憧れの人が謙遜をやめてくれて嬉しかった話
憧れている人がいる。
彼は器用な人で、音楽や小説はもちろんのこと、イラストも描けるうえ、だいたい行動が早い。
私にとってはそれが限りなく眩しかったのだが、彼は長い間、受け入れてはくれなかった。
「何でもできてカッコいいです」
と褒めれば
「俺なんてただの器用貧乏だよ」
と返される。
私はそのたびに憤りを感じて
「なんで!あなたは!そう!自分を!卑下するんですか!」
などと「!」満載で噛みついていた。
それでも彼は、ただ困ったように笑っているだけだ。
「カリギュラ効果」というものをご存知だろうか。
簡単に言うと、禁止されると逆にやりたくなってしまう心理のことだ。
私は彼に、どうしても「自分は憧れられている」という事実を認めてもらいたかった。
謙遜されるたびに、その思いは加速した。
だから、事あるごとに彼を褒めちぎった。
雀の涙ほどの語彙力と文章力をフルに使って、精一杯「憧れている」という気持ちを伝えた。
もちろん、成果がすぐ現れるなどという都合のいい話はない。
彼の言葉を引用すると
“10代前半をあまり褒められずに過ごしてしまったせいか自分や自分が作ったものに対する評価基準が変な事になってるって自覚はある”
計算すると、約10年モノの「褒められることへのコンプレックス」にヒビを入れようとしている状況だ。
一筋縄ではいかない。
そうしてカリギュラ効果に背中を押されるまま、彼と攻防戦を繰り返していた中、あるツイートが目に留まった。
“過去の自分がなりたがっていたモノにはカケラも触れずになんとも言えない「誰か」となっていた俺はすまねぇ過去の俺って気分になっていたが、それから2年経って「誰かに憧れられる」という夢はどうやら少しだけ叶っていたらしい。”
それは、憧れている彼のアカウントから発信されたものだった。
「やっと報われた。やっと認めてくれた。そうだよ、あなたは憧れられるほどカッコいい存在なんだよ!」――そう叫びたいぐらいに嬉しかった。
実を言うと今も、思い出して目頭が熱くなっている。
あれだけ大喜びしたが、今改めて思うのは、何もあのツイートを引き出せたのは、私だけの力ではないということだ。
何故なら彼は、私以外からも尊敬や憧れの眼差しを向けられている。
だからきっと、その人達からも私と同じようなことを言われていたはずだ。
加えて、やはり一番の決め手は、彼が「謙遜をやめる」と自分のスタンスを変えてくれたことだろう。
それがなければ、まだ称賛と謙遜の攻防戦は終わっていなかったかもしれない。
さて、私がこの記事を書こうと思ったきっかけは、先日彼が自分のことを躊躇いなく褒めているのを聞いて、ふと、彼と彼を褒めてきた私以外の人への感謝が湧いてきたからだ。
よってこの場を使い、改めて言葉にしておこうと思う。
まずは彼に。
「謙遜、やめてくれてありがとうございます。おかげさまで心おきなくあなたを褒めちぎられるようになりました。もっとあなたを称賛したいので、これからも応援しています」
そして、彼を変えてくれた人たちに。
「私が褒めていない時も、彼を褒めちぎってくれて助かっています。あの人カッコいいよね。これからも一緒にじゃんじゃん褒めちぎっていってくれると嬉しいです」
内輪に向けたメッセージでの締めになってしまい申し訳ないが、ここまで目を通してくださったあなたに感謝を。
あなたが少しでも多く、褒め言葉を受け取れますように。