにして泣いていた。そして笑っていた。星のアザを隠すようにしていた化粧もひどい有様だった。

 僕が目元の涙を拭ってやると、化粧が落ち切らないで横に線を描いた。その尾を引いた化粧はまるで流れ星の様で。とても美しい笑顔に流れた流星だった。

 彼女は踊りながら僕へ思いを伝えた。

「あのとき、勇気を出してあなたのお店へ入って本当に……良かった。新しい自分にも、そして何よりあなたに出会えた」

 僕の顔は、彼女のそれよりも遥かに酷い有様だっただろう。

 言葉には出来ないいくつもの感情が溢れていった。

 こうして、彼女と僕の夢の様な夜は騒がしく賑やかに更けていった。

 いつからか、毎年10月31日は仮想して祭りを楽しむものとして定着していった。

 町の人たちに支えられ、僕は以前よりもずっと楽しく服を作ることが出来るようになっていた。

 え?彼女とはどうなったかだって?



 彼女は今、僕の横で帽子を作っているよ。それに、今までは自分の顔を隠していた化粧の技術を町の娘さん達に教えたりもしているね。

 さ、僕はまた作業に戻らなくちゃ。

 これで僕らの話はおしまい。

 みんなもどうか、楽しいハロウィンを。

the end

『満月の夜に始まる小さな恋の物語』

SPACIAL THANKS♡
みなみなみ 

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