新しさという呪い
「なんか楽しいことないかな」と言うのをやめた。いや、正確には、やめようとしている。
人生をいいものにするためには、なんらかの新しいことがないとだめな気がしていた。
たとえば、新しく揃えた洋服に身を包み、はじめての場所を訪れること。旅に出て、知らない町で知らない人と交流すること。そういう経験が幸せを連れてくると思っていた。
もちろん、日常生活の延長線上にある新しさは暮らしを楽しくしてくれる。「新しいなにか」にはずいぶんお世話になった。
新しい装いをするときはいつもわくわくして楽しかった。旅先での経験がわたしをつくってくれたことだって間違いない。
でも、ときどき疲れもする。新奇性を追い求める衝動と距離を置きたい日がある。
「今日はもうなーんも新しいこといらない。ポーッとしたい」
そう考えていた日、iPhoneのカメラロールに10年以上前の写真を見つけた。
2012年のクリスマス、スパークリングワイン「フレシネ」についていたカードを撮ったものだ。クリスマスツリーの形をした、ゴールド色のかわいらしいカード。
このフレーズが気に入って撮影したのを憶えている。
「そうか、楽しいことがなければつくればいいよね」という心意気をなんだかいいと思った、あのときの気持ちがよみがえった。
なにがなんでも新しいことに出会ってやると意気ごむのをときにやめてみると、少し気が楽になるなあ、と実感したのだ。
12年経ってじわじわと効いてきたコピーの素晴らしさに圧倒される。同時に、これが自然と「ハラオチ」したことにも驚く。わたしも少しは大人になったのかもしれない。
新しい思考、新しいモノ、新しい場所。新しさはわたしの生活をいきいきとした色にしてくれる。
けれど、たまには新奇性の呪いを手放してみる日があってもいいと思う。「なんか楽しいことないかな」と願い続けるのはちょっとつらい。
まあいいか、楽しみはつくればいいんだから。そう思えることじたいが楽しさのタネだったりして、などと考えている。