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2024年の阿部マリア
今年のクリスマスはルンルン気分で過ごす予定だ。なにを隠そう、推しチェリスト、ハウザーさんの新アルバム『Christmas』をすでに入手しているからである。ソロ3作目となる作品だ。
タイトルのとおり、クリスマスソングを集めたCDで、『きよしこの夜』や『まきびとひつじを』をはじめとする有名曲を存分に楽しめる。
そこのあなたもいかがですか、とハウザー沼に勧誘したいのをぐっとこらえて、聖歌の話を。
クリスマスの定番ソングにもいろいろあるけれど、わたしのなかではやはり聖歌がどーんと真ん中に鎮座している。ミッションスクールで過ごした小中高時代、12月は学校でイエス・キリストの生誕を待ちわびる歌ばかり歌っていた。
といっても、わたしがミッションスクールの小学部に入ったのは途中からだ。編入試験を受け、公立小学校から転校した。
転校したばかりの頃、いちばん驚いたのは、学校のあちこちにマリア様の像が置いてあることだった。女子修道会を母体とする学校だったからだろう。
最初、わたしは見慣れぬマリア様に出会うたび、ビクッと体をこわばらせた。なかでも階段の踊り場に置かれたものは、夕方になると窓から差し込む西陽によって陰影がつき、こわいほどだった。
ミサがあるのも衝撃だった。信者でない生徒も参加する。聖体拝領とはなんぞや?! と戸惑った。ミサで、イエス・キリストの体になったとされるパンとぶどう酒をいただくことを指すが、信者の同級生がなにかを口にするのを見て驚いた記憶がある。
そんななか、聖歌を歌うのは新鮮で楽しかった。意味がわからないながらに「インエクシェルシス、デーーーオー」などと歌った。『あめのみつかいの』という、キリスト生誕を祝う聖歌の一節である。
しかし、転校してしばらくは有名な聖歌『アヴェ・マリア』を「阿部マリア」さんという日本人について歌ったものだと勘違いしていた。なんとなく、女傑とか、女怪盗といった類の人なのだろうと思っていた。
聖母マリアを讃える聖なる歌が、女怪盗の歌に。なにかの機会にシスターの話を聞いてはっと気がつき、事なきを得たけれど、この勘違いはわたしのひそかな恥の一つだ。
そういう、握りつぶしたい小さな恥を抱えてわたしは生きている。思春期はもっと激しい恥が詰まっているし、成人以降もまあまあ恥をかいた。
みんなもそんなもんじゃないかなあ、と思いながら、ハウザーさんのクリスマスソング集に耳を傾けているところだ。今では、恥をかかなきゃ大人になれないとさえ思っている。
そうは言ってもいかんせんクリスマスのためのCDである。残念ながら『アヴェ・マリア』は収録されていない。