心の余白
こんにちは。ヒマラヤ山脈の地、ネパールで2児の子育てをしながら、コーチングを提供している森田愛です。
コーチングを始める前は、国際NGOや国連を通して、10年あまり世界を転々としながら平和構築・紛争予防を専門に活動していました。(さらに詳しいプロフィールはこちら)
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ネパールに住んでいると、時間がゆったりと流れているせいか、人々に「心の余白」を感じます。
例えば、子供がいると、それが見知らぬ人の子でも「おいで」と抱っこして遊んであげる人。通りすがりに、挨拶しながらゆったりと世間話をする人。あるいは、草原でただぼーっと山を眺める人。そんな人々を日々目にしていると、現代人が忘れかけてしまった温かさや人間らしさが、そこにある気がします。そこで今回は、「心の余白」について、コーチングの視点から考えてみました。
先日乗ったネパールに戻る飛行機の中でのこと。ふと回りを見渡してみると、何もせず、ただただ座っているネパール人が沢山いることに気が付き、私は驚きました。何を隠そう、私は「ただいる」ことが苦手です。何もしないと「何かしなければ」と焦ってしまうし、「貴重な時間を無駄にしてはいけない」と、変な罪悪感を感じてしまいます。飛行機の中でも、本を読んだり、パソコンを開いたり、映画を見たりなどなど、ついつい「何かしよう」とする意識が働きます。対照的に飛行機の中のネパール人たちは、「ただいる」ことを、ただ受け入れていました。彼らは、私とは異なる時間の流れに生きているようでした。
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「いる・ある」を英語では、Presentと言います。そして、Being Presentは、コーチに求められるもっとも大切なスキルのひとつです。目の前のクライアントにしっかりと寄り添うように、頭も心もエネルギーも「今、まさにここにある」というコーチとしてのあり方を指します。
コーチングをしているとき、Being Presentは、クライアントとの強力なコネクションを作ります。相手の言葉と言葉の間からこぼれ落ちる、とても細いエネルギーの糸のようなものを手繰り寄せる作業には、Being Presentが不可欠です。逆にそれがないとコーチングの効果は薄れてしまいます。私はコーチとなって初めて、Being Present「今ここにある」ことがいかに大切で、同時に難しいかを痛感しました。
「心の余白」は、人々の心を「Being Present―今ここに居る」状態にしてくれる、あるいは、その余裕を作ってくれるのではないかと思います。心に余白があって「今ここにある」状態にあると、何気ないことにじんわりと幸福感を感じたり、心から感謝したり、思いがけず人と深く繋がったり、そんな小さな幸せの欠片を日々の生活の中に見つけられます。それは例えば朝淹れるコーヒーを飲む瞬間かもしれないし、ふと空を見上げるときかもしれないし、立ち話した相手の笑顔に触れるとき、ふと誰かを想うときなど、日常の何気ないシーンに現れ、いつどこで出会えるか分からないからこそ、心に余白があるときに見つかるものだと思います。
東京やNYのような大都会に住んでいると、毎日様々な情報やノイズ、タスクにさらされて、どうしても時間に追われる感覚があります。だから「今ここにいる」というよりは、頭の中はいつも「次はあれしなきゃ」という一歩先の未来にあります。だからこそ「ただいる」心のゆとりを持つネパール人の在り方が、すごく特別に見え、学ぶべきものが隠されていると思います。その時々に起きる事象にゆったりと身をゆだね、他人の心に寄り添う彼らの心の余白が、経済力ではないある種の「豊かさ」を象徴しているように見えます。
コーチングは、ともすればただ慌ただしく過ぎる毎日に、心の余白を作ってくれます。コーチングの時間は、コーチもクライアントも、頭も心も体も「ここに居る」状態で会話をします。いったん歩むのを止めて「ここに居る」からこそ、思考や感情が深まり、心の奥深くへ旅ができます。そして、余白に立って人生や生活を俯瞰して眺めてみたときに見えてくる気づきや思い、自分の感情、大切にしたい価値観などの発見が、慌ただしい毎日に潤いを与えてくれます。その潤いは、自分の「人間らしさ」に気付かせてくれる、心の水脈に触れるような感覚かもしれません。
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