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【自己紹介その7】田舎暮らしを志すようになったマイ・ストーリー|・・・~松本てつあき編
こんにちは。寄居町地域おこし協力隊の松本てつあきです。
寄居町に移住するに至ったマイストーリーの第7回をお届けします。前回と今回が、マイ・ストーリーとして一番重要なターニングポイント。その中でも重要なエピソードを二つご紹介しています。
奥多摩は、後から思えば、僕がイメージする半農半Xの半農のための地としては合っていませんでした。しかし、この移住に至る体験が、今にしてみれば大きな学びをもたらしてくれました。この学びが無ければ、今の僕の立ち位置は無いと言っても過言ではありません。
引き続き、そんな学びのプロセスを振り返っていきます。
前回は台風をきっかけに湧き上がってきたインスピレーションの従ってみた体験でした。自分でも驚くほどスムーズに事が進むことで、インスピレーションの捉え方、活かし方について学ぶ事ができました。
今回は、前回とも微妙に絡んでいるのですが、縁あって再婚することになったことからの学びです。
▼過去のマイストーリー記事は、こちらでまとめてチェックできます。
来た流れには乗る
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奥多摩を離れる決意をした後の、2020年の2月にお付き合いが始まりました。相手は、半年ほど前に知り合った女性で、その後、僕の企画するイベントに時々、参加してくれるようになった人でした。僕のイベントは女性の比率のほうが高いので、そういった女性の一人でしかありませんでした。
同時に、そのタイミングの僕はパートナーが欲しいと考えていなかったので、全く唐突な展開でした。
でも、その2週間後には婚約することになります。
これが非常に不思議なご縁だったのです。
きっかけは、ただ「この人と付き合え」という「流れ」が来ているのを感じたことでした。
「じゃあ、(特に恋愛感情も無いけど)試しに乗ってみるか」と。
「来た流れには乗れ」
これが、奥多摩に移住するまでのプロセスや、奥多摩に住み始めてから体験を通して学んだことです。マイストーリーその6で触れた、奥多摩で住んでいた物件を退去する動きも、その一つに含まれます。
とは言ってもやはり半信半疑。考えてもいなかったことだったので、別に実現させたいという欲もありません。ただ、これまでの体験から、一応、流れには乗ってみて損は無いので、乗ってみるだけ、くらいのものでした。「この流れは本物かな?」というチェックをしているくらいというか。
こういう直感や流れを扱う時のコツは、良い意味で「勘違いかもしれないし」という距離感を取ることです。少し冷めた気持ちでいるくらいのほうが、結果として良い形になります。「必ず実現させる!」みたいになると、返って事を損ねたり、後味の悪い着地になったりします。
個人差もあると思いますが。要は、理性であまり動かそうとしないほうがいいということです。だって理性の外側から起きてきているということは、その思惑も理性の外側にあるわけですから。
頭で思い描くことの限界
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ここから、自分でも驚くほどスルスルと、スムーズに進んでいったのです。自分の認識のほうが追い付きませんでした。指先で軽く押してみた、みたいな動きが、「えっ?!」と戸惑うくらい事を前に進めてしまう。
「流れ」が来ている時の特徴です。
これは、彼女も同じような感覚だったようです。突然、流れが生まれて流されるというより翻弄されるような。
こうしてお付き合いが始まります。「こんなことがあるのか!」と驚かされることが連発します。
何と言えばいいのか……。まるで同じ家庭環境で育った同士のような感覚。何気ない日常の過ごし方、例えば食事の進め方など、本当にちょっとしたところでのフィーリングが近かったりしたからです。相手に合わせるという感覚が、かつて無いほどに希薄というか。昔、愛用して手に馴染んでいた道具を久々に手に取って、「やっぱり手に馴染むなぁ」と感慨に浸ってしまう時のような。
友人という関係性では分かり得なかったことです。
