68回目の憲法記念日
2015年(平成27年)5月3日。日本国憲法施行から68回目の憲法記念日である。68年前の今日、東京の皇居前広場では憲法施行記念式典で新国民歌『われらの日本』(作詞:土岐善麿 作曲:信時潔)が演奏され、神戸では前月の統一地方選挙で民選初代知事として返り咲いた岸田幸雄の提唱で制定された『兵庫県民歌』(作詞:野口猛 作曲:信時潔)の初演奏が兵庫県議会議事堂で行われた。
そして、今日は『兵庫県民歌』作詞者である野口猛さんの43回目の命日でもある。
1947年(昭和22年)5月3日、全国各地(主に都道府県庁所在地)で新憲法施行記念祝典が開催された。『君が代』の演奏はGHQによって禁止されていたので、憲法普及会が提唱して作られた新“国民歌”が先に挙げた『われらの日本』と『憲法音頭』(作詞:サトウハチロー 作曲:中山晋平)であったが、憲法施行から68年が経過した現在となっては『われらの日本』はほとんど忘れ去られてしまっている。
■日本国憲法と県民歌
『われらの日本』と同じように憲法普及会の都道府県支部が新憲法施行を記念して作成した楽曲には山形県の『朝ぐもの』(作詞:原まこと 作曲:橋本国彦)や『長野県民歌』(作詞:北村隆男 作曲:前田孝)、また県の採用に至らず“私製県民歌”の地位に留まった『徳島県民の歌』(作詞:住友柾之 作曲:今川幹夫、現在の同名曲とは異なる)があった。この3県はいずれも戦前から県民歌を有していたが、山形県の『最上川』は昭和天皇が皇太子であった際に詠んだ御製歌を基に作られた経緯より演奏が自粛され、長野県の『信濃の国』も歌詞にそれほど問題があるとは思えないにも関わらず戦後に全国を覆った“自粛”ムードに当てられて演奏が控えられるようになり新県民歌の制定が提唱された経緯がある。徳島県の場合、戦前の『徳島県民歌』(作詞:金沢治 作曲:服部良一)は演奏禁止や自粛措置が取られた形跡こそ見当たらないが文語体で難解な歌詞が敬遠されたのか短期間で演奏されなくなり、徳島新聞社とJOXK(現在のNHK徳島放送局)の共催で県主催の新憲法施行記念式典に付帯する「憲法まつり」開催に合わせて「憲法」を題材にした懸賞論文の優秀作や『徳島県民の歌』の入選作品の発表が行われたそうである。結局、この1947年版『徳島県民の歌』は県の採用に至らず1973年(昭和48年)に現在の同名『徳島県民の歌』(作詞:富士正晴 作曲:三木稔)が2代目県民歌として制定された。
山形県の『朝ぐもの』と『長野県民歌』は県に採用されたが、その評判はどちらも芳しくなかった。特に『長野県民歌』は作曲者が存命であり、失礼を顧みずにこのような表現を使うことを御容赦いただきたいと前置きしたうえで当時の反応を書き表すと「総スカン」に等しい状態だったと言う。結局、1968年(昭和43年)に県全域の圧倒的な支持を受けて『信濃の国』が「長野県歌」として正式に告示されて劇的に“復活”し、現在に至っている。
山形県の『朝ぐもの』(インストゥルメンタル)も『長野県民歌』と同じように制定直後の新憲法施行記念式典での演奏が頂点で、それから3年経たずに有名無実化してしまい進駐軍が撤退した後は戦前と同様に『最上川』が演奏されるようになり、1981年(昭和56年)に正式な制定の告示が行われた。
「憲法」を謳うもので現存するのは翌1948年(昭和23年)に制定された『新潟県民歌』(作詞:高下玉衛 作曲:明本京静)である。藤山一郎と前島節子のデュエットで戦後の陰鬱なムードを吹き飛ばす底抜けに明るいメロディラインが印象的な歌だが、現在は2つの点で苦境に立たされている。一つは1番の歌詞で人口を「250万人」としている数値が未達であることで、制定時の県人口が243万、最も近付いたのは1995年(平成7年)国勢調査時の248万8364人であったが現在は減少トレンドに突入しており、戦後の最少値だった1970年(昭和45年)の国勢調査で記録した236万人を下回って230万人を割り込んだ可能性が高いと言われている。同じような制定時の人口を含む歌詞の実態との乖離は島根県の『薄紫の山脈』でも同様に指摘されているところである。もう一つは制定から67年が経過したことによる価値観の変化で、特に憲法改正を是とする立場からは4番でストレートに「新しき憲法の聖き理想」を謳歌する歌詞は受け入れ難いようである。特に2009年(平成21年)の国体開催に前後して「新県民歌制定」を要求する質問が県議会で何度も行われるようになっているが、国体での演奏後はBCリーグの新潟アルビレックス・ベースボールクラブが主催試合で県民歌斉唱を取り入れるようになったのを始めとして再び存在が注目され始めていることは間違いのないところである。
そして、もう一つの「憲法」を謳う県民歌が『われらの日本』と同日に演奏された『兵庫県民歌』である。『兵庫県民歌』は憲法普及会でなく知事の主導で制定されたものであったが、その命運は前述の『朝ぐもの』や『長野県民歌』と同様に短いものであった。しかし、山形県や長野県のように戦前から絶大な支持を受けていた県民歌が存在するでもなく、ただ存在そのものを制定主体であるはずの県から全否定されて現在に至っている。
憲法を今後どうするかを議論する際の前提が一方的な主観や感情論を排して「正しく知る」ことであるのと同様に、今後『兵庫県民歌』をどのような立場に置くのか──地位確認を経て正式に復活させるのか、それとも“退役”させて別の楽曲を2代目の県民歌とするのか──議論を喚起するために、まずは県がまる半世紀にわたって存在を否定していた『兵庫県民歌』が日本国憲法施行と同日に神戸で演奏されていた事実を広く知っていただきたい。それこそが43年前の今日、病に斃れた野口さんが『兵庫県民歌』の歌詞に託した思いの実践に繋がるはずだと筆者は考えている。
(画像は国会議事堂。Photockのフリー素材を利用)