彩チャンヌードル
2020年秋、「成人型卵巣顆粒膜細胞腫」という境界悪性腫瘍にて両卵巣、子宮、大網を摘出しました。 34歳にて閉経となりました。 だれかの、なにかのちょっとしたささえになれれば。 覚え書き程度ですがよろしかったら是非。
ところで。 登録販売者試験に脳みそをとろけさせた結果、 なんと一発合格でした!! やったね!めっちゃ勉強したもんね。 というわけで第二弾。 ファイナンシャルプランナー2級を目指し、 ユーキャン様にお世話になっています。 ただ、情熱がスプラトゥーンに全振りしています スプラトゥーン2を勧められてプレイし始めたのが今年(2022)の2月。 どハマりしまして。 当然スプラトゥーン3も予約購入しましたが どハマりしてまして。 なんならグッズや書籍まで。 日々をカラフルに彩る趣味
早いもので、手術からまるっと2年経ちました。 長男は4年生、次男は2年生になりました。 あの日と同じ、陽当たりの良い病院へ。 婦人科の、お股トランスフォーマーに乗り、 ・細胞診 ・経膣エコー ・触診 ・CT をしてもらいました。 特に変わらず過ごせており、異変もないので 細胞診結果を待つのみですが おそらく異常なしと思われます(あったら困る) どこかで楽観視しまくっていた私は 今日改めて、顆粒膜細胞腫を再び恐れることになりました。 数年から何十年単位で転移再発の可能性が
実は資格が好きです。 初めてとった資格は幼稚園年長ぐらいでエレクトーングレード8級。 次が中3で漢字検定準2級。あと英検4級。 商業系高校に進学してからは ・全経簿記2級 ・電卓検定初段 ・全商系はほぼ全て 2年前ぐらいに ・カラーセラピスト 迷走しすぎでは????? というわけで! 登録販売者試験合格を目指して 約半年間、独学で勉強し、先日受験してきました! ひゃーーーーーーすっごい緊張感よ!!会場が!! みんなめっちゃ分厚いテキスト持ち込んで、直前まで読み込んでて
大変です。 半年どころかずっと放置かましておりました。 彩です。 術後半年検診から現在までをザザザと書き殴ります。 術後半年検診って何をするんじゃい。ですよね。 あくまでも私の場合です。 ・CT撮影。喘息持ちのため造影剤はなしで、単純撮影というものでした。 ・内診 ・細胞診(膣内を綿棒みたいなやつでサラサラされる痛くもなんともないやつ) ・膣内エコー ・採血(腫瘍マーカーとかあとは一般的な数値をみます) 以上です。 細胞診は、顆粒膜細胞腫の予後として 「他臓器への細胞
新年から更新が止まっておりました。 生きております。 元気に仕事に励んでおります。 次男が3月に幼稚園を卒園。 長男の時から数えると6年ばかりおせわになりました。 孤独だった子育てを、一番成長する時期を 共にしてくださった先生方と最後は笑顔でさようならでした。 (卒園式では保護者代表謝辞を読みました。良い経験でした) 4月からは長男が3年生、次男が1年生で入学式でした。 学童保育にもお世話になっておりますが大変楽しそうに過ごしてくれています。 学校内で兄弟に遭遇するという
あけましておめでとうございます。 ラジオ体操の歌詞を題名にしました。 コンビニ勤務の私は、31日まで出勤、3日から仕事始めとなりました。 元気よく手を抜いて働いています!! 実は私、がん保険の給付がありました。 始めてがんと告知されたら一撃100万円のやつです。 入院、手術だけと思って、そろそろ入ったかな〜とATMで残高確認して、 は????→保険会社にもらっていいものかを電話。 「がんと病名にはないが、がんと同等と判断したのではないかと思われます」 というわけで、抗が
成人型卵巣顆粒膜細胞腫 ステージⅠa 最終的な診断を告げられた。 腹腔内洗浄水陰性。 摘出した大網、子宮、左卵巣、両卵管も正常。 「生理不順で最初によく受診してくださいました、紹介元の先生はもちろんですが、彩さんの受診があってこその結果です。卵巣子宮全摘出にはなりましたが、早期発見とはこういうことなんですよ」 出血量や血腫をエコーで診察。 ほぼ止まった膣内の出血と、1cm弱になった血腫は身体が順調に回復していた証拠だった。 お風呂OK!仕事復帰OK!ただし短時間からね
退院した日の夜。 久しぶりの子どもたちのぬくもり、 久しぶりのおうちの布団、 いつもの瞬間が幸せなんだと噛み締めた5秒後に寝た。 翌日。 私はいつものように長男を送り出し、 次男のベッタリ攻撃にめげず着替えを手伝っていた。 久しぶりに愛車ロッキーさんのエンジンをかけ、 幼稚園へ送った。 腹帯でガチガチに締めていたのも良かったのか、傷はほぼ痛むことはなく、運転もいつものようにできた。 到着し、降りた瞬間にママさんたち先生たちから悲鳴が上がった。 …わたしはオバケじゃないよ。
