#04 映像と音楽のタッグが生み出す唯一無二の情景 日本発のグローバルクリエイターFLIGHTGRAFに迫る。
カラーズクリエーションによるインタビュー企画「CREATOR's INTERVIEW」。
第4弾となる今回は、世界のプロジェクションマッピングやメディアアートシーンで活躍する日本人ユニット「FLIGHTGRAF(フライトグラフ)」の2人と、カラーズクリエーション代表 石多未知行の対談をお届けする。
彼らはオーディオビジュアルユニットとしてイベントにおける映像制作を中心に活躍し、ヨーロッパをはじめとした世界各国のアートイベントに参加。
近年は世界最大級のプロジェクションマッピング国際大会「iMapp」に複数回選抜されるなど、活躍の場を世界へ広げている。
今回の対談では、結成のきっかけから、2人での活動ならではの制作エピソード、そして映像制作の枠を飛び越えていかんとする彼らの展望を聞くことができた。
─オーディオビジュアルユニット「FLIGHTGRAF」とは?
─世界で活躍する2人の人物像を紐解く
石多:今日はインタビューに来てくれてありがとうございます。
FLIGHTGRAFとは、僕らがやっている1minute Projection Mappingの初期の頃に作品を出してくれてから10年近いお付き合いになりますね。
今日は2人の出会いとか、クリエイティブの源泉とか、今後の展望だとかを聞いてみたいと思ってます。
最初はぜひバックボーンから聞きたいですが、冨吉さんはどう?
冨吉:僕は小さい頃から何か作ってばっかりの子供でした。割と問題児だったと思います(笑)。
周囲に怒られるまで色々作っていましたが、両親も止めさせたりしなくて「やりたいことやればいいじゃん」みたいなスタンスでした。今ではありがたかったなと思います。
高校は芸術系の学校を志望して、インテリアデザインの学科に入ったんですが、ここのデザイン科に生水さんが通っていて、出会ったのはこの高校時代でした。
大学ではプロダクトデザインを専攻しまして、インテリアについて勉強してきたこともあり、大学時代に友人と北欧諸国を訪れたんです。
そのとき、社会に溢れるデザインのレベルの高さ、駅や建物の芸術性にショックを受けました。訪れた美術館では映像表現の美しさに感銘を受けたり。
就職もしたのですが、学生時代からの自分の関心を整理して、自分はCG製作にしっかり取り組んでいこうと考えました。
その頃は日本やヨーロッパでもプロジェクションマッピングが流行するかなというタイミングで、逗子で行われていた1minute Projection Mappingに参加したのが2012、13年ごろでしたね。
石多:ありがとうございます、生水さんはどうですか?
生水:僕は小さい時は元気な子供でした(笑)。
活発に動く子だったようで、外国人のコミュニティにも日本語でぐいぐい行くような子供だったらしいです。
夏休みに絵を描くような宿題で絵の面白さに目覚めたり、中高時代にバンドやったりと、アートとの出会いは割と普通でしたね。
勉強が好きだったのでアートも学べる高校がいいなと考えて、デザイン科に進学しました。
ただその高校生活が大変で、課題の量がちょっと異常だったんですね(笑)。
高3の時には倒れちゃう様なレベルで、デザインから離れたくなっていたところを親も心配してくれて、ワーキングホリデーで1年間海外に行ったりしました。
石多:なるほど、海外に行くと意識が大きく切り替わるというのはありますよね。
─意識の壁を取り払った海外経験
生水:高校時代に海外へ数回行ってみて、海外って思ったより「近い」んだなと感じていて、卒業後はすぐに進学せずにドイツに行って生活してみました。
当時は現地のお寿司屋さんでアルバイトをしていたんですけど、そこで正社員にならないかと言われまして、、、実は数年間社員をやっていました。
もしかしたらドイツで寿司職人の道を行く可能性もありましたね(笑)
ただやっぱり自分はアートをやっていきたいなと言う気持ちがあったので、お金を貯めつつ大学受験を考えて生活していたんです。
当時は音楽を学びたいと思っていたものの、日本の音大は学費が高いということで、ドイツの音大でパソコン音楽に傾倒していきました。
自分の方向性が見えてきたところで「サウンドデザイン」の仕事に出会い、卒業後は映画の音効制作からキャリアがスタートしました。
その後、フリーでサウンドデザインをしていたときに関わった日本の作品が、カンヌ映画祭 マルシェ・ドゥ・フィルムに選出されるという経験をして、、、
今まで遥か遠くに感じていた「カンヌ映画祭」というものに触れたことで、急激に世界が近くなったような感覚を覚えたんです。
こういった海外での経験は、色々なものとの距離感や苦手意識みたいなものを改めるきっかけになりましたね。
石多:自分もイギリスで活動していた頃があったけど、海外の経験が自分の感覚や思い込みを取り払ってくれることってあるよね。
逆に、海外に出たことで日本の印象は変わった?
