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となりは異を唱える人ぞ

承服できんと思っていることが一つある。

「意見の違う人とは付き合わないほうがいい」というアドバイスだ。

以前、人と話しているときに、こんなことを言われた。

「子どものいる人といない人では、話も意見も合わなくない? ライフステージの違う人とは距離をおいたほうがいい。お互いのためだよ」

うーん、承服できん。

なんで子どもがいるかどうか、意見が合うかどうかでわたしが大切な友達との付き合いを控えなくてはいけないのだ、と疑問符が頭の上を漂った。

親しく付き合っている友人には、いろいろな状況の人がいる。それぞれが立っているライフステージは違うかもしれない。

でも、わたしは彼女または彼らが大好きだ。子どもがいるとかいないとか、結婚しているとかいないとか、多少意見が違うとか、そういうことは大した問題ではないと思う。

だって、人はみんな違った状況にいるものだし、意見は違って当たり前のような気がする。根本的なこと(人に危害を加えてはならない、など)に関してだけ意見が合えば、もうあとはなにもかも違っていても仕方ないのだと思っている。

「ライフステージが変わったときは付き合う人も変えるべき」という忠告には、そのままでは従えない。ライフステージの変化とともに相手の人格まで変わってしまったなら話は別だけれど。

このあいだお茶した旧友たちは、結婚していたり、子どもがいたりいなかったり、働いていたりいなかったりと生活スタイルがバラバラだ。よくよく話せば政治的な主張もけっこう違う。

それでも、わたしたちは30年以上つながっている。

お互いの存在が大事であり、お互いの違いを認めることも友情のうちだと思っているからだ。少なくとも、わたしは。

「いちじくのパフェ食べるの? わたし、この時間にパフェは食べないの」

「パフェはこの時間に食べるからおいしいんやーん」

「しかもなあに、ハーブティー? パフェには苦いコーヒーに決まってるやん?」

「決まってないよ、そんなん。わたしはカモミールティーにすんの」

わたしたちの意見はことごとく合わないし、誰も譲ろうとしない。譲らないことも折りこみ済みなのだ。

アルマーニカフェでいただいたいちじくのパフェ。

こうして、旧友とのティータイムは過ぎていく。それぞれ違うことを言うし、「えー、全然共感できないわー」という発言だってとび出す。

となりは異を唱える人ぞ。いいのだ、これで。

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