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ゆっくりでもいい、手放してもいい。

2024年。

1月に次男を妊娠したことがわかり、3月に夫の転勤が決まり埼玉から大阪へ。

イヤイヤ期に入り始めた長男とのコミュニケーションに泣いたり笑ったりしながらなんとか妊娠期間を乗り切り、9月に出産。

子ども達のお世話にてんてこ舞いになっているうちにあっという間に年末になりました。

1年間に思いを馳せたとき、浮かんできたのは”ゆっくりでもいい、手放してもいい”という言葉でした。
印象的だったことをいくつか記しておきます。

長男のエネルギーに圧倒される

春に一歳半を迎えた長男。

自我が芽生え始めて「イヤイヤ」と癇癪を起こす場面が増えたり、体力がついてお昼寝の時間が短くなったり、私自身も妊娠中の身体で疲れやすくなったりで、家事と子どものこと以外ほぼ何もできなくなりました。

それまではオンラインでイベントを企画したり、諸々調整してコーチングセッションを提供したりもしていたのですが、上に書いたような状況になり、全てお休みすることにしました。SNSへの投稿もほぼストップ。

選書とコーチングの活動や文章を綴ることは、ここ数年自分のアイデンティティのうち大きな部分を占めていました。

これまでの自分だったら「活動をお休みするのは寂しいし、これまで積み上げてきたものがなくなってしまうようで怖い」とも感じていたと思うのですが、いざお休みしてみると「今は長男と向き合うことと、妊娠期間を乗り切ることが最優先。後のことは一旦手放そう。こうなったら仕方がない!」と意外とスッキリした気持ちでした。

まだ言葉でコミュニケーションすることができず、延々と泣き続ける長男との時間がしんどく感じた時も多々ありました。

このまま二人でいると良くないな、と思って子育て広場や習い事など色々な場所に足を運んでいたら、「こんな風に子どもとコミュニケーションが取れたらいいな」「もっとこの人たちのことを知りたいな」と感じる素敵な方達に出会うことができました。

親子で参加できる哲学対話の場や、絵本やアートを通じて子どもがのびのび遊べる場所を見つけ、「こんな場所があるなら、この街で子育てをしていくことができそう」と希望を持つことができ、そこから私自身の気持ちも軽くなったように思います。

長男が繋いでくれたご縁だなと思います。

子どもを観察して、子どもについていく

私が素敵だなと思ったのは、子どもの心の動きをよく観察して、コミュニケーションをとりながら興味が向いている方向へさらに遊びを広げ、丁寧に言葉がけをしてくださる方達。

子どもを一人の人として尊重するってこういうことなんだろうな、というのを目の前で感じることができて、私自身が子どもと関わるときのヒントもたくさんいただきました。

長男を産んでからの一年間は子育てに関する情報の多さに戸惑った記憶があるのですが、だんだんと「私はこんなコミュニケーションが良いと思っているんだな」という軸ができてきたような気がします。

主張ではなく、あり方から滲み出るもの

特に、子育てサロンで出会った方が長男と遊んでくださったときのことは強く印象に残っています。

私が気づいていなかった長男の関心や良いところを見つけて、そういった内容の言葉がけをたくさんしてくださいました。

長男も最初はご機嫌ななめだったのが、気がつけばキャッキャと笑いながらとても楽しそうに遊んでいました。

「あの方は何者なのだろう?」と思っていたところ、他のメンバーの方が「長年小学校の先生をされていて、子どもと関わるのが大好きな方なんだよ」と教えてくださって。

自己紹介や肩書きがなくても、その人が歩んできた道のりや大切にしていることは、あり方から自然に滲み出て伝わってくるのだなぁと思いました。

何かを主張することで自分を表現するのではなく、自分の大切にしていることを大切にしながら、ただ目の前の人に丁寧に関わっていく。
そんな風に私もなれたらなと感じました。

母が教えてくれたコンパッション

9月に次男が産まれた後、一ヶ月半ほど北海道の母が手伝いに来てくれていました。

弟ができた戸惑いもあったのか、長男のイヤイヤはエスカレート。

頭では長男の気持ちを理解したいとは思っていても、何を言っても「イヤ!」と言ってきかなかったり、お菓子ばっかり食べようとしたりで私も夫もうんざりしてしまい、つい強い口調で注意してしまうこともありました。

見かねた母がそっと長男の背中を撫でて、「朝から保育園に行って疲れたのかい?」と優しく話しかけると、ホッとしたのか静かになり、母に抱きついていました。

その様子を見て、これがコンパッションを持って接するということなんだな…とハッとしました。

頭で理解しようとするのと、相手の目線に立ち、心で感じて寄り添うことは全然違うことなんだなと。

と同時に、母はこんな風に私にも寄り添ってくれていたんだな…と数十年越しの贈り物を受け取った気持ちにもなりました。

まだまだ母の足元にも及ばないけれど、子どもたちを観察し、気持ちを感じて寄り添うことのできるスペースをいつも心に持っておきたいなと感じました。

それから長男とのコミュニケーションに悩んだ時、自然と「母だったらどうするかな?」と考えるようになりました。

長男も次男が泣いていると撫でてくれたり、おむつ替えを手伝ってくれるようになり、嬉しく思っています。コンパッションは巡るものですね。

・・・・・

色々なことを手放して、ゆっくり歩んだ一年。

取り組めたことはそう多くはないけれど、振り返ってみると良い一年だったなと感じます。

来年はどんな一年になるかな。
お仕事に復帰するにしても、まずは子どもたちに向き合える余白を残して少しずつ取り組んでいけたらと思います。

今年はわりとお家に篭る期間も長かったので、来年は色々な人に直接会ったり、気になっていた場所に行ってみたりしたいです。
住んでいる街でも少しずつ関係性を育んでいけたらいいなぁ。

焦らず、ゆっくり。
この速度、この季節だから見える景色を味わいながら歩んでいけたらと思います。

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