私とピアノ Vol.1
私が、何故ピアノを習うことになったのか、
その辺の記憶はとても曖昧だ。
近所の一つ上のお姉ちゃんが習っていたとか、
母がピアノを習わせたかったとか、
多分、そんな理由だったと思う。
当時、近所のピアノっ子は「キビシイ」カトウ先生派と、
「ヤサシイ」シミズ先生派に二分されており、
私は、母の意向で「キビシイ」カトウ先生に習うことになった。
小学1年生の9月のことだった。
その頃の私は、当然のことながら、
ドレミも知らず、音符も読めず、ト音記号?なんですのんそれ?
なスタートであったけれど、めげることなく、それなりに進んでいった。
まず最初に与えられたのは、「バイエルに入るまで」という、
音符自体がモミジやリンゴの形をしていて、
音符ひとつの大きさが、やけに大きい、お子様向け教本だと記憶している。
その教本は、複数巻があるのだけれども、
1巻の途中ぐらいで、先生が「colonちゃんは、とても上手だから、
2巻を飛ばして3巻に行きましょう」と言ったことが、
私を調子づかせ、早くも「そこそこ上手いんや、私」
という勘違いを持ち続ける端緒となった。
「赤いバイエル」「黄色いバイエル」と進み、
「ツェルニー」、「ブルグミュラー」、「ソナチネ」、「ソナタ」、
「シューマン」「バッハ」「ベートーベン」
(いくつか抜け落ちているかも知れません)と、
今思えば、ごく普通ーぅに、教則本を終えていったのだが、
自分では上手いと勘違いしていた。
(だって、「バイエルに入るまで2」を飛ばしたんだもん)
そして、数年が経ち、相変わらず口を尖がらせながら、
楽しくピアノを弾いていたある日、
カトウ先生が、いきなり「音大へ行く気はないの?」と聞いて来た。
『オンダイ・・・?オンダイってもしかして、
1日14時間ぐらい練習しなくちゃいけなくて、
私の得意技である「楽しく弾く」ということを封印して、
努力に努力を重ねなくちゃいけなくて、
指を動かすためだけに狂ったように機械的にピアノを弾かないと、
入学することを許されないというあの音大?
(私の中の偏見のカタマリ的見解だが、
今でも、あながち間違っていないと思っている)
そんなもの、まっぴらごめんだ。
弾きたい曲を弾きたい時に楽しく弾きたい。
第一、カトウ先生じゃなくて、
オンダイの先生の所まで通わなくちゃいけないじゃない。
そんなの、方向音痴の私には到底無理だ。
そもそも、オンダイって、もっと上手な人が行くところでしょう??』ということを超人的スピードで脳内思考し、
「ありません」
と即答した。
カトウ先生は、少し悲しそうな顔をした(ように見えた)後、
「そうしたら、もうcolonちゃんに教えることは、何もないわねぇ」
と静かに言った。
しかし、カトウ先生が大好きだった私は、高校受験をする直前まで、
カトウ先生宅に通いづめ、ピアノを習い続ける。
ピアノを習い始めてから、9年余りの月日が流れるまで。
Vol.2に続くのか?