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幸せの数学
高校生の頃、数学など人生の役に立ちっこないと思っていた。中高一貫クラスにいたわたしは、中学時代につまずいた数学をなかなか攻略できず、受験勉強に苦戦していた。
志望していたのは国立大学の文学部。センター試験(当時)による一次試験を突破したとしても、二次試験でも数学の記述式問題を解かなくてはならない。必死だった。担任の先生による数学特別補習、通称「すうとく」にも強制的に入れられた。
結果として、センター試験でも二次試験でもなんとか数学と戦い抜き、大学合格にこぎつけはした。
しかし、ずっと思っていた。
「数学がなんの役に立つのさ。ベルクソンや小林英雄、蓮實重彦のほうがずっと生きる道標を示してくれる」
いや、蓮實重彦先生はきっと数学もとんでもなくおできになると思うのだが、合格ラインすれすれにしか届かなかったわたしはそんな不満をずっとくすぶらせていた。数学ってなんなん。
そこそこ学び、おおいに遊んだ大学時代を経て出た社会は厳しかった。就職氷河期世代の最後のほうであるわたしは正社員としての働き口を新卒で得ることが叶わなかった。左目が見えないことを馬鹿にされる日が長く続いたこともあった。事件に遭って、体と心に傷を負ったこともあった。おまけに7年つきあった恋人と別れる羽目にもなった。きっとこのまま結婚するんだろうと思っていた人だった。
「腐ってはいけない」。自分に言い聞かせはしたものの、ときどき泣いたし、いなくなってしまいたいと思ったこともある。見守ってくれる周囲の人たちにも申し訳なく、いたたまれない日々。
そんななか、夫に出会い、結婚した。もうわたしは幸せになれないんだろうと思った日もあったけれど、気づけば双子の娘たちが生まれ、今に至る。
娘たちを授かるまでに6年あった。悔いを残さぬよう働きたいとがむしゃらになっていたら、6年経っていた。
「もう年齢も年齢だし、双子を産んだらお得かも」という、不届きな妄想が現実のものになったときは驚いた。わたしの人生における大事件と言っていい。
とはいえ、双子育児は過酷だった。夫は多忙、実家は近いがその頃の両親はともにフルタイムで働いていて、助けは期待できなかった。歯を食いしばりながら二人の赤ん坊を同時におんぶと抱っこしてあやす毎日が続く。「双子だったらいいな」と願ったかつての自分を呪った。
今年、娘たちは7歳になった。育児は落ち着きを見せていて、わたしと彼女たち、三人でお出かけするのが楽しみの一つだ。そろってカフェでお茶する、なんて夢のような時間が過ごせることもある。赤ちゃん時代からすればほんとうに夢のひとときだ。
いろいろあったけれど、今のわたしは幸せかもしれないと思う。重なったつらいことは引き算だ。しかし、思いがけずやってきたいいことは足し算。引いて、足して、ときにはかけ算する。わり算もたまにあるのがせつないのだが。
いつのまにか、人生に去来するもろもろを足したり引いたりして、「結果的にプラスなんじゃない?」と幸せを見つけるすべを身につけた。
マイナスとプラス、それぞれの探し方は自分次第ではある。悲しいこともプラスだと思えば足し算になる。かけ算になる。
新卒で就職できなかったのは不運だったけれど、おかげで働けるありがたさを感じられたから、足し算で結果的にプラス。左目が見えないことも、事件に遭ったこともかならずしもいいこととは言えないけれど、おかげで人の優しさにたくさん気づけた。だからこれも足し算してプラスになっている。思い返すと苦しくなるほど大変だった双子育児も、乳児期の赤ちゃん二人の面倒を同時に見られたから幸せ2倍。もちろんかけ算だ。
そういうものの見方と計算式を得たことは、確実にわたしの人生を「ちょっといいもの」にしている。
あれ、数学ってけっこう役に立ってるんじゃないの、と思う最近である。