ニューヨークのため息ごっことレジリエンス
ひとりで歌うのが好きで、料理や掃除をしているときはだいたい歌っている。懐メロからYOASOBIまで、さまざまな楽曲をチョイスする。
このあいだの昼間、キッチンでヘレン・メリルの『You'd be so nice to come home to』を歌っていた。私がフルで歌える数少ない英語の曲。ハスキーボイスが心に残る、ジャズの名曲だ。
けれども。
ヘレン・メリルの歌声が「ニューヨークのため息」なら(そう評されている)、私のは大阪のげっぷかもしれない。残念ながらそれくらい歌が下手だ。
幼い頃からそれなりに音楽に親しんできた身とは思えないほど、私はオンチだし、ひどい歌声なのだ。あ、6歳でピアノをやったけど、1ヶ月でやめたんだった。そういう、ムラのあるところがいけないのだろうか。
とにかく、なりきりヘレン・メリルは「ユー・ド・ビー・パァーラダイス……!」と下手なりに情感たっぷりに歌ったところで、「あのー」と玄関から声をかけられた。
自宅のメンテナンスのため、ハウスメーカーの作業員さんに来ていただいていたのを忘れていた。
しまった。キッチンと玄関は近いし、ドアも開け放っていた。ノリノリで歌っていたのは絶対に聞かれたはず。ああ、恥ずかしい。
同年輩と思われる作業員さんから不具合についてのお話を聞き、お礼を言った。そこで、自分の恥ずかしさがけっこう薄れてきていることに気づいた。
さっきは顔から火が出てそのまま燃えさかるんじゃないかと思うくらい恥ずかしかったのに、10分後には平気になっている。「ありがとうございましたぁー」なんて、にこやかに言っちゃって。
作業員さんは「うわー」とびっくりしているかもしれないけれど、もうそこは私の知ったことではない。どうにかできる範疇の外にあるからだ。
若い頃に比べて「あー、あの人はどう思っているだろう、やりきれないわ」と悩むことが格段に減った。悩んだって「あの人」の意識をどうこうできるわけではないんだし。
どうにもできないことは、忘れるか、時間とともに流れていっていただく。年を取って、そういう境地に立てるようになった。
困難や危機的状況から回復する力、弾性を「レジリエンス」とかいうけれど、いつのまにかそれに近いものを体得している気がする。自分勝手な私の場合はたぶん、ふてぶてしいとも言い換えられる。
でも、月日が解決する問題って、きっと多いのだと思う。私なりのレジリエンスで、人にご迷惑をおかけしない程度に楽しく生きていきたい。