脱ぐか脱がないか、それ自体がおもしろいわけではない。例えカリスマであっても。
パンツ一丁でも成り立つパフォーマンスがある。
羨ましい限りだ。
"脱ぐ=気合い" と見なされることもあるだろう。
羨ましい限りだ。
ここ数年、めっきりライブに行かなくなってしまったので、今年は久々にいろんなライブに出向こうと思っていた。お客さんより出演者が多い内輪ノリのライブでも、興味があれば知り合いが一人も居なくたって、誰を誘うわけでもなくひょいっと見に行っていたあの頃を思い出し、簡素な予約フォームから予約して出かけた。
地元にこんなところあったのか?
はじめて行くライブハウス。案の定、アングラな雰囲気が漂い、カオティックなムードぷんぷんする。入り口に書かれていたタイムテーブルによると、私が見てみたいアーティストの出番は最後になっていた。全部で5、6組出るらしい。
一組目は以前も何処かで見たことのあるミュージシャンだった。これは好きな感じ。ノってるのかノっていないのか悟られないように、偉そうに腕組みしながら聴いた。
バーカウンターにお酒をもらいに行った後、二組目が始まった。
ギター弾き語り。
歌ったり煽ったり叫んだりしながら数曲を終えた。
そして、くるっと後ろ向きになったかと思ったら、ぺろんと半ケツがお目見えしたのだ。
予測不能な突飛な出来事を瞬時に処理できるほど、こっちは整っていない。
少なくとも、私はその表現を求めていない。
どんなにいい曲だったとしても。
どんなにカリスマ性があったとしても。
いつだったろうか。フェスでTHE HIGH-LOWSを見てときのこと、ヒロトがシャーッとズボンを下ろしたっけ。
楽しかった、でもね、だけどね…
「脱ぐ」は万能ではない。
「脱げば何となかる!」なんてことは、ない。
サラリーマンだって脱サラしたら何とかなるわけではない。
脱いだ程度で盛り上がるパフォーマンスなんて、その程度のもんだ。
服を着ろ!
パンツを履け!
着衣のままで充分おもしろい人、求む。
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