![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/147244715/rectangle_large_type_2_2b45396ea3f81f0e6f71b8581e43f3d1.jpg?width=1200)
新紙幣と鬼平のメロディ
このあいだの夜、父が我が家にやってきた。21時頃のインターホンに驚くわたしに、父は笑顔を向けた。
「友達にな、新紙幣かえてもろてん。見せに来たでー」
ソファに腰をおろした父の手には、まっさらなお札が一枚おさまっていた。北里柴三郎の肖像が見てとれる。7月3日に発行されたばかりの、新しい千円札だ。
わたし「へー、ニュースで見てはいたけど、1000のフォントがおもしろいねぇ」
父 「そうか? お父さんはなんかなじまへんな。でも、外国の人にわかりやすくてええな」
わたし「ホログラムもすごくない? 長女ちゃん次女ちゃん、ちょっと見てみ、新しいお金だよー」
寝る直前だった双子の娘たち(6歳)を巻きこんで、ぴかぴかの新紙幣を囲んでの会話が弾む。娘たちはもちろん、もうすぐ77歳になる父の笑顔も輝いている。わたしはこういう時間が大好きだ。
思えば、幼い頃から父とは共通の話題で盛り上がってきた。
ねくらなわたしが友達とも遊ばず本に没頭していると、よく父が話しかけてくれた。
父 「おもしろそうなん読んでるなあ。お父さんにも見せてーな」
わたし「お父さんはなに読んでるん?」
父 「いろいろやけど、今は宮本輝さんが好きやな。輝さんとお父さんは同い年なんやで」
わたし「貸して!」
そうして読んだ宮本輝『螢川』についての読書感想文は、高校内で表彰された。のちの『錦繍』も『優駿』も、わたしのなかで道しるべのように輝いている。
受験生のときに出会った池波正太郎の『鬼平犯科帳』も、父の本棚から借りたものだった。当時のわたしは梅原猛『隠された十字架』を読みふけって以来、もともと熱心でなかった受験勉強から逃避することを覚え、あらゆるジャンルの本に手を出しては母に叱られていた。
鬼平はいい。江戸の情緒に満ちていて、お話そのものはときに苦く、ときにほろりとするほどあたたかい。わたしはまたたく間に鬼平の世界に夢中になり、ドラマ版についても父としょっちゅう話した。
「尾美としのりさんはすっごいうさぎー! って感じ。梶芽衣子さんも『っぽい』よね! めちゃくちゃきれいやし!」
「うさぎ」とは『鬼平犯科帳』に登場する同心、木村忠吾のあだ名だ。色白ぽっちゃり体型で憎めないキャラクターを、ドラマ版では尾美としのりさんが演じられた。梶芽衣子さんは火付盗賊改方の密偵、おまさを。
こんな話は、なかなか同世代の友人にはできなかった。反町隆史さんと竹野内豊さんダブル主演のドラマ『ビーチボーイズ』よりも中村吉右衛門さんの鬼平が好きだなんて、言えない。カヌレやベルギーワッフルより、鬼平に出てくるどじょう鍋が食べてみたいなんて、どうしても言えない。だから父と話した。さいとう・たかをによるコミック版も二人で読んだ。
わたしと父は、そうやって絆をつくってきた。鬼平をはじめとした作品たちが、わたしたち父娘をつないでくれた。優しく、穏やかなメロディのように、たくさんの本やドラマがわたしたちのまわりを漂っていた。
今、時代劇専門チャンネルを契約している父は、ドラマ版鬼平の過去作品をよく観返している。
おかげでうちの双子の娘たちも、ドラマ版鬼平のエンディング曲『インスピレーション』(ジプシーキングス)が流れてくると、こう叫ぶ。
「あっ、ちょんまげの曲!」
ただ、年をとり、集中力が散漫になりやすくなったからと、父の読書量は減った。外出することも前に比べれば少なくなった。病を得て、気弱になったようにも見受けられる。
父の世界は、確実に狭まろうとしている。
わたしたちは、これまでとは違ったコミュニケーションをこまやかに重ねていかなければならないのかもしれない。
新紙幣やら、東京都知事選に出馬した人々の顔ぶれやら。わたしたちは折々の話題を介して、また新しいメロディをつくっていく。
別れ際、わたしは父に声をかけた。
「渋沢さんと梅子さんのお札に会ったらまた見せてね!」
「ええよー」と手を振る父を、夫が実家まで送っていった。うちの男性陣はずっと仲が良く、血もつながらないのにほんとうの父子のようになんだかんだとおしゃべりをしている。後ろ姿が似てきた感じさえする。
世の中、大変な事件はたくさん起こるし、わたしの身にも日々いろいろな悩みが降ってくる。父の体調だっていつもいいわけではないから、心が痛む日もある。
それでも、わたしはこの日常を守るために踏ん張る。本のかわりにメロディになるものを探しながら、前に進んだり後ろに下がったりして暮らしている。
手を切りそうなほど真新しい紙幣が教えてくれたのは、当たり前だと思っていた日常の尊さだった。