生きろ、そなたは美しい。
物心ついたときからずっと『生』=生きること に対して あまり意欲がありませんでした。
比較的 厳しめ(主に父)で、何かにつけて 周りを否定する(主に母)両親が、私の世界を形作る社会の模範で、
長年 父の絶対君主制と 母の過保護で粘着質なコントロール下でひねくれて育った私。
殴られたり 蹴られたり… ほどはないものの 笑、まあ ビンタくらいは日常茶飯事で、余談ですが 当時部活の顧問もビンタ当たり前で、今なら完全にコンプライアンスNGですよね。笑
テレビで 取り上げられるような壮絶なご家庭ではないものの、両親の、時にお茶碗が飛び交い 子どもが泣いてるようなケンカは 今思うと教育上 本当によくないな、と思いますし、
2人の兄のあとに生まれた女の子の私は、たぶん 可愛がられてはいたものの『女の子』というだけで 有無を言わさず さまざまな権利を取り上げられ 義務を強いられ、
なんとなく「生まれ損」みたいな感覚もあり、あまりに言うことを聞かず、女の子らしく しようともしない私に向けた、お酒の席の冗談なのは分かっているのですが、
「あんたは 橋の下で拾った子だから」
という母の言葉が、長年 私の自尊心と自己価値観を削いでいたことに気づいたのは、生まれてから40年以上経ってからのことでした。
誕生日のことを思い出して胸が痛くなってたことにも、嗚咽しながら 全力で向き合ったものです。 ↓
※ 今では 驚くほどクリアに昇華しており、両親のとの間柄も 極めて良好です。
(あのおかげで今があるから 感謝だよね、という 表面的な昇華ではありません)
そのへんは 普通のカウンセリングやセラピーでは昇華しにくいので、よかったら ミッチリ型講座や セッションにお越しください。
一緒に嗚咽しましょう。根こそぎ。
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そんな感じで、子どもの頃から
「いつ終わるんだろう」と よく考えていました。私の命が。私の人生が。
もちろん、
生きたくても生きられない人がいる。この世にひとつしかない 大切ないのち。
そうゆうことも、『頭では』理解していました。だけど それは 私には関係のある事柄ではなくて。
特に 10代後半から 20代はピークで、夜 目をつぶり、朝 夜が明ける頃には 砂になって消えていたらいいのに・と 毎晩考えながら眠りにつき、
朝 肉体が滅びていないことに失望して涙が流れ、あーあ 今日も1日がはじまるのか、という繰り返し。
書いてるだけで ゲー出そうな暗黒ぶりです。笑
「終わったらいいのに」とは 思うのに、自分で終わらせるほどの覚悟はなく。
でも
誰に言う訳でもなく なんとなく人目につかない箇所に軽度に自傷してみたり、死に関連するさまざまな書籍を読み漁ったり。
今 目の前に当時の自分がいたら、負のオーラがすごすぎて 友だちになれる気がしない(なりたくない 笑)ので 笑、
当時から仲良くしてくれてる親友と呼べる存在たちは、本当に仏でしかないと感謝しかありません。
(ほんとありがとう 笑)
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『死』
それは 占星術で言うと 冥王星 が管轄している領域。
冥王星 は 死と再生、破壊と構築、スクラップ アンド ビルド の象徴。
逃れられない、圧倒的なパワー。
日々 遠いところで私たちの上から逃れられないパワーを注いで 動き続けている星たちですが、
少し前、10月初旬に その 冥王星 が 大きく動き出す、という転換点がありました。
(厳密には ずっと動いては いるのですが)
それによって 大きなエネルギーの転換がおこります。
簡単に言うと、この1か月弱が この 数十年の集大成。
私たちの生活の基盤そのものの質が大きく変わり、もう 元には戻れないほどの抜本的変容が起きる・というイメージ。
何があるのかは 分かりませんが、誰にも等しく 星たちのエネルギーは降り注ぐのです。
最近 体調不良や 人間関係トラブルが多いのは、そういう 目に見えない船に乗った我々を取り巻く波のうねりが激しすぎて 乗り物酔いしがちだからなのです。
トラブルが起こりにくい人は、これまで うねりに立ち向かい、ゲーゲーたくさん吐いて 乗り物酔いに慣れてきてるから。
(絶叫系 苦手だから、と 回避してきた人ほど キツいと思います)
その 冥王星 が動き始めた日。
大きな何かが起こった訳ではありませんでしたが、ふと 私の中に ある 思いがわいてきました。
"生きたい"
声に出した訳ではありませんが、自分で耳を疑いました。
だって 生まれてこのかた 40余年、「終わりたい」「いつ終わるんだろう」と 強く思ってきたのだから。
生きたい
ああ そうか、
私の肉体は、生きたかったんだ。
目の前の現実が困難で、先が見えない暗闇だとしても。
これまで、
順風満帆に 人生を生きていたときも、子どもが生まれてからも 一度も思ったことがなかったのに。
私は 生きたかったのです。この いのち を。この 体を。『わたし』を。
現実に困難を抱えていようとも。
もちろん 明日、数分、数時間後には この身はどうなっているのかは 分かりません。
ずっと、「いつ 死んでもいい」と 思っていたけれど、それは 悔いはないから そう思えていたのではなかったのです。
どこかで わたしを軽視していたから、いつ 終わってもいいや、と 思えていたのだと気づきました。
精一杯、最後の瞬間まで いのち を燃やす。歯を食いしばっても。
日々 いろんな問題は山積みです。しんどくて 逃げたくて つらいときも もちろんあるけれど。
それでも、私は 生きたかった。
そう 気づけたとき、自然と涙が溢れてきました。
そっか、生きたかったよね。
今までずっと、気づかなくてごめんね ────。
私の中のインナーチャイルドが癒されて 昇華されていく。
そして、『生きて』いこう、と 生まれてはじめて思えたのです。
あんなに『生』に 無頓着だった子どもが1人、前を向いていく勇気を手に入れる。
そんな姿は、何よりも 誰よりも美しい。
生きることを決めたら、なんとかなるような気がしてきます。
そして自分と、その周りの人が 何よりもいとおしく感じられる。
『心を燃やせ』
煉獄さんの声が響くと思ったら、4年前の今日は 映画(鬼滅の刃 無限列車)の公開日だったそうで。笑
みなさん、心を、そして いのちを、燃やして いきましょう。生きましょう。
とてもそう思えない、という方は、思えない原因になってる 玉ねぎの皮みたいなのを剥いて、中身を見つけにいきましょう。お供しますよ。
(ちなみに 表紙画は 私ではなく 旦那さんが描いた煉獄さん。笑
煉獄さんよ 永遠に)