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私とピアノ Vol.2

 そうこうしているうちに、無事に高校受験を突破し、
私は晴れて女子高生となった。
うちの高校は、芸術科目が選択制になっていたのだが、
書道にも才能を見出していた私(?)は、書道の恩師に
「高校へ行ったら必ず選択科目は書道を選びなさい!」
と言われていたことを、思い出さないではなかったが、
迷うことなく「音楽」を選択した。
 余談だが、中学時代の部活を選ぶときにも、
近所で高校のテニス部の顧問をしているオジサンと、
休日、テニスじみたことをして遊んだ時に、
「colonちゃん、スジがいい!中学に入ったらテニス部に入りなさい!」
と言われていたにも拘らず、「身長を伸ばしたい」という理由のみで、
バスケ部に入部し、オジサンを悲嘆させたという前歴をもつ、
ことごとくオトナの指示には従わないコドモであったようだ。
(ちなみに高校での部活は英会話です。てへ♪)

 お陰様で「オンダイ」へ行くことなど、これっぽっちも考えずに、
相変わらず、好きな曲を好きな時に、楽しみながら弾いていた。
そんな高校1年生の夏休みに入る前、音楽を選択した全生徒に、
音楽科担当のマスダ先生は、
「なんでもいいのよ~。
楽器ができる人ばかりではないことは、わかっているけれど、
ハモニカでもリコーダーでも、とにかく何でもいいから、
夏休み中に楽器をひとつ練習して、
休み明けに発表してちょうだい」というような課題を出した。
楽器と言えば、毎日弾いているピアノしかないので、再び、カトウ先生に
「こんな課題が出ましたー」と話を持っていったら、
「ベートーベンの悲愴の3楽章を弾きなさいよ」と言われた。
ほんじゃ、それにするーと練習を始め、それなりに弾けるように暗譜して、
2学期の発表の日を迎えた。
発表は、楽しかった。だって家のピアノはアップライトだけど、
学校のピアノはグランドだし。
ちょっとまちがえたけど、それも含めて私らしく弾けた。

 ところが。
またしても、今度は、マスダ先生の口から「オンダイ行きなさい」発言が
飛び出したのだ。なんなんだ!オンダイ、オンダイって!
オンダイってアレでしょ?
1日14時間ぐらい練習しなくちゃいけなくて、
(どっかで聞いたフレーズ・・・そして、以下省略)
というあの音大でしょ?
なにこれ、デジャヴ?なんなんだもう・・・。
そして、もちろん私は即答した。

「行きません」

 だって、その頃の私は、すでに国文学の道に開眼し、
中古文学の虜になっていたから。
源氏物語になら、1日14時間ぐらい捧げても良いと思っていたから。

 というわけで、二度の音大へのお誘いを袖にしたせいで、
私のピアノは、お子様のピアノに毛が生えた程度で進化を終えた。
大学で、軽音楽部みたいなところに身を置いて、
ピアノで弾き語ったり、先輩方のバックで鍵盤楽器を弾いたり、
ジャズのジャの字もわからんのにジャズバンドに駆り出されたりしていたが、今や私のピアノは後退の一途を辿っている。
 しかし、時折、片割れが、
「お前は耳が良い。音大に行っていたら、
 俺をしのぐ存在(「俺様」が如何ほどのモノかは、
 知りませんけども)に、なっていたかもなー」
と、ボソっという言葉に活路を見出している今日この頃である。

             


             ~完~




もう続きません。



「もう続きません」と言いながら、「あとがきにかえて」

 9年余りと書いたピアノ生活ですが、なんのことはない、
それ以降も、ピアノに関わり続ける人生を送っています。
高1の夏休みの「悲愴」をきっかけに、高校の3年間も、
なんだかんだとカトウ先生にお世話になっていたことを思い出しました。
大学を出てからも、ボランティアでコーラスの伴奏をしたり、
経緯は忘れましたが、そのコーラスの先生から、モーツァルトの「戴冠式」
を弾いてほしいと頼まれたり、同僚と「ルパン三世」を連弾したり。
何より、今の職場でピアノが弾けるということは、
けっこう役に立ったりしているのです。
 
 そして。
もの書きでもない私の拙い文章を、長々と読んでくださった方。
ほんとうに、ありがとうございました。
今後は、もの書きとして、開眼するかもしれん。
ひー。投げないで!トイレットペーパーとか、投げないで!