新型コロナウィルスのせいで、これ程までに『家族に会えない』『友達に会えない』と人と触れ合えないことを苦痛や寂しさを感じる話題があったのが私には不思議だ。

普段は、生きにくさを苦にし、人からの視線や評価を気にし、人間関係に悩み、煩わしく感じてきたというのに、ましてや家族と会えない事が寂しいとも思わず、核家族で好き勝手に生きてきた現代であったにも関わらず、今更感が否めない。

昨今では、”おぼん玉”や”ランドセル”も夏の盆休みが商戦期で、
『こっちで好きなのをネットで買うからお金送って』なんてご時世だった。

爺さん婆さんのお役目は、良い時だけの金づる。
そんなのは言わずと知れたことだった。

それで?
コロナでステイホーム、外出自粛、帰省自粛が呼び掛けられて、
「会えなくて寂しい」って。
勝手なもんだ。

今更、初めて一人ぼっちで家の中に籠って居なきゃならないことが分かったんだ。

それをずっと『子どもは成長したら好きなように自分の生活をするものだから』と、親は黙って、電話もろくすぽ掛かっても来ず、地元に帰って来もしない我が子を案じながら、じっと独りの正月を過ごして来たのも知らず。

”毒親”

確かに自分の身の回りにも、そう言われても仕方がないような親は居る。
例えば、子どもが一生懸命バイトで貯めた貯金を黙って使い込んでしまう親。
例えば、育ててやった、家に置いてやってるんだから・・・と言い分を付けて、まるで上納金を収めろかの如く、なけなしのバイト代から生活費をせびる、挙句には博打の軍資金に充てて働かない親。
そんな不条理な親は、今も昔も相変わらずに存在して居る。

「好きで生まれてきた訳じゃない」
そのセリフも昔から親に対して精一杯の反抗で言う子どもも居る。

でもね、

自発的に親と対峙して、家庭不和を何とか解決しようとか、そこから脱却しようとする子どもたちは良い。

私が言いたいのは、それを思い悩んでいる人たちに『そういうのって毒親って言うんだよ』と簡単に、親子の生い立ちや家庭環境の背景を詳しくも知らずに軽々しく言い放つトモダチや心療内科、精神科の医者という他人の無責任さに問題があるということ。

誰だって悩んでいたり、思うようにならない問題があれば自己防衛で、自分に共感して貰えるように相手に話すもの。
それが真実か否かは、どうでも良くて、ただ『あなたの訴えは間違ってないよ』と賛同されたいから。

それをいとも簡単に「しばらく親と距離を取る方が良い」「なるべくなら連絡を取らずに済むように方法を考えて、自分のことを第一に考えて、ゆっくり休みましょう」なんて常套句を ”精神療法” とやらで絆して、親子を引き裂く無責任な他人の多いこと。

ふ~ん、他人のアンタが何の責任が取れるの?

それだけ思い詰めて、生き方に悩んで、自分をどうしたら良いのかさえ分からず、こころが路頭に迷っている人が藁にもすがる思いでやって来て、一週間後、二週間後、一か月後の診察まで精神安定剤だけで生き延びようとしてる間にも何回自殺未遂の衝動に駆られ、本当に実行に移してしまいそうになる事態が起きていても、病院は診療時間外。予約日外。

その行方をいつも見守ってるのは、家族であったり、毒親にされた親だったりしている。
その人に万が一の事があっても責任は医者やトモダチとやらには一切掛からない。

呼び出されるのは、親。

いずれ年功序列で行けば、親が先に死ぬのは世の常。

その時に『ああ、やっと死んでくれた』そう思うのか、どうかは本人次第で、他人が『良かったね!やっと居なくなってくれて!これで自由だね』そう言うのかなあ?

天涯孤独って、どういう事か知ってて言ってるの?

生きて行くのに、必ず必要なことに出くわす。
それは、身内でなければなれない ”身元保証人” 。

公的な手続きや警察、病院などは他人では代理人にもなれず、その人のバックボーンにはなれない。

そういう窮地に立たされることが必ずある。
その時、距離を置けと ”アドバイス” した他人に「どうしよう」と相談した所で『申し訳ないけど無理だ』と断らざるを得ない。
こころの支えにしていたトモダチやセンセイには絶対に出来ない役目。

そういう広い視野で物事の先々を考えて ”アドバイス” なんかしている訳がない。

どんな生い立ちや家庭環境が不遇だったとしても感謝しろ

虐待やネグレクト、性犯罪・・・そういった親失格をするような境遇は別として、ほんの少しの対立やすれ違い、親の強烈なエゴがあったとしても、目も見えない自分を必死で右も左も分からず乳を飲ませ、病気になれば夜中でも寝不足でも病院に連れて行き、寝ずに回復するまで看病し、働いてご飯を食べさせてくれた親に感謝しろ。
私はそう思う。

その気持ちが他人の無責任な言葉で揺らぐような自分を情けないと思え。
たとえ、どんなに『その親だけはやめとけ』と言われても、親が死ぬまで諦めずに、我慢しろ。

親が死んで初めて分かる。
今の自分が居るのは、あの親が何があっても居てくれたからだ、と。

戦火を潜り抜け、亡くなっていたかもしれない命を必死で守り、
この世に自分のルーツの血の流れを繋いで来たのは先祖だ。
現代でもコロナや自然災害の窮地を生き抜いて、自分たちに命を繋いでくれた親が居るから今日の自分が在る。

それを軽率な一時の感情で忘れ、捨ててしまうような事なら、自分で好きなように生命の道を誰にも頼らず選べば良い。
誰も『死んでもいいんだよ』とは絶対に言わないから。

『死んじゃダメ』と止めるなら

理由を言え。
死んでは何故いけないと言うのか教えろ。
生きていたら、何がどう良いのか諭せ。
それも出来ないなら自分を偽善者だと思え。

死にたくなってしまうほど生きるのが辛くて、どうしようもない苦しみに、四六時中付き合ってやれ。

その人が「嗚呼、生きているって、こういうことなんだ」そう気づける日が来るまで、ずっとずっと見守り続ける覚悟を持て。

それが出来るのは、この世でたった一人
私には、お母さんだけだった。

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