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裁量労働制の論点を考えてみる <前編> そもそも、なぜ、裁量労働制なのか?

こんにちは。株式会社Co-Lift 共同代表 木下です。

働き方改革に関する法案で、裁量労働制に関するデータに不備があった問題で議論が紛糾していますね。

このデータ不備自体は、お粗末としか言いようがなく、しっかりと原因究明と再発防止に取り組むべきかと思いますが、
同時に、このデータ不備問題と裁量労働制拡大の是非がどう関係しているのかがイマイチわからなかったので考えて整理してみました。

書いてると長くなってしまったので、2記事に分割します。

まずは、そもそもなぜ裁量労働制を考える必要があるのか?から考えてみます。


裁量労働制は、賃金を、生み出した価値への対価として考える

裁量労働制は、労働者個々人が働き方 (場所や時間) に裁量を持ち、成果にコミットしましょうという制度です。

固定時間労働制やフレックスタイム制が、賃金を「投下された労力や時間というインプットへの対価」として捉えているのに対し、
裁量労働制は、賃金を「生み出された価値への対価」と捉えていると言えます。


固定時間労働制が合理的な制度となる条件:時間と価値の関係性

固定時間労働制と裁量労働制の違いをもう少し深掘りしてみます。

横軸に労働時間、縦軸に生み出された価値を取ってみます。

まず、労働者の生み出す価値が、労働時間に比例しているようなケースを考えてみます。

固定時間労働制では、労働時間に応じて賃金が決定されるため、労働者は、グラフの横軸で右側に行くほど多くの賃金を得ることが出来ます。

企業の収益は、労働者の生み出す価値が大きいほど高まるので、グラフの縦軸で、上にいけばいくほど収益は拡大します。

この場合、労働者にも企業にも、「儲けるためには、たくさんの労働時間を投入しよう」というインセンティブがはたらくことになり、結果、グラフの右上方向への圧力が高まります。


生み出される価値が労働時間に連動しないと、固定時間労働制は非効率になる

次に、労働時間と生み出される価値があまり相関しないようなケースを考えてみます。

すると、グラフの左上にいる「頑張って短い時間で大きな価値を生み出す人」が得られる賃金は小さくなり、
右下にいる「長時間労働で小さな価値しか生まない人」が得られる賃金は大きくなってしまいます。

すると、ダラダラと長時間かけて仕事をすることが最も合理的な労働者の意思決定となってしまい、グラフの右下方向への圧力が高まります。

(当然、人事制度や就業規則などで、こういったモラルハザードが起こることを予防しようとはするわけですが)

これでは、長時間労働で低生産性と、企業にとっても労働者にとっても不幸な状況となってしまいます。

そこで、裁量労働制では、賃金をインプットの労働時間ではなく、アウトプットの生み出した価値に連動させるようにします。

すると、左上と右下のインセンティブが逆転します。

短い時間で大きな価値を生み出す人は多くの報酬をもらえ、余暇時間も増加し、長時間で小さな価値しか生まない人は報酬が下がり、余暇時間も少なくなります。

すると、グラフの左上方向にいくことが労働者にとっての最も合理的な意思決定となります。


ここまでのまとめ


固定時間労働制を維持するために考えるべき論点

こういった構造から、これまで主流だった固定時間労働制を維持すべきと主張するためには、
その産業や職種では、「労働時間と生み出される価値が比例する」ことを立証するか、もしくは、「裁量労働制以外の方法で生産性低下への圧力を回避する」方法を考える必要があります。 


裁量労働制を主張するために考えるべき論点

逆に、裁量労働制への移行を主張するためにも考えるべき論点もたくさんあります。

労働生産性を高め (企業の便益) ながら、同時に、労働者のより良い働き方 (労働者の便益) を実現するという目的を実現する手段として、裁量労働制が本当にその機能を果たし得るのか?ということをしっかりと考える必要があります。

<インプット>
要求される労力・時間が過剰になることを抑止出来るのか?

<プロセス>
労働者が本当に裁量を持って労働時間や場所を選択出来るのか?

<アウトプット>
生み出した価値は正当に評価され、報酬に連動させられるのか?

<裁量労働導入後>
労働者側に起きる変化を本当に受容出来るのか?

次回は、各々の論点への深掘りと今回のデータ不備問題の意味合いについて考えてみることにします。

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