はろー。 おととい、やっとツリーを出しました。 子達がツリーの飾り付けを楽しんでくれる年齢になり、成長を感じます。 と、同時にツリーの枝たちの劣化も感じます。 180cmのニトリさん製ツリーセット。5回目の冬です。 12月だからか、 みんな慌ただしくて イライラしてたり 乱暴だったり 人がたくさんいたり あんまりね、好きじゃないんですよ。 この慌ただしい感じが。 ただ、それなりにわくわくできるようにはなりました。 クリスマスムードとお正月用品が混在する売り場とか サン
我が家の男子はみんな冬生まれである。 真夏生まれなのは私だけ。 常夏の太陽のように暑苦しいハハ。 次男が産まれて6年経った。 ニンゲンのかたちをして出てきて、 半年弱でコロコロ自力で転がり、 1年前後で自力で立ち上がる。 半年前後で走り出す。 やがて発声した音で言葉をつむぎ、 意思疎通をはかろうとする。 (個人差はありますよ) 彼は6年の中で成長、というより進化した。 私は子どもの成長を「進化」と呼ぶ。 成長なんてモンじゃない、進化レベルのすごいことだと思っているから。
術後9日目。 明け方4時近くまで目がギンギンだった。 両卵巣を失ったことをこの時初めて実感した。 勝負の朝6時採血。 朝ごはんをしっかり完食し、前日から帰り支度をちょこちょこ行っていたので仕上げとばかりに完璧に帰り支度をした。 9時頃、先生が来られた。 ・発熱がずっとないこと ・白血球数、炎症反応が少し低下したこと ・内診、経膣エコーでも少しずつ改善していっていること 「しばらく通院してもらいますが、おうちに帰りましょう。おめでとうございます、退院です」 待ちに待って
術後5日6日7日目。 暇である。ヒマである。ヒマデアル。 朝6時に採血と検温、8時朝食、12時昼食、18時夕食、21時消灯 というスケジュールをこなすだけになった。 この頃から、両卵巣摘出による症状が出始めた。 まずホットフラッシュ。 ガッと熱くなり汗が出てスッと冷めて寒くなる。 さみぃよ〜 そして不眠。 手術前夜は緊張したのにガッツリ熟睡、術後5日目から細切れ睡眠になり、6日目は1時間ごとに覚醒、7日目には昼間動き回っていたのに2時まで眠れないままだった。 かといって昼間
何度も何度も検索した。 出てくるのは医学論文ばかり。 症例も転移ばかり。 え? 境界悪性なら全摘出で終わりじゃないの? ・顆粒膜細胞腫そのものが、まだ詳しくわかっていないこと ・ゆるやかな進行だが、ステージⅢ以上は予後がとても悪いこと ・卵巣破裂、術中破綻などで細胞をばらまいた場合、転移再発リスクが高いこと ・ごく稀に他臓器への転移があること 先生に話を聞き、ネットで検索しまくった結果、自分が行きついた結論である。 「術中に腹腔内洗浄を行い、検査に出したところ陰性だった
術後3日目。 カロナールで痛み止めしつつ、食事量も少しずつ食べられるようになってきた。 お通じは?ガスは?が挨拶みたいになり、いっこも出ないことをまた焦った。 すきっ腹にぐんぐ〇クルトを流し込み、しばらくゲリラ腸に。 開腹手術すると、しばらく腸もバグるようで、詰まって腸閉塞より全然マシやな!と思っていた。 先生と看護師さん登場。 「抜糸しまーす、傷口カテーテルもとりますね」 つまりシャワー浴OKである。 髪の毛は脂ギッチョ、ゲボ吐いたのでサイドは拭いたけどわしゃわしゃ洗いた
術後2日目。 すでに「尿カテーテルを外し歩く」から出遅れていて若干焦る私。 朝食がきた。さあ今日こそ頑張って舐めるぞ… まさかの白米におかず。普通食である。 舐めるどころか噛む必要がある。要咀嚼。 食えるわけがない…でも食べなくては… お味噌汁を少しずつ飲む。 前日にお茶でちまちまと水分補給をしていたのと、点滴があったので尿量は異常なし。 しかしこれが大勝利の1歩となる。 味噌汁は偉大である。 気だるさが格段に減った。 今日なら歩けそうな気がする…! たださっきからオシ
次に目が覚めたら術後専用室だった。 同時にお腹にズンとした重みのような違和感。 痛くない、ただ猛烈に眠い。 酸素マスク、血圧計、心電図、パルスオキシメーター(指先で酸素はかるクリップのやつ)、尿カテーテル、傷口からのカテーテル、点滴2本。 えっ、めっちゃつながれてますやん? なんか鳴ってる!(酸素マスクとオキシメーターが外れやすくてよく鳴ってました、気づいてからは自分ではめ直してました) 眠い…グゥ… 氷なら舐めても良かったらしく、何度か氷を舐めながら寝ていた。 お