巷でよく聞く、”寄り添って” の本当の意味を実感する
よく大富豪が愛犬に全財産を遺産相続させる、という話を見聞きするが、その気持ち最近よく解る気がした。
仕事中もずっと側で秘書のように、就いて居て、
時々、休憩しなよ?
もう寝ようよ?
まだ無理なら付き合うよ…
ずっとそうしてくれている。
就寝気配を察すると、
手を舐めてくれ、カプと噛んで労ってくれる。
まるで親犬が毛繕いしているかの如く、はたまた頭を良い子良い子と撫でてくれるかのようにだ。
それは犬自身が寂しい、甘えたいからの行為では決してない。
常に24時間365日、側で見守ってくれるのは、この子だけ
『寄り添って』の台詞を巷でよく聞くが、これが真実の姿ではないだろうか?
私が、何をどれだけ「待っててね」と我慢を強いて居たとしても、ずっとずっと案じて共に苦楽を分かち合ってくれる。
それが私には、同士であり、師匠であり、すべて相見互いの母だけだった。
(夜中までベッドの中でまで仕事してた私が寝るのを確認した様子)
※寂しいから、こうしてるのではない。
この子の手は私を抱き、仕事止めなよ!と引き留めています。
人間は利害しかない。
メリット・デメリット
優位性、実効性、有益、無益
そんな手前勝手が真っ先に浮かんで、人間関係や物事は判断される。
動物愛護
決して彼らは『愛玩』でもなく『器物』でもない。
ご立派な人間都合のスローガンを立てる人間本意の行動よりも、もっと彼らの真実の中身を知って欲しい。
それを知れば、自分達の愚かさを恥、行動を考えさせられる。
私は、この犬という相見互いの同士に救われている。
保護活動を決して非難・批評するつもりはない。
だが、その中身にもよる。
大抵の活動家、里親は、こういった本来の言葉を発せられない動物たちの心を理解せずに、
『癒される~』
『刹(殺)処分から救えた』
『見た目の可愛さ』などなど
すべて人間目線の価値観で保護している。
解ってあげて欲しい
彼らは、
見られるために生まれて来たんじゃない。
個人的セラピーのための道具じゃない。
(医療・介護的を除く、個人的な主観によるものを対象)
子どもの留守番や構ってやれない寂しさを癒したりする用の親の免罪符のための道具じゃない。
生きた縫いぐるみでも絶対にない。
彼らは長い歴史の中で、人間と共同生活をしてきた。
だが、いまは事情がかなり変化した。
動物の純真無垢な姿、健気さ、、、
それに救われ、傷ついた心を癒し、今日も生きられる
そういって動物園に毎日通う人々も多い。
身近に、共に生活(生きる)をする ”ペット” をペットにしないで。
口で、心で、”家族の一員” と言うは易し。
その本質的な真髄に、もっと気がつけるように、彼らを観察して解ってあげられたら、もっともっと、空しい人間社会の有り様から自分達のこころが解放されるはずだ。
過労死寸前の私を助けた、張本人は愛犬だった。
そんな恐ろしい事態から、来わばら来わばら…と去った 家族、友人、知人が居れども、
未だに、相変わらず付き合ってくれて、
撫でてくれるのは、たったひとり、この小さく無力な犬だけだ。
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