生水:全然変わりました。
海外も素敵な国はたくさんありますが、日本の良さがよく見えるようになりましたね。こんなに美しい国はないと思っています。
石多:外に出たことで日本をポジティブに見られるようになった?
生水:そうですね。皆さんもチャンスがあればどんどん外に出た方がいいなと本当に思いますよ。
日本人であることや、日本自体に自信が持てると思います。
─2人の再会、そしてプロジェクションマッピングへの挑戦
石多:2人がどういう経緯で再会して、チームを結成したのか気になります。
生水:冨吉さんはその頃すでにプロジェクションマッピングを製作していて、コンペで賞を取ったりしているアーティストでした。
映画業界で働いていた当時、僕はプロジェクションマッピングに正直そこまで注目していなかったんですが、YouTubeでアメリカのとある作品を見て、それはもう感動したんですね。
冨吉:「Box」かな?
生水:そうです、それ。
Boxを見てこの表現に対する印象が変わりました。映像作品としての構成が完璧だと感じてしまって。
石多:この作品はすごい洗練されていたよね。
そこで、学生時代の友人だった冨吉さんがマッピングをやっているというのは知っていたので、一緒に何かやりたいけどまずはどんなことをしているのか話を聞いてみようと連絡したのが最初のきっかけでしたね。
冨吉:僕は生水さんと組むまで作品の音楽も自分で作っていたんですけど、限界があるなと感じていたんです。
やり方を模索していたところに、生水さんから連絡をもらって。
生水:そしたらなんと僕が当時住んでいたドイツまで、冨吉さんは直接会いに来てくれたんです。ハンブルクに行きます!って言って。
石多:すごい行動力だね。
冨吉:感覚と空間を共有しないと、前向きな話はできないと思ったんです。馬が合うかどうかもしっかり見極めたいと思って。
生水:僕はその熱量に感動してしまって。すごい人だなと。
石多:そのタイミングで、FLIGHTGRAFは2人になったの?
冨吉:タイミングとしてはもう少し後ですが、作品を作っていくうちにお互い手応えを感じまして、ドイツのコンペ(以下Genius Loci)には正式に2人のチームとして参加して、それが早速審査を通ったという感じですね。
生水:その頃には、審査に通るポイントはここだなというのが感覚的にわかってきたのを覚えています。あとは2人でコンペ自体をひたすら研究しましたね。
審査員のSNSまで追って、好みを把握しようと試みたり…。
僕はCM・映画をやっていたので、短い時間の中でいかに人の感情を動かす瞬間を作るかというのは、経験が大いに活きました。
冨吉:プロジェクションマッピングに関して、FLIGHTGRAFの日本でのキャリアは逗子の1minute Projection Mappingから始まったように、海外でのキャリアはGenius Lociへの挑戦が始まりでした。
─創作の裏にある意識は「無心」
石多:最近は海外での活躍が増えている印象だけど、割合としてはどのくらいなんですか?
冨吉:今は制作の9割くらいが海外のプロジェクトですね。
石多:いまFLIGHTGRAFの主戦場は海外なんだね。
海外で披露する作品では「日本らしさ」みたいなものは意識していたりする?
冨吉:特に意識はしないようにしています。
FLIGHTGRAFとしての軸を第一に、作りたいテーマはそのイベントに合わせて形作っていくスタイルですね。
生水:実は、僕としては冨吉さんの映像にアジアを感じていたりします。
例えると坂本龍一さんの楽曲みたいに、本人が狙うことはせずとも、自ずと作品がその国の雰囲気を纏っていることってあると思います。
結果的に、良い意味で作品の個性が生まれている。
音に関しても、日本の楽器を使うから「和」。ではなくて、自分の内にあるものが結果として曲の雰囲気に表れる、くらいで丁度いいのかなと。
石多:逆に、意識してしまうと受け手に見透かされてしまうよね。「邪念」みたいなものが作品の裏に見えてしまうというか。
生水:そうですよね、理想としては無心の状態が一番いいものが作り出せるんじゃないかなと思っています。アジア感とか日本らしさとかを安直に作り出そうとしても、クリエイターとしての軸がぶれてしまうので。
─2022年、ロシアのアートイベントに作品を提供した心境は
石多:最近はロシアで開催されているIntervals Festivalに作品を出していたと思うんだけど、その時の経緯とか、製作依頼を受けた2人の心境を聞きたい。どうでしたか?
