これは備忘録です・・・
ロングコートチワワ 希愛 享年14歳
大切な家族が虹の橋にいってしまいました。
先住犬の漣音と同じ僧帽弁閉鎖不全症で
年齢も同じ14歳でした。
漣音はお迎えに来てくれたかな。
漣音はとても神経質なおとこのこだったけど、
空気が読めて人に寄り添えてとても賢くて。
❝チンチン♪❞・・・なんの音かと見てみると
漣音が前足で陶器のお皿を鳴らして振り向いて
コッチを見てる!笑ってしまいました♬
それからは当たり前のように❝チンチン♪❞
『おみずないです!』『おなかすきました!』と
訴えてきました。慣れてくると振り向きもせず
ノールックで訴えるように(苦笑)
❝シャッシャ♪❞子供部屋のドアを開けてと漣音。
ドアがソッと開くとスッと入っていく日常。
家族に病人が出ると、寝てる横に寄り添ってくれて
泣いてる時も寄ってきてくれる優しい子でした。
毛の色も淡くて漣音の方がおんなのこに
間違われることも多かったです。
希愛はお外が大好きで天真爛漫でマイペースな
おんなのこでした。お散歩嫌いの漣音が
虹の橋にいってしまってからは・・・
バギー・リュック・キャリーバックとあらゆる
道具を好み車・バス・電車・新幹線・自転車と
あらゆる乗り物でたくさんお出掛けをしました。
バギーに乗って嬉しそうにしていると
「可愛い♪」と、よくお声を掛けていただいて
ました。外で鳴くことは全くと言っていいほど
なく、知らない人に突然ナデナデ♬されても
ジーッと我慢して「大人しいね。いいこだね♪」と。
典型的内弁慶な希愛は、外では猫をかぶり大人しく
(犬だけど)家では『ワンワン♪』『ワンワン!』
鳴いて意思表示。
漣音は知らない人には『ヴッ!!』と絶対に
触らすことはなかったので、本当に対照的な
性格でした。なのでとても仲が良かったと
いうこともなく同居犬的な感じ?!
それが漣音がいなくなってしまった日、
希愛は家中を歩き回って漣音を探していました。
漣音が発作を起こした時、早期に病院を訪れた
にも関わらず、ご自分がトドメをさせないからと
受診を拒否されて自宅に戻りました。救急病院に
連絡しても紹介がないとダメと断られ、
クリニックに紹介状をと電話でお願いしたら
もうすぐ診察終了時間だし救急にお願いすれば
大丈夫と再度拒否されました。急いでネットで
対応してくれそうなクリニックを探し駆け込み
ましたが、結果処置中に亡くなりました。
あまりに悲しくて悔しくて拒否したクリニックと
救急のネットの口コミに評価を書き込もうかと
思いましたがグッとこらえました。いまだに
そのクリニックの高評価をネットで見かけるたび
許せない気持ちが込み上げてしまいます。
漣音を救おうと救急で受け入れてくれた
クリニックに、希愛は最後までお世話に
なりました。ドクター1人のクリニックで
24時間365日診察をして下さいます。
漣音がカラダを張って教えてくれたことで
希愛にはよい環境を与えることができたと
思います。
希愛の呼吸の仕方に何となく違和感があり
人によってはそこまで気にしなくてもという
レベルでしたが、漣音の時に経験したことで
念のためと受診にいきました。恐縮な感じで
深夜の受診に行ったところ、それくらい
気にかけた方がよいと快く受け入れて下さい
ました。検査の結果、肺に水が溜まりだして
いると…恐れていたことがはじまって
いました。ここで今できる処置は全てしました!
とのことで、帰宅してから飲ませるお薬の説明を
していただき、翌朝の受診のお約束をして
連れて帰りました。
内弁慶甘えん坊の希愛を一人(犬)で入院させたら
ストレスで更に心臓に負担がかかるかもと不安に
思って…のはずでしたが、家に帰ってから私が
希愛と離れるのが不安で寂しかったからかと。
私こそ希愛に依存していると気付きました。
帰宅してからもずっとハァハァと早く小さな
呼吸が収まることはなく、薬を口にするのを拒み
希愛は朝まで一睡もしませんでした。病院へ行く
準備を徐々に始めた頃、お外に行きたいと
玄関ドアの前に希愛が立ったので、少しだけねと
抱っこで外へ・・・出て間もなくハァハァが少し
大きくなったのでスグに家に戻りタクシーを!と
希愛を抱いたままスマホで操作をしていたら
本当に本当に静かに希愛のハァハァが小さくなり
スウーッと…❝うそでしょ⁉❞
希愛は目を開けたまま力が抜けきりました。
漣音と同じところで葬儀をして荼毘にふせるまで
おメメを開いたまま、希愛はまるで生きている
ようでした。
『今にも動き出しそうに変わらない可愛い
お顔だね』駆けつけた家族もみんな同じように
言ってました。
漣音の時は発作時の対応の悪さを悔やんでいた
こと、後悔の念が強かったこと、最後の表情が
少し苦しく辛そうだったことで、しばらく本当に
気持ちの整理がつかず、泣き続けた日々でした。
希愛の時は病院で納得のいく処置を
してもらえたこと、発作の苦しみが少なく
表情が柔らかく可愛いこと、悲しいのは
もちろんですが、ずっと泣き続けてはいません。
漣音が亡くなってから希愛は分離不安症で
家中ずっとついて回られるようになりました。
それからは近くのペット可の施設やお店での
買い物から何もかも希愛を連れて行きました。
用事がある時は家族に任せて、希愛には
お留守番をさせない生活を2年間していました。
誰もいないと留守時に鳴き続けられてしまうと
心臓に負担がかかって危ないからです。
希愛をリュックで連れて歩き過ぎて整体に
通った時、任せる家族の予定に合わせないと
いけないために次の予約が取りにくくて、
整体師の方には、たかが犬のために自分の行動を
拘束されるのはおかしいというニュアンスの話を
されました。そういうご意見の方はもちろん
いらっしゃると思いますが、私には希愛は家族で
守らなければいけない存在だったので…
気分よく治療できるようにちゃんとした
整形外科に転院しました。
親しい方々は私の心配をしてくれています。
希愛を中心とした生活を送っていたのをご存知
だから。みんなに言ったことは強がりではなく
本当に泣いてないの。そりゃ時折ポロリとして
しまうけど、たぶんあまりの悲しみに脳が自然と
考えないようにしてくれちゃっているのだと
思う。かといって溜め込んでいる感もないです。
葬儀を終える頃までは、ずっと嗚咽するほど
悲しみました。泣き腫らした目の調子がいまだに
悪いくらいです。
漣音の時には残像じゃないけど、漣音の気配を
感じては思い出して泣いてましたが、今は
希愛がついて回っているような気配を感じるのが
嬉しかったりして。それ以上考え出すと気持ちが
崩れるので、淡々と時間が過ぎて力を抜いて、
ただただ楽しかったという想い出にしてくれる
のを待ちます。
なっがい!!書いた書いた♪気恥ずかしいほど
思いを綴りました。時が経ち、
思い出に浸りたくなったら読み返そっと♬
大好きな漣音♡
大好きな希愛♡
家族みんなが、あなたたちに感謝してたよ。
楽しい思い出をいっぱいありがとうって。
ウチに来てくれてありがとう。
一緒じゃなきゃ出来なかったことを
たくさん経験させてくれてありがとう。
豊かな時間を過ごさせてくれてありがとう。
可愛くて可愛くて本当に大きな存在でした。
虹の橋で仲良く楽しく遊んでいてね♬
みんなのことを見守っていてね.*☆. *