生きるは自助努力
こんにちは。Angieです。
最近畑仕事を小さく始めてから、
色々なご縁が広がってきています。
またご縁がご縁を呼び、先日農家の娘さんと
偶然知り合うことがあったのですが
新鮮なレモンやお芋をお裾分けいただきました。
有難いことです。
さて今日のお題は「生きるは自助努力」です。
⚫︎自助努力…他を頼らずに自らの力で物事を成し遂げようとすること。
言葉の意味を調べるとこのように出てきます。
ではこれの反対に当たる言葉は何でしょうか。
それは、"他力本願" だと思います。
⚫︎他力本願…自分の努力ではなく他人の力をあてにすること。
神社に行って祈った経験がある方はたくさんいらっしゃると思います。
大人になるまで、私は神社とは「何も考えず手を合わせるところ」という認識がありました。
しかし成長するにつれ、周りの人たちをみて
神社はどうやら願い事を述べるところらしい
という認識が生まれました。
しかしながら、神社で自分の願い事を述べること
は"恥ずべきこと"という感覚がどこかにあり、
自分のお願い事を心の底から願うということは
あまりなかったように思います。
恥ずべきとは、照れるとかそういうことではなく
「みっともない」とか「見苦しい」、「図々しい」というような感覚です。
この違和感が何なのか理解するまでには
少し時間がかかりました。
このことを理解するきっかけとなった印象的な
出来事があります。
それは私が見えない領域のことを、
今世知り始めたばかりの頃のことです。
「あなたは自分を癒すことができる。
そして人を癒すことで自分も癒される。
自分が何をやって来たのか思い出すことが近道となる。
まずは自分を癒す方法を知りなさい
(思い出しなさい)。」
そんなメッセージを受け取り、
自分のヒーリング(治癒能力)を思い出す
段階にいた時のことでした。
そう言われても私は出来ない。
どうやっていいのか知らない。
出来ている実感がない。
効果が出ていることを信じられない。
こんなことは嘘だろう。
そんな思考がぐるぐると巡っていたと思います。
そんな時に神社に行く機会がありました。
お祭りが目的で行ったので、お願い事をしに
訪れた訳ではありませんでしたが、
せっかくなのでお願い事をしようと思ったのです。
そこで私は次のようなことを願ったと覚えています。
「ヒーリングが出来るようになりますように。」
それまでになく、
私は心の底からお願いをしていました。
すると、
【(願いを)祈るでない。自分でやれ。
自分がするのだ。】
そうはっきりと言われたのです。
私は心底驚きました。
まさかそのようなことを言われるとは思ってもなかったからです。
とても厳しいように感じられました。
あれは何だったのかと、しばらく考えました。
しかし、後にそれは、厳しいというよりは、
それが当たり前のことなのだと理解することができました。
この出来事の意味していること。
それは【他力本願】という考え方と繋がっていました。
「自分ではどうにもならない(と思っている)
ので、どうにかそれを達成できるようにしてください。」
そういう一方的なお願いを神様にしていた訳です。
ただの他力本願です。
かつて、"恥ずべきこと"と感じていた感覚と
繋がりました。
自分の人生において成し遂げたいことがあるが、それを達成することが少々難しいので、
神様これを私の代わりに達成してください。
と、他者に押し付けていたわけです。
そのことに気づいたとき、
あの時はっきりと言って教えてくれた存在に対し
感謝の気持ちが湧き上がって来ました。
神社に行ったらお願い事をする。
当たり前のことのように根付いていますが、
少しだけ頭に入れておいてほしい考え方があります。
【自分の人生は、自分自身が責任をとる。】
【自分の人生は、自分自身で舵取りを行う。】
という、生きる上での基本的な考え方です。
人生は自らの手で切り開いていくものです。
物事を成し遂げようとする時、他の誰でもない
自分自身がそれを行なっていくのです。
これが【自助努力】の考え方であり、
生きることの基本だと私は理解しました。
そしてそれをあなたが自分でやると決めた時、
初めて周りはサポートに入ることができます。
神社でそもそもお願い事をするかどうか
については一旦脇に置いておきますが、
上記を踏まえた上で、
もし神社でお願い事をするならば、
それは【宣言】や【宣誓】の類のものと捉える
とよいと私は思います。
私はこうなりたいと思っています。
+
そのために自分は何をするのか。
具体的にどんな行動をするのか。
そのことを併せて宣誓することを忘れずに
行いたいところです。
その願い事が、私利私欲ばかりでなく
他者や全体の為になることに繋がっていたり
すれば、必要な気づきを得る流れが生まれたり
あなたの思いに共鳴共感した存在から
光を分けていただけたりすると思います。
最もこのようなことは、神社に行ってまでせず
とも、家でもどこでも思いついた場所でできます。
なぜなら神社にいる存在だけが神様ではないし、
神社にいるから神様だという訳ではない場合も
あるし、神様が願い事を叶えてくれるという訳
でもないからです。
そもそも、最も身近にいる守護霊という存在が
あなたを手厚くサポートしてくれていることを
忘れてはなりません。
そして私の言うお願い事とは「自分自身への誓い」でもあります。
そう言った意味では、宣誓をするのに、
神社にわざわざ行かなくともできます。
結局、自分はこういう状態になるために、
どんな行動を行うのかを決めて
一つ一つ自らの行い(努力)によって
取り組んでいくことこそが
願い事を達成する近道だと私は伝えたいのです。
他力本願ではなく、あなたのその手で、足で
道はつくられていくものなのです。
生きることは自助努力。
奇跡が起こらないことが奇跡。
一つ一つ積み重ねて事を成す。
これが生きることの基本的な考え方であり
願望実現するための最善だと私は思っています。
では今日は、このあたりで。
最後までお読みいただきありがとうございます。
また次回、こちらでお会い出来ること楽しみにしております☆