先ほども触れましたが、そのまま2週間後に婚約。そこから半年後には結婚、今に至ります。
これは「自分の頭で思い描くものの限界」を教えてくれました。
その時の自分の思考では望んでいなかったり、むしろ必要すら感じていないタイミング。でも、いざ受け取ってみると「これは今の自分が本当に望んでいたものだ」というものが多々あるのです。その先の未来にすごく影響してくる。でも、どう頭を捻っても、その時の僕の思考からは導き出せないものでした。
現代は、望む結果をイメージすることの大切さが強調されがちです。そんな中にあって、「描かないからこそ、本当の願いに辿り着ける」というところに、僕の人生哲学は着地することになりました。
奥多摩に移住することになるプロセスが始まって以降、そうした「限界」を感じることが多々ありました。この結婚がそしてそれは。油断した隙に「まさか」というような事故を起こすみたいなことがあります。これは、そんな「まさか」のポジティブ版みたいなものです。
当初は、地元に戻るつもりは無かった
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こうしたエピソードを経て、奥多摩を離れ、生まれ故郷の北鎌倉に戻ることになります。
当初、奥多摩を離れることを決めた時点では、九州の南阿蘇への移住を考えていました。いったん北鎌倉に戻ることにはしていたのですが、そこで仕切り直して阿蘇に向かおうと考えていました。
そんな折に、パートナーができてしまった。お付き合いが始まったばかりなのに「じゃあ、移住するので」って一人で九州へ行ってしまうのも違う感じがしたので、移住を少し先送りすることにしたのです。
結果として、この選択は正解でした。
時は2020年の3月。ちょうど、コロナが日本にも本格的に入り始めていました。3月の時点では、それほどの騒ぎになっていませんでしたが、4月、5月となるに従って状況はどんどん変化していきました。
もし、新しい土地で、あの外出規制がかかるような状況に一人置かれていたら……。恐らく、相当な負担になったのではないでしょうか。地域の方々からも(感染の不安から)僕を受け入れるのが難しくなったことでしょう。
奥多摩にいた2年を概観する
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こうして、約2年ほど奥多摩での暮らしを経て、(主観的には)どういうわけか、生まれ故郷に戻ることになりました。
奥多摩にいた期間は、会社員から個人事業主にシフトする期間でもありました。残念ながら、ビジネスを軌道に乗せるまでは至りませんでしたが。
普通なら、時間ができたということで、ビジネスプランを練ったりするのでしょう。それよりも僕は、(これまた、どういうわけか)直感力を使ってみるという試みに振ったのです。
例えば、ふとした瞬間に「あ、〇〇に行ってみよう」とか湧いてくることがあります。そういう時は、できるだけそこに行ってみるとかをしたのです。面白いもので、往々にして、あり得ないような出会いや気づきが起きたりしました。
こうした直感の感覚力を磨くことができたことで、「内なる声」への感度や信頼度が高まりました。それがあったから、あのタイミングで奥多摩を引き払うという流れを呼び込み、結果として社会的な自粛ムードの中においては比較的暮らしやすい地元で暮らすことになり、同時に再婚にするご縁にも恵まれました。
これが、奥多摩暮らしで得たものです。「移住」という観点では失敗になるのですが、その後の人生にとって大切になるものを手にすることができました。
まとめ
奥多摩への移住で獲得した「人生の流れに乗る生き方」について、エピソードを交えて書きました。
上手くいくかとか、損か得かとか。そういった観点で未来を選ぼうとすると、得てして、迷ってしまうものです。しかも、そんな中で頑張って決めて、そこから辿り着いた結果も、結局はサイズ違い服を着ているような感覚のものになることもあります。
流れに乗ってしまうと、損得勘定で想定していた得を超えた現実が待っている。何故かは分かりませんが。そのことを体験を通じて学ばせてもらったのが、奥多摩に住んだ2年弱の期間でした。
この体験からの学びを経て、寄居町に辿り着くことになります。それは、次回以降のお話。