あらゆるところに「新札は使えません」と書いてあった
私は部下を育てきれない悔しさを感じているのだろうか?自分のマネージメント力を過信しているのか?おいおい、そんなに万能なわけないじゃーん!人のことで悩むのやめよーっと😀
人生を並走するとはどういうことなのか?私が後に死ぬのがいわゆる順番なのでしょうか?
「老いていく姿を見せてくれてありがとう」とは母は祖母たちに言っているが、私たち世代は「ありがとう」と言えるほど精神的にも経済的にも余裕がない。
吹雪はわかるが台風がわからないまま大人になった。 そういう土地で生まれ育った。 雪が解けただけで、春を忘れて「暑い」と言う大人たち。 私はこの後、つまり今年中、誰かに会うのだろうか? 出会うのだろうか? 例えば昼時の街中華、相席で、チャーハン待っている間とかに。 知らない土地で今後暮らすことがあるのだろうか? それとも、この土地で死ぬまで生きていくのだろうか? たいした事でもないのに「オーマイゴッッシュ!」というウザい口癖が出る私は、”ここではないどこかへ”行くのだろ
私のミスだった。やらかしちまった。部下がせっせと対応し解決してくれた。焦った。イライラした、自分に。確認不足だった。私の過信が憎い。石橋を叩いて壊すあの人が壊した橋を直すことに追われたあの日々を思い出す。あの人とは正反対の性格だ。ちょうどいい塩梅でやっていく、そう誓う。
部下と面談していて、だんだんお母さんみたいになってきちゃうのなんでだろう…
しばらく書いていなかった。ポリポリ 書けなかった。書きたかった。書けばよかった。書こうとした。書きそうになった。書こうかなと思ったり思わなかったりした…要するに、 めんどうくさかった! 結果、しばらく書かなかったおかげで、 結局、ずいぶん書かなかったせいで、 太った。 書かない🟰太る この因果関係は、つまりルーティン的なワークを日々淡々とこなす者こそナイスなボディをゲットして、おまけに“習慣”というとんでもないご褒美も手に入れられるツワモノだということだろう。
tvkより愛を込めて “チバユウスケ”に捧ぐ! やっと見終わったよ。
誕生日を覚えるのに5〜6年かかった人がホワイトデーの存在を忘れなかったという奇跡
今朝、出張中のホテルで地震だったので、びびった。まぁびびった。この瞬間に誰に連絡しようかと、私が無事であることをいのいちばんに誰が知りたいのだろうかと、思い浮かんだ顔の人に連絡しなかった。
歳を重ねるごとに初めて体験する事が少なくなってくるけれど、今日は違った。なぜか不思議と今年の夏も次の冬も楽しみに思えている。まだ春さえ来ていないけど…
「何時に帰ってくる?」って聞かれるだけでありがたいのかもしれない。どこへ行くかは言えなかったけど、バレていた。
無音のサウナでお腹がなった時の対処方法ないかな?
「部下」という言い方は好きじゃないのだけれど、もう上下関係なんてさほど意味をなさないもの。それでも「部下」の成長が嬉しくて仕方ない。
そんなのわからないが、「どういう仕事が向いていないか」は四十を過ぎてようやっとわかってきた、ような気がする。 ※以下、私なりの超適当仕事論(笑) 社会人? ”社会人”になって二十年余り。 それにしても”社会人”という言葉って面白いなー。 社会の人かぁ…… 想像力 いつも内省ばかりしている私にとって、行動力&実行力が伴わないことが多い。しかし、考えられる範疇にある仕事は意外と続けられる。考えすら及ばない仕事は、本当にしんどい。そういう仕事は好きなジャンルだったとしても