冨吉:とてもお世話になっている古くからの友人に話をもらったんです。
もちろん国際情勢を鑑みて辞退したクリエイターも多くいたので、僕らとしても参加するかどうか迷っていました。
結果的に、僕らは平和を維持するために作品を作り続けるという意思を強調して、製作を引き受けました。
何よりイベントに出ることで余計なレッテルを貼られてしまってはいけないと慎重になりましたね。
石多:表現する職業の人が、国際社会の雰囲気を伺って萎縮してしまうのは良くないなと考えていて、日本でも国際的な課題にちゃんと向き合っているということを外に向けて発していかないといけないと僕は思っているので、そういう意味でも応援したいと思っています。
生水:こういう活動はどちらかを支持するとか、そういう気持ちでやっていないですよね。良いか悪いかという単純な話ではないし、世界の課題を考えること自体に意義があるというのは伝えたいです。
冨吉:ここは金額の問題でも、感情の問題でもないですね。クリエイターとしてのマインドに誇りを持ってやっていました。
プロとして依頼を完遂させるというプライドはもちろんありますが、それ以上に、作品に込めているクリエイターとしての想いはやはり伝わってほしいですね。
─近年の作品にも表れる、明確なコンセプト
石多:最近の作品で、FLIGHTGRAFのコンセプトが伝わるものはどんなものがありますか?
生水:最近だと、ドイツのイベント(FUTUR21)でマッピング作品を制作したときの映像があります。
「環境」とか「資源」がイベント全体のテーマだったんですが、僕らの作品で何を取り上げようか探っていたときに、「衣服ロス」という環境問題を知りました。
実は「日本で1年間で捨てられる新品の服」が15億枚にも上るということを知って、これはすごい数字だなと。
この「衣服ロス問題」は食品やエネルギーほど取り上げられない印象でしたが、
ドイツでも新品の衣服が2億3000万枚以上捨てられているそうなんです。
何もできなくても、この問題を知ることは大切なのでは?ということで、そこから作品に落とし込んでいきます。
繊維をイメージした表現と、機織り機による衣類産業の活性。
大量生産が繰り返され、無限に衣服を作り、やがて崩壊していく機械。
そして自分自身(観客)は何を考えるのか。。。
ドイツにおける2億3000万の「衣服ロス」。
あなたが現状に気づくことでこの問題に参加する→「+1」ということで、
タイトルは「230 Millionen + 1」としています。
とはいえコンセプト段階ではこんなに整然としていなくて、もっとごちゃごちゃした状態なんですが、冨吉さんが非常に伝わりやすく整理してくれます。
冨吉:生水さんのコンセプトは割と日記みたいな感じですね。とにかく想いが載っています(笑)。
生水:僕自身もこの作品制作を経てから衣服の寄付を始めまして、やはり「知る」「考える」ことが行動につながると思いますね。
「自分たちのアートを伝えたい」だけでなく「社会に対して何かできないか」という方向性を含んでいるのがよく表れた作品だったと思います。
─FLIGHTGRAFの今後の展望とは?
石多:2人の今後について、考えていることはある?
生水:今後は映像やマッピングに限らず、オリジナリティのある展示を常設で手がけたいと思っています。お客さんが何度でも訪れて鑑賞、体験することができる「場」を作るということをしてみたいですね。
石多:いいですね。
作品を一度発表して終わりにするだけでなく、よりお客さんにとって価値のある形で提供できたら、クリエイター自身にも還元できるチャンスが生まれてくると思います。
将来的に2人はクリエイトだけでなく、全体的なプロデュースのお仕事を担っていくのも良いかもしれませんね。
冨吉:そうですね、クリエイターとして自分たちの想いを伝えるだけでなく、業界への貢献も意識していきたいです。
─インタビューを終えて
彼ら(特に冨吉氏)とは10年以上に渡って、一緒に作品や企画を作ったりと、関係と歴史を積み上げてきました。
逗子の小学校で始まった小さなプロジェクションマッピングの大会が、彼らを含めて、その後の日本とさらに世界のマッピングシーンにも大きく影響を与えることができていることに、嬉しくも大きな責任を感じています。
その責任とはただイベントや仕事を継続していくという単純なことではなく、常に関係する人(してきた人)たちと一緒に次を考え、新しいものを生み出そうとする姿勢を示し(動き)続けることだと思っています。
この姿勢があることで、関わってきたクリエイターたちも一緒に進んでくれるし、これからも僕らとの歴史やコミュニティにプライドを持ってくれて、切磋琢磨して前に向かってくれます。
表現者のスタンスとして、惰性ではなく常に自分達に磨きをかけ、世界的な視野で考え、アウトプットを続けているFLIGHTGRAFの姿勢にはとても刺激をもらっている。
昨今は海外の仕事が9割以上ということにも驚いたし、これからの日本のクリエイターにもそうした海外の表現シーンを主戦場とする人が増えてほしいので、彼らにはその先頭に立ち続けてもらいたいと感じています。
そして彼らに続いて、世界で活躍するアーティストが日本からどんどん生まれてほしいと思うし、それを後押しできるようなシーンのプロデュースをしていけるように、気持ちを新たにしました。
日本だけでなく、世界へポジティブなメッセージを表現し発していける志と表現技術、そして人間性を持ったクリエイターが沢山生まれていく気運を感じることができた対談でした。
石多未